2016年10月27日

「テネシーワルツ」考(1/2)


《1》
 本稿は、2009年にブログに書いた文章の再録である。

 「テネシーワルツ」は終戦直後につくられたアメリカのポピュラーソングで、今でも人気が高く、日本では最近、綾戸智恵(智絵)がジャズ・ボーカルで歌っている。
 1950年にパティ・ペイジ(Patti Page)が歌って大ヒットし、世界的なミリオンセラーとなった。それを日本で、当時(1952年)14歳の江利チエミが歌って大ヒットし、美空ひばり、雪村いずみとともに「三人娘」と言われるほど一世風靡した。

 1956年、テネシー州がこの曲を州歌の一つと制定したらしいが、失恋の歌でしかも友だちの恋人を「盗んだ」と言うストーリーだけに、馬鹿じゃなかろうかと思う。

I was dancing with my darling
To the Tennessee waltz,
When an old friend I happened to see.
I introduced her to my loved one,
And while they were dancing,
My friend stole my sweetheart from me.

I remember the night,
And the Tennessee waltz,
Now I know just how much I have lost,
Yes I lost my little darling,
The night they were playing,
The beautiful Tennessee waltz.
 
 歌詞は、「私が恋人(彼)とテネシーワルツを踊っていたら、旧友の女性が来たので、彼氏を紹介したら、その友達にダーリンを盗まれてしまった。私はこの屈辱の夜と、そしてテネシーワルツを忘れないわ」という意味である。中学レベルの英語力で十分わかると思う。
 私も幼いころから聴かされた曲だ。親がファンだったらしく江利チエミの「テネシーワルツ」のLPがあって、私も何度も聴いた。どことなく大人の雰囲気を味わっていたのかもしれない。後年、どことなく退廃的な感じがして遠ざかっていた。

 しかし偶然のことで、元祖パティ・ペイジ嬢が歌っているのを、YouTubeで視聴できたので、やや認識を変えた。それを後述する。
http://jp.youtube.com/watch?v=_Ek3eCbfqp0
綾戸智絵(智恵)の「弾き語り」は
http://jp.youtube.com/watch?v=HWF7gFK51Xw&feature=related

 YouTubeには他に江利チエミのものなど多数出ている。
 江利チエミの「テネシーワルツ」は、英語で歌いつつも、途中で和田寿三という人の和訳の歌詞が入る。
 「さりにし夢 あのテネシーワルツ なつかし愛のうた 面影しのんで今宵も歌う うるわしテネシーワルツ」
 なんのこっちゃ? 意味不明の歌詞だ。だから大人になって、英語での意味(原詩)を知ったときは驚いた。日本語訳と原詩の比較は後述するとして、とりあえずパティ・ペイジ、綾戸智絵、江利チエミのそれぞれの「テネシーワルツ」の聴き比べをしてみよう。

 江利チエミは、まあ健康なお色気というほどの味わいしかない能天気な歌になっている。明るくていい、とでも褒めるしかない。この明るさは、終戦直後に大流行した並木路子の「りんごの唄」の明るさに共通するのかもしれない。戦争から解放された庶民の感情にマッチしたのではないか。

 綾戸智恵はテレビでもよくやっている。これは恋人に裏切られた悔しさ、悲しさ、やり切れなさをよく大胆に表現している。言ってみれば感情むきだし。節操もなにもなく、感情をむき出しにするほどの悲しみ、悔しさなのよと歌っている。そういう女心を表現している点では、うまいといえばうまい。
 それと私が大阪が嫌いなせいもあろうが、綾戸智恵の歌いっぷりの品のなさはいかにも大阪のおばちゃんの歌う「テネシーワルツ」と感じる。

 それに対して元祖パティ・ペイジの歌い方は、見事だと私には思える。YouTubeの1950年の録画で見るかぎりであるが…。
 歌い方のあの笑顔は営業笑いなのかもしれないが、それだけではない、ある「技」あるいは教養を感じさせる。

