2016年11月14日

能は神事であった(1/2)


《1》
 先週の能の話に続けてもう少し述べてみたい。
 本稿は、2013年1月10日から12日にかけてアップした「能の歴史性を問う」を一部援用しながら新たに書き加えたものである。

 2006年ごろのことだったが、国立能楽堂(東京・千駄ヶ谷)では、座席字幕システム(日本語、英語)が設置された。座席の背に1台ずつ画面が取り付けられ、能や狂言を鑑賞しながら手前の椅子の背に表示される台詞が見られる。
 また最近は、スマホの画面でも能を鑑賞しながら台詞が見られるサービスもできたそうだ。
 たしかに能は、あらかじめ筋と台詞を知っていないと、何を言っているのか皆目……だが、こんなバカなサービスをしてよいものだろうか。

 テレビでも、やたらと字幕が出るのがうっとうしいと思っているが、なんと伝統芸能にもこういうハイテク(?)を使って過剰サービスをする。こういうことをしないと、若い客層が来てくれない、という意図なのだろうが、本当に日本の教育水準が落ちた証左のような話である。やや暗い座席で、青白い電光が目の前でチラチラしたら、鑑賞の邪魔になるのではないか。

 能は日本の文化遺産であるが、その前に神事なのだ。普通の観劇ではない。今では観劇の一つとして鑑賞するのは構わないと思うけれど、過去、猿楽から発展し、明治以降に藝術として完成の域に足した芸能なのだから、そこから日本文化ないし日本人の原点(ルーツ)を汲み取るべきなのである。

 能の世界が、今日の私たちに訴えかけてくるもの、それは藝術の本質でもあるが、「鑑賞者が要求するものに応えることと、鑑賞者が要求していなくても本来要求しなければならないものに応えることなのである。それには電光掲示で台詞を示してやることは、ただ「鑑賞者の要求に応える」レベルで終わらせることになりはしないか、なのだ。

 しかし、今日あるような能鑑賞のありかたの多くは、まったくの受け身的な姿勢である。あるいは有名な寺に出かけて仏像を拝んで来るのと変わらない。
 能は日本の誇る伝統芸能だと自慢するだけでは意味がない。あるいは、「自分は能を知っている教養人」とうぬぼれるだけでも意味はない。

 われわれがこの伝統芸能を誇るに足る日本人になること、これ以外にないのではないか。そうなってこそ、能の神髄が感得されるのであり、伝統保存の意義があるのだ。これはすべての藝術に共通する鑑賞のあり方、あるいは藝術保存のありかたの根幹である。

 藝術の目的は、ずばり精神の能動性の獲得である。感動することも悪くはないけれど、ただ感動してもしょうがないではないか。
 だから、国立能楽堂の座席字幕システムやスマホで読めるのは、苦渋の決断なのかもしれないが、進むべき方向が逆である。努力して能の世界によじ登るしかないものを。

 さて。
 能は、伝統の総合藝術とか言われるが、もともとは今日言う藝術ではなくて、集団(共同体)にとっての儀礼ないし神事でありつつ芸能(愉しみ)であったものである。発生当初は儀礼・神事と直接・不可分に芸能であったものが、後年、藝術的要素が相対的独立を果たす流れのなかで明治から昭和にかけて「能」としての完成をみたものと言えるだろう。

 教育とは個人が個性を発揮できるようにするためのものではなく、社会をきちんとするために行なうものであるように、芸能もかつてはそういうものとして発生した。すなわち「社会をきちんとするために行なう」ものである。
 社会に禍いが起きないように、社会や家族に良いことがありますようにとの目的で行なわれた。
 根本的には、藝術も個性を発揮するためにだけあるのではないのだ。

 能は儀礼と言ったが、もっと正確には、神道に淵源をもつ主として霊魂を鎮める芸能である。源は神道、と言ってもよいかもしれないが、神道という概念すらなかった太古日本人の「思い」とでも言いたいところである。神道は周知のように、日本独自の観念世界を形成してきた。

 それはあくまで日本人の共同体の観念的伝承性なのであって、個人の信仰ではない。
 すなわち、太古以来の日本社会をきちんと保つ目的で発生した。
 やさしく説くならば、神道における人と神の関係は、祖霊、御霊、自然神に分かれる。祖霊は先祖の霊魂。御霊は先祖の霊のうちの祟り神。自然神は月、風、樹木、岩石などである。

