2016年11月19日

日本では何故言葉がダラクするのか(2/2)


《2》
 「幽」という漢字の意味は、
1. 暗くて見えない。かすか。
2. 奥深い。
3. 世間から離れてひっそりしている。
4. 人を閉じこめる。
5. 死者の世界。
 となっている。

 「玄」も深奥の真理、深遠な趣き、天地万象の根源、黒、などである。
 なので、「幽玄」といえば、この2つの漢字を合成した像になる。よって、辞書的には、「Goo辞書」から引用すると、
     *     *
1 物事の趣が奥深くはかりしれないこと。また、そのさま。
2 趣きが深く、高尚で優美なこと。また、そのさま。
3 気品があり、優雅なこと。また、そのさま。
4 中古の「もののあはれ」を受け継ぐ、中世の文学・芸能の美的理念の一。言葉に表れない、深くほのかな余情の美をいう。

㋐和歌では、言外に感じられる王朝的な上品で優しくもの柔らかな情趣をいう。
㋑連歌では、艶でほのかな、言葉に表されない感覚的な境地をさしていう。後に、ものさびた閑寂な余情をもいうようになった。
㋒能楽では、初め美しく柔和な風情をさしていったが、後、静寂で枯淡な風情をもいうようになった。
     *     *

 なるほどそんなことかとわかるけれど、この言葉がいかなる時代的変遷を経て、どういった藝術的営為と相互浸透しながら、高みの認識として人口に膾炙してきたのかは、わからない。それは辞書の役割でないと言えば、そのとおりだ。
 しかし、竹内好の論考に戻れば、どうやら、歴史的には本来の支那の漢字の用法が、本邦に来てから大きく発展したことがここからもうかがえる。

 和歌、連歌、能では味わい(像)が深まったのである。
 竹内が言う「精神の自己運動」は、近代以前には「それらしきもの」はあった。その例が、和歌、能、茶道、華道、禅などなど日本文化と誇るに足るもの等である。だが、明治以降はダラクの一途。
 近代以前には、「幽玄」のように言葉が「のび、みのり、内容の重みで自然に割れて、そこから新しい芽が出たという言葉が」あったのに、近代以降は絶えてなくなったようだということだ。それが辞書では書かれていない。

 11月10〜12日の「鎌倉薪能をより高みに」で書いたように、能舞台にマイクを立てて市長の挨拶をするわ、ミス鎌倉に案内をさせるわ、地謡に超デブがいるわ、終わったら拍手をするわ、「幽玄」が台無しである。つまり、興行的に成功させればよくて、「幽玄」の像を深める、発展させる意志はない。先達の真似だけ。古いことだけが自慢。

 まさに「文化」がアパートや鍋にダラクするがごとし、である。若い人にはなんの事だか分からないかもしれないが、戦後に「文化アパート」「文化鍋」が登場した。安っぽいものだった。
 ほかにもいくらでもある。ひどいのは「哲学」」だろうか。哲学とは「原点的に世界のすべてを知るための学問」(南ク継正先生の言葉)なのに、昨今では「経営哲学」だの「料理の哲学」だのと言い出し、ある個性的な考え方低度を称して恥じない連中ばかりになった。全員がダラクしているから、平気でダラクした言葉が使える。


《3》
 竹内好の論文「日本の近代と中国の近代」はサブタイトルが、「魯迅を手がかりとして」となっている。魯迅論が需要なファクターとなっているなかで、魯迅の『賢人とバカとドレイ』と言う寓話を紹介している。

 ドレイは、仕事が苦しいので、不平ばかりこぼしている。賢人がなぐさめてやる。『いまにきっと運が向いてくるよ。』しかしドレイの生活は苦しい。
 こんどはバカに不平をもらす。『私にあてがわれている部屋には窓さえありません。』『主人にいって、あけさせたらいいだろう』とバカがいう。『とんでもないことです』とドレイが答える。