 恋人を紹介したばかりに、女友だちに彼氏を盗まれる悲惨な目にあっている歌の主人公の女が、悲しみや悔しさを露骨に表に出さずに、静かに淡々と…という感じで歌っている。綾戸智絵の歌い方にみるように、彼氏に裏切られ、旧友の女友達に盗まれたのだから、これは般若のごとく「許さないわ!」となってもおかしくない。なのに、笑顔で耐えている感じというか、取り乱さない姿勢がたいしたものだ。それを元祖パティ・ペイジは技として表現し得ている。

 だから私が「テネシーワルツ」の裏切った男であったなら、綾戸智絵が歌うような女であったら逃げ出したくなるが、元祖パティ・ペイジの歌うような女ならヨリを戻してもいいかな、と思う。
 綾戸智絵風の歌い方であれば、「自分はちっとも悪くないのに、あの女が悪いのよ。世の中はなんて不条理なの」でしかない。しかし元祖パティ・ペイジは、自分の非(魅力が足りない)も認めている風情がある。悔しく悲しいのだけれど顔には出さない。いずれ自分がもっと魅力的な女になって、彼を見返すわ、と歯を食いしばっている。取り乱さないで毅然としている。

 この「テネシーワルツ」はそういう「意味」の歌だと私は解釈した。だからこれは藝術とまではいかないレベルではあるけれど、流行歌のレベルでは古典的になり得たのだろう。
 つまり、女主人公が彼と旧友の友達に裏切られたというはっきりした「意味」がある歌ではあるが、その背後に貫かれている女性の誇りとか、毅然たる態度がテーマとなっている。
 悔しさ、悲しみに暮れていると直接に、この歌の主人公は「立ち直ってみせる」という決意を秘めて、「私は忘れない、この夜とテネシーワルツを」と歌っているのである。そこを綾戸智絵は読み取ることができなかったのだ。江利チエミにおいておや。

 このようにポピュラーやジャズにおいても、相互浸透を念頭において鑑賞しなければなるまい。
 元祖パティ・ペイジの意図が不明であるにせよ、述べたような気位の高さを感じ取って自分も学ぼうとすれば、良い相互浸透が得られる。
 女の意地というか個人の生きざまを貫徹しようと言う意志が静かな微笑みに見られると、「解釈」すればいい。少なくとも元祖パティ・ペイジはこの歌をそう解釈し、表現に努めたと思う。意地を見せるとは、必ずしも捨てた彼氏や奪った女に意趣返しをしてやるということではないと、この歌手はわかって歌っている。
 
 綾戸の歌は、女の感情をストレートに、であるから大人なら誰が聴いてもわかる。だからジャズはレベルが低いし、一般大衆にわかる歌(曲)なのである。



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posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
懐かしいですね。テネシーワルツ。子供のころによく耳にしました。江里チエミのほうか、本場のかは、わからないけど、すごく流行っていました。大学生のお兄さんが好きだったらしく、この歌声と、シェーンの山が呼んでる、そして「あのこの黄色いリボン」が、耳に残っています。

あとから、思えば、さっきまで爆弾を落としていた敵国に、よくも、平気で思い入れたものだと思います。

でも、あのころの日本人の心情に、共鳴するものが確かにあったのでしょう。

このワルツについては「日本語の歌詞に風情があった」のだと思います。

長じて、英語で読むと、なるほど、そんな歌だったのか!と、驚きました。

日本語の歌詞の方がきれいですね。

でも、日本人の感性としては、管理人さんの感覚が正統ですよね。

私も、あの綾戸さんは(神戸の人らしいけど)堪忍です。あれを「神戸」と言われたくない。管理人さんが、間違ってか「大阪のおばちゃん」と、大阪人みたいに書かれたので、ほっとしましたね。

実は、ジャズの街を標榜する神戸の人なんですよ。

ジャズは、社交ダンス、マージャン、なんかとともに、戦後世代の愛好でしたが、今や、観客は80歳以上になり、廃りました。
テネシーワルツを知る若い世代はないとおもいます。
Posted by 神戸だいすき at 2016年10月27日 07:55
日本人なら「取られて恨みます」、外人なら「取られたことで今がある」とどう感じるかは聞き手次第な作りがヒットなんでしょうね。
Posted by たていと at 2016年10月27日 15:25
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