2016年11月12日

鎌倉薪能をより高みに(3/3)


《3》
 鎌倉薪能では、金春流の解説者が能には四大流派がある。それは観世、金春、宝生、喜多で、なかでもわれわれ金春流は一番歴史が古く、聖徳太子からその名を頂戴したうんぬん…と語っていた。
 それはそれでまあ好きに言っていたらよろしかろうが、いささか手前味噌すぎる。

 能の四大流派とは世間がいうことであって、「能を完成させたのは、傍流とされて蔑まれていた梅若流です」、くらいのことは説明して、謙虚さを示すべきであった。
 能の四大流派の違いは、ネットででも調べていただければと思うが、ざっくり言えば以下のようになる。

 観世流は観阿弥世阿弥の直系とされる。室町時代には足利氏の本拠である京都奈良に基盤を置いた。足利氏が衰えて戦国時代になると将軍家や寺社の勢力低下のため、各地の武将を頼って京の都から地方へ流れていき、観世は駿河へ落ち延びた。
 その影響で家康が観世に親しむことになり、 江戸幕府でも各座の筆頭の地位を与えられて隆盛を誇ったのだ。
 梅若はその傍流だった。江戸幕府が倒れると、最大パトロンを失った観世は駿河に引きこもってただ呆然としていた。
 
 しかし初代梅若実がひとり頑張って能を今日の藝術性の高いレベルに引き揚げ、やがて能が復活して、観世も幕府に頼らずに一般大衆を観客として受け入れて東京に再度出てきて、現代につながっている。
 今日の能の隆盛の基盤を創ったのは梅若流である。しかし、四大流派は心が狭く、それを頑に認めない。だから大衆も、その真実の事情を知らない。
 もしも、四大流派の能関係者に、現代の能は梅若流が創ったのですか? と尋ねたら、断固否定するだろう。

 足利氏が衰えて、能の各流派は幕府からの公的扶助=禄米を頂くことが受けられなくなっていた。苦しいところに追い込まれていたのだ。それを復活させ隆盛にもっていったのが、豊臣秀吉である。
 秀吉自身が賤民の出で、能の連中はいわば同胞だったからかもしれない。また、なにせ天下を取った男だから、政敵を押しのけ殺してのし上がったわけだから、誰よりも怨霊を怖れたのではないかと思う。

 秀吉は大変な能贔屓になり、なんと自分でも能を創って自ら演じた。それは「明智退治」といった(笑)。
 金春流は、当時名人とされた金春大夫が金春であったことから、 秀吉は彼を召し出し、その後援で流勢を大きくした。
 宝生流は、 江戸期の第五代将軍綱吉がひいきにしていたため、盛んになった。綱吉は大の浪費家であったから、宝生のパトロンになることで、国家財政を傾けてしまった。それを必死に経済再生をなし遂げたのが荻原重秀であった。綱吉といえば犬公方の話ばかり流布されるが、荻原重秀を忘れるべきではない。

 宝生流は、今でも石川県=加賀で盛んである。出は金春だったのが、加賀の前田家に仕えていた。豊臣の時代は金春だったのが、江戸時代になって、前田家は最大の大名とはいえ外様にさせられた。そのために綱吉に迎合すべく宝生流に変えた。要は、秀吉が贔屓だった金春じゃありませんと言って、徳川家に忠節を誓ったわけである。

 喜多流は、徳川秀忠の時代に新しく認められた流儀である。
 金剛流というのもあるが、この流派はそうした権力者によるひいきの恩恵を受けたことがない。

 いずれにしても、能は世阿弥が猿楽を洗練させて大成したと言われる。しかし、世阿弥が今日見られるような能にしたわけではなく、今となっては見ることは叶わないが、もっと素朴なものだったろう。
 それがざっくり言えば、戦国時代の各派が資金的にも興行的にも苦労したなかで、神事性や藝術性のようなものは深まっていき、江戸時代に入って大名がパトロンとなって安定期に洗練の度を高めていったものであろう。

 だが、パトロンの庇護を受け、さしたる向上の意欲がなくても代々継承していけるとなれば、増長や怠惰を生むのもまた人の常である。
 四大流派たちは大名の庇護を受けて安穏としていられた。だから徳川幕府崩壊によってパトロンを失うと、これからどうしようという意欲も失っていたのだろう。
 唯一、そうした庇護を十分には受けられなかった傍流の梅若流のみが、苦しさをバネにして再起していったのである。

 なぜ梅若流が成功したかについては、また別の興味深い意味があろうかと思われる。推測でいえば、幕末から明治にかけて、ヨーロッパ文化が“侵入”した結果ではないかと思われる。東洋の(日本の)近代化はヨーロッパの強制によるものだ。資本主義も軍事力行使もそうだし、巨大産業化、金融市場化など無数にある。
 ヨーロッパは自己改革して封建的なものから自己解放をし、自由な資本の発生、国民国家の誕生(市民の出現)、独立的・平等的個人の成立などなどが、一気に日本に流入した。
 能もその相互浸透を拒否できず、いわば強制的に改革の波を被ったのだ。梅若だけがそれを前向きに捉えたのだと思う。

 能の流派は、今はなんとか復活して、国からもおそらく伝統芸能として支援を受けるなどしているだろうが、世阿弥の昔から続いている日本文化の粋で…と言って、古いことだけ自慢しているのは恥ずべきことではないのか。
 四大流派は昔は大名の庇護に頼り、現代では梅若が完成させた藝術的要素を真似ている。これを伝統に胡座をかく、というのである。

