2016年11月21日

サヨクはなぜ「国家」が嫌い?


 サヨク元祖といえば共産党である。日本では共産党は共産主義社会の実現をめざし、権力の奪取を狙っているはずだが、なんと国会のみならず県や市の議会にも議員を送り込み、憲法護持の立場をとって、わけがわからないご都合主義である。
 一応非合法活動は否定し、暴力革命は棄てたかに装う。暴力革命を標榜した連合赤軍や中核派、革マル派などがあったが、もうほとんど力を失い、相手にもされない。

 その元祖サヨクと近いのが、現在の民進党やかつての社民党であった。今では「リベラル派」などとカタカナを使うが、今はただの自民党への揚げ足取り、嫌がらせで生きているだけ。共産革命は目指していないが、心情はそちらに近い。

 さて、10月22日のブログでも掲載したが、元祖共産党のバイブルである『共産党宣言』の言わば綱領は以下のとおりである。
1. 社会の歴史は階級闘争の歴史である
2. 私有財産の廃止
3.家族の廃止
4.祖国と国民性の廃棄(労働者は祖国を持たない)
5.宗教と道徳の廃棄
6.万国の労働者団結せよ

 この綱領を端的に申せば「国家の否定」、これである。
 国家を自由なる個人にとっての最大の束縛とみなし、さらに加えて家族も私有財産も宗教も否定している。マルクスがいたころのヨーロッパは、国家は産業資本と結びついて、庶民をドレイとして扱ったゆえに、労働者とその家族らは自分たちが搾取され、自由を束縛され、貧困に突き落とされている、と思ったのは(感情的には)無理もないことではあった。

 だから新興勢力の共産党は、大衆の支持を得るべく、口当たりのいいことを吹聴して歩いた。悪いのは国家と資本家だといって。
 要は、共産主義とは理論ではなく、思想である。その名残りがいまだに尾をひいている。

 したがって、日本共産党やその仲間どもは、国家を否定ないし悪いものという認識で共通すると言ってよいかと思う。
 これは政治活動をもっぱらとする連中にかぎらず、東大を頂点として研究者の脳みその主要部分は国家を否定的に捉える傾向が極めて強い。
 バッカじゃなかろうか。

 高山正之氏と宮崎正弘氏の対談本『日本に外交はなかった』(自由社刊)を読んでいて、以下の文言に当たった。
 これは韓国を、歴史的に見て宮廷政治、事大主義、独立自尊の主体性がない国と批判したあとの宮崎氏の発言である。
 
     *     *

宮崎 結局、「国家」とは何かという認識の大いなる齟齬でしょう。彼らにとっての国家とは自らの利権のメカニズム、支配機構でしかない。末端の庶民の幸せをまったくかんがえていないわけですからね。
 田中英道『天平に華咲く「古典文化」』(ミネルヴァ書房)は次の指摘をしています。

「『国家』の問題を出すと、必ず左翼の歴史家たちは、それが『国民国家』として近代にしか存在しないとする(中略)」「しかしその考え方が誤りであることは、日本のような、古い島国の例を挙げれば明らかである」。
 従来、日本の戦後論壇でも「国家」イコール「悪」という意味で論じられてきた。国家を肯定するのは右翼と攻撃されたが、田中氏はこう反論する。

「『国家』と言えば悪い意味での『権力』機構ととらえ、打倒の対象であるかのように否定した社会主義の理論は、ソ連や中共の成立で完全に崩壊してしまった。ソ連や中共がナショナリズムの『国家』として、ドイツ・ナチ『国家』よりひどい全体主義国家であったことは明らかである。そのような一党独裁の国際主義の『国家体制』は、決して価値ある文化は生まれない」。

 日本には古来、古事記や日本書紀が成立し、世界初の恋愛小説『源氏物語』が生まれ、そして世界史初の憲法が聖徳太子によって制定された。「聖徳太子の『十七条憲法』の最初の三条に示されている事柄は、共同体のあり方、個人のあり方、そして日本の政治のあり方を論じている。『近代法』のように市民革命を経て、市民の権利や自由を法律化したものではなく、人間の自然のあり方から発して、その陥りやすい欠陥を克服しながら、運営していく方向を示している」。