 神道では人が神になる。この場合は主に3つある。一つは祖霊で単純に亡くなった祖父母とかで、もっと著名なところでは徳川家康を祀る日光東照宮や明治神宮などがある。思うに、個人を祀ってある神社は東照宮にせよ明治神宮にせよ品格が乏しい。
 もう一つは天皇のような現人神である。新興宗教の場合は生き神といわれる。

 3つ目が御霊であって、これは祟り神である。非業の死を遂げた人、戦争や謀殺などで亡くなった人が、死後霊魂となって、この世に祟りを及ぼすという考え方である。菅原道真を祀った天満宮は代表であるが、靖国神社も本来そうだと思うが、祟り神というと現在では印象が悪くなるせいか、口にされない。戦前に、国学院大学でこの説を唱えた教授が、学内で居心地が悪くなったとか。

 『源氏物語』は、藤原氏が倒した政敵の御霊を鎮めるために書かれた“一種の芸能”であるとする作家・井沢元彦氏が核心をついた論及がある。能も同様の要素がきわめて大きい。
 室町時代に足利義満の保護のもとに世阿弥が出て、能がそれなりの完成を見たのち、戦国から安土桃山、江戸時代末までは武士たちの娯楽でありつつ、宗教(神道)的儀礼=神事であった。

 能は、それを鑑賞する武将らが、自ら手をかけて殺した御霊の祟りを恐れ、それを鎮めることを目的として、御霊が満足してくれるような音楽付きの劇を猿楽師や能役者に演じさせたものである。
 靖国神社にも能舞台があるのは、そういう伝統にのっとっている。戦争で亡くなった英霊を慰め、鎮魂するためである。夏に全国各地で行なわれる盆踊りは、盆に帰ってくる祖霊を慰めるためであり、また御霊となって祟らぬように、守護してくれるよう祈願するものである。

 さはさりながら、日本人の宗教心は二重構造、ないし三重構造になっている。純粋神道を探そうにもほとんどない。仏教とまじっている。
 まだ仏教伝来以前からあったいわば古層の認識、それが原始神道というべきもので、能の源流になっている。それは祖霊、御霊、自然神である。これが日本人と神との関わり方(認識)の基本である。
 その上に強制された外来の宗教である仏教が日本人の認識に入ってきた。
 宗教であるとともに、これは国家統治の道具として入ってきたし、貴族の死後の世界への恐怖を和らげる要素も加わった。それが証拠に、平安仏教は国家宗教(貴族が信仰する宗教)であり、国民の戸籍管理のようなことは寺がやった。

 その仏教に対してまつろわぬ一団がいて、それらが大和朝廷への抵抗勢力であり、また朝廷に敗れて賤民に貶められ、あるいは東北や北海道に追いやられた人たちである。その民の一部が山の民として、古来の神事を継承し、例えば門松とか榊とかしめ縄とかを都に売りに来たり、祝福芸をやって見せる獅子舞とか琵琶法師とかになり、猿楽をやってみせたりした。それらがやがて能役者らになっていく。もしかすると竹取りの翁なんてのはそうした賤民だったのかも。

 それで支那から来た支配者(藤原氏)に屈して、みんな下界の人たちは仏教を信じるようになっていった。だから大多数の日本人は原始神道と仏教の二重構造を持たせられたのである。それが長い年月続いたので、神道と仏教がごちゃ混ぜにされるようになった。
 能も神道の要素だけではなく、仏教の加持祈祷なんかの要素も加わるようになった。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
龍が知らない間に、西洋に伝わり、ドラゴンなる不細工なものになってしまいました、ドラゴンは西洋では怪物か妖怪扱い、日本の龍が聞いたらなげなくでしょう、神の使いが妖怪とは、西洋人の程度がわかります。
Posted by 政界ウォッチャー三十年 at 2016年11月16日 00:32
日本は、つねに半島や大陸から脅かされてきましたよね。
近畿では石川・福井・京都の裏日本側のお寺に、恐ろしい形相の仏像が多く見られます。
最初は、なぜ、観音様がこんなに恐ろしいのかと不思議でしたが、外的から身を守るために、仏教の強い守護を願ったのだと思います。

味方なら、より怖そうなほうが頼りがいが有る。

神道も仏教も、天皇家や貴族もさることながら、庶民にいたるまで、平和な日本人には切実な守護神だったのではないかと思います。

単純に階級闘争だけではみきれないものはあったと思います。

なにを神様が喜ばれるか、どういうことが神様の目から見て嫌われるかというセンスを日本人ならみんな持っているのではないでしょうか。
Posted by 神戸だいすき at 2016年11月17日 10:00
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