 なにも能にかぎらない。華道、茶道、剣道、柔道、和歌、俳句、日本画……どれもこれも、文化や思想性、美などを人類の文化遺産たるべくランクを上げる努力をなしていると言えるのだろうか。
 最高の見本が、空手界にはある、日本武道空手玄和会が。
 しかし、誰もがその血のにじむ苦難の過程と成果から学ぼうとしない。無視である。

 無視していれば安泰だからだ。マスゴミも取り上げてくれる、大衆もなんだかわからないけど、日本文化なんだと思ってカネを払ってくれる。なまじ変革させたら、人がついてこられなくなる…と怖れるのだろうか。

 世阿弥が創ったころの能は、むろん時代性ゆえに今より素朴だったり、野卑だったりしただろう。それをバカにしたり軽んじたりしてはならない。彼・世阿弥は命懸けで創造したのである。その意気、野望、あるいは歴史性の理解が現代の能関係者には皆無ではないか。
 何度か本ブログで書いたが、バレエにしても、昔は猥褻な踊りでしかなかった。それをアンナ・パブロワとかマイヤ・プリセツカヤなどが、藝術として完成させたのである。

 われわれが真にそうした藝術から学ぶべきは、ただ鑑賞し、ただ感動することではないのである。
 世間には「わたしは仏像を見るのが好き」と言うご仁がいるが、仏像にしても見る?拝む? それ何やってんの。仏像を見るとは、自分もその精神性の高みを仰ぎ見て精進するためである。あるいは自分がその先達の魂を誇れるに足る日本人になることではないのか。

 今回観た鎌倉薪能は、むろんそこそこに鑑賞できる水準ではある。感動もさせられるだろう。だがどこに発展の芽がある? あるいは鑑賞者をして(平俗な言い方をすれば)、「よし、おれもやるぞ!」と奮い立たせるものが出せたのか。
 能は幽玄でござりまする…と言うかもしれないが、その幽玄という言葉、あるいは像を、伸ばし、実らせ、内容が充実していってその重みでそれこそ自然に割れて新しい種や芽が出たわけでもない。
 ただなんとなく「解釈」しているだけ。

 日本人のほとんどが、そんなことには無関心だ。解釈しただけで満足している。藝術、芸能の鑑賞とはそういうものだと思い込んでいる。
 だが、おそらくは世阿弥は、または梅若実は、他に類がない発展性を自己としていたのであろう。
 そのうち、現代風にとか言い出して、ジャズとコラボ、歌舞伎とコラボ、なんて言って、それをもって新しい!などと言うのだろうか。現に能と現代音楽のコラボはある。

 梅若の功績を、悔しいからと言って、無視し大衆に隠しているようでは、絶対に発展はない。梅若から学ぶべきはただの能の姿形ではなく、意気であり、魂なのだ。
 だから流派の違いなんかどうでもいい。そんなことはアホな新聞記者にでもやらせておけ。

 ヨーロッパの本質は無限の前進、発展であるが、東洋にはそんな精神がない、と記したのは、評論家の竹内好だった。だから東洋は西洋の侵略に実体的にも精神的にも負け、今も負け続けていると説いた。
 ヘーゲルが典型であろうが、人間が自己運動する運動の主体であった。真理そのものが生成発展的であると西洋では認識されている。

 しかし東洋にはない(近代以前にはあった)。かろうじて日本には何人かが出た。聖徳太子、義経、信長、秀吉。藝術分野なら、世阿弥、芭蕉、梅若実、光厳院と永福門院などもそうだろうか。でも、支那、朝鮮、東南アジア、中東、誰もいないだろう。モンゴルにチンギス・ハーンは出たけれど、他に絶無と考えれば、やはり日本の英雄・義経があちらで再起したと思う方が自然である。

 悔しいけれど、ヨーロッパにはキラ星のごとく…ではないか。
 それがやっと、近代で初というより史上初めて登場したのが南ク継正先生その人だった。

 この続きはまた来週に。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今も能では食べていけないので、いかに格式高くして「金持ちのお嬢様と縁組して援助を受けるか」が、生き残りの手段だと、話している人ありましたよ。

だから、いわば、極楽鳥のきらびやかな羽のような。芸術性の高さをめざさなくっちゃって。

たいへんなんだなあと思いました。

管理人さんが鑑賞に足りるとされた、その鎌倉の薪能の観客の平均年齢は何歳でしたか?60歳以上でしょ?

60歳を過ぎると、そういうものに心惹かれるのならいいんですよ。

このまま、観客は一緒に年を取り、一時に消滅する可能性の方が大きいです。

これが現実だと私は思います。
それを、なお、生き残らせるためには四苦八苦の努力がいるのでしょうね。
Posted by 神戸だいすき at 2016年11月13日 08:05
神戸だいすき様
鎌倉薪能では、みたところ平均年齢が60歳以上とは思えなかったですね。若い方が結構いました。場所柄(鎌倉だから)観光のひとつと思って来ている人もいたでしょうし。
あなたがご心配のように、能も消滅の危機にあるでしょう。
それは能が正しく日本の文化遺産として理解されていないことにも原因があるのではないでしょうか。
薪能はひとつの趣向ではありますが、遠くの席ではその魅力は伝わりません。いわばかぶりつきで見ないと、すごさがわかるわけがない。

今回の論考では、神事のほうに重点を置いて述べたために、現代における藝術性について述べていないのが悔やまれます。
現代では(明治以降)能は「心の藝術」となっています。それがわかるには、能面を見て取る要素が欠かせないからです。
能面自体は演技中に変化はしないが、シテの動きや地謡など総合的な演出によって、みごとに心を表現しているところを理解したいものです。



Posted by 神戸だいすき様へ(ブログ筆者です) at 2016年11月14日 16:20
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