     *     *

 ここに紹介された田中英道氏が端的に書かれているように、国家=悪とする思いが染み込んでいるのがサヨクなのだ。
 それを考える前に、田中英道のいう国家論はエビデンスが弱い。日本の国家の特殊性としては聖徳太子を例に挙げるのは結構だが、人類史においての「国家の誕生」をこのような近代国家と、はるか昔の古代国家とを並べるだけでは不十分過ぎる。現象論レベルである。

 プラトンから始まって、ヘーゲルに至る国家論の流れ、加えてマルクス主義者による国家観を踏まえなければ、サヨクどもの国家=悪は論破できまい。これは国家論の大家・滝村隆一氏の欠点でもあったようだが、近代国家を正面に据えて論じてしまう失敗を、サヨク研究者や活動家はおかし続けている。だから田中英道がそこを指摘したのは正しい着眼だが、ただ聖徳太子の昔から…と反論しただけでは不足だと言っている。

 そもそも、国家とはむろん原初形態としては共同体(サルからヒトになっていった過程でも維持された集団)が統括するため、そして他共同体との対峙(戦争)のために、共同体と直接にできたものである。それが集団が大きくなり、外敵との対峙が深刻になるにつれ、今日言うところの国家へと量質転化を遂げたのである。

 われわれ人間の生存は、国家の存在(統括)なしには不可能である。
 そこをサヨクは誤解している。
 国家がなければ、税金も取られないし、戦争に駆り出されることもない、政治家のワルも見なくて済むと思うのだろう。アホだねホント。
 国家がなければ安心して道も歩けない、日本語も通じない、電車にもクルマにも乗れない、とすぐ分かる。
 国家なしには私たちは1秒も生きていられないのに。
 
 本ブログ10月14日付「朝鮮通信使は鶏泥棒」に「ずぶ濡れクミコ」さんがコメントをくださった。
 「青雲さまに聞くのもおかしいのですが、どうしてサヨクな人たちは日本を悪く言うのでしょうね? ああいうのがかっこいいとおもっているのでしょうか?」
 これなどもまさしく、サヨクは国家を骨がらみ嫌いだからである。
 日本を悪く言うこともそうだが、日本の代表たる国家を認めたくない。

 安倍総理が今国会の所信表明演説の際に、現場で苦労されている自衛隊、警察などの諸君に敬意を示そうと訴えたら、自民党の議員がスタンディングオーベーションで応えたことがあった。すぐさま野党と公明党が反発し、議会にふさわしくないとバカを言った。独裁国家のようだとか、共産主義国家みたいだと言って…。あれも、自衛隊や警察を国家の権力機構と見ているからの反発である。
 
 左翼どもが尖閣諸島に侵入する支那や、竹島を不法に占拠しつづける韓国に文句を言わないのも、そこに「国家」の匂いを嗅ぐからだろう。国の主張する案件は許せないのである。
 昔は「国益」という言葉すらタブーで、使えば右翼とされた。
 そのため、自衛隊は災害支援隊にすればいいなどと狂ったことを言う。それなら、国家抜きの、ただのお助け隊ですむと思うからだろう。

 そうしたサヨクをカネをバラまいてでも支援してきているのが、支那、南北朝鮮らである。国家はいらないとするバカ人間が多ければ多いほど、交戦権を否定した憲法が守られ、奴らが有利になるからだ。
 サヨクどもが憲法9条を守りたがるのは、そこに戦力は持たない、交戦権も認めない、と国家を完全に否定する縛りが書かれているからだ。だから9条が大好きなのである。

 何かにつけて、サヨクは国家の介入を嫌い、悪と断じる。その意味でバカはバカなりに一貫はしている。
 



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
その支那南北朝鮮にODAの金を流してる国がありますからね。案外マッチポンプなのかもしれませんね。
Posted by たていと at 2016年11月21日 14:18
世界は、腹黒いのでしょう。
日本人には、対抗できないですね・・・
Posted by 神戸だいすき at 2016年11月22日 07:35
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