 バカは、さっそくドレイの家へやってきて、壁をこわしにかかる。『何をなさるのです。』『お前に窓を開けてやるのさ。』ドレイがとめるが、バカはきかない。ドレイは大声で助けを呼ぶ。ドレイたちが出てきて、バカを追い払う。
 最後に出てきた主人に、ドレイが報告する。『泥棒が私の家の壁をこわしにかかりましたので、私がまっさきに見つけて、みんなで追い払いました。』『よくやった』と主人がほめる。賢人が主人の泥棒見舞にきたとき、ドレイが『さすがに先生のお目は高い。主人が私のことをほめてくれました。私に運が向いてきました。』と礼を言うと、賢人もうれしそうに『そうだろうね。』
 と応ずるという話である。

 竹内好氏はこの魯迅の寓話を、「呼び醒された状態について書いているものと考えていいと私は思う。『夢からさめて行くべき道がない』『人生でいちばん苦痛な』状態について、逃れたい現実から逃れることのできぬ苦痛について、書いていると思う。」と述べている。
 私は高校時代には竹内好が何を言っているのか、わかっていなかった。その意味するところがわかってきたのは、社会人になって仕事をするようになってからだった。

 いささか強引にこの魯迅の寓話を私自身に当てはめれば、バカが私になる。ドレイも賢人もだれでもいいが、多くのわが流派を知ろうともしない人や南郷学派に否定的なご仁である。
 良い年こいて「心に青雲」などと言って、ブログを書き、青春のものであるはずの(?)空手をいまだにやっているなどという人間は「バカ」以外の何ものでもあるまい。

 世の中、それなりに出世してまあ優雅に暮らしているインテリは「賢人」であろう。放射能は健康状態を保っていれば怖くない、とか、インフルエンザは予防注射をするだけ意味がない、とか、台風は生物学からも見なければならない、とか、後醍醐院は卑劣で光厳院こそ歴史に残る偉人だなどと言う私はバカそのものと見られるだろう。
 だからドレイで居さえすれば、なんとか食っていける。会社でも多少の出世はさせてくれる。だから「醒めない」ほうがいい。醒めれば行くべき道がないことに愕然とする。
 
 大仰に言えば、わが流派の空手に出会うまでの私はそうであった。完全に醒めていたかどうかはべつとして、行くべき道がわからなかった。ある程度の志は抱いたが、その先に行けない。それがわが流派の空手のおかげで進むべき道を教えていただけたのだった。
 譬えていうなら、ある意味でドレイからバカになれたようなものだった。むろんそれで良かったと思っている。

 今回の一連の能や幽玄についての考察も、世には受け入れられまい。例えば鎌倉薪能を楽しく高尚な気分で鑑賞できればいいとしている人たちは、私にはドレイに思えるが、本当のことは誰もが知りたがらない。知ればとたんに仲間はずれにされる恐れが出てくる。
 当たり障りなく、マスゴミや「学識経験者」や、教科書にあることだけ信じていれば、「賢人」が褒めてくれる。

 さて、本稿はもう少し深入りしたいところだったが、ややくたびれたので、ここらで能に関わる論考はいったん終わる。
 竹内好の論文も、機会があればまた論じたいが、とりあえずはここで終了とする。





posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
幽玄とは、言葉で説明するものではなく、受ける感覚を、文字化しようとするときに「幽と玄」がうまく当てはまると感じた人が、作った造語なんでしょうね?

もし色でいうなら、深い「黒」。闇だけど、暗いわけでなく、そこから、すべてが誕生するような「はじめ」を思わせる・・・なにもかもを蔵しているゆえに、幽玄としかいえない・・・

それは、たとえば、シテが姿勢を正して、白いたびの足を「すっと」進める、「止まる」その進むと止まるのハザマに、一瞬「なにか」がある。

「間」ま・・・

それは静止ではない。次の進みへの傾斜。1瞬には、とまろうとする1瞬。動こうとする1瞬。完全な静止・・・いくつもの1瞬が有る。

ストップウォッチで図れば同じ「秒数」でも、それは全部違う「気迫」
それを言語にしようとしたら「幽玄」としかいえない。かすかで、死ではじまり。

全身の肌で、わっと感じた人が「幽玄」としか表現できなかったのではないかと私は思います。

Posted by 神戸だいすき at 2016年11月19日 19:57
神戸だいすき様
さよですか。自由で(自由な発想で)結構ですな。
Posted by 神戸だいすき様へ(ブログ筆者です) at 2016年11月19日 20:49
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