2016年11月23日

徳川幕府は経済失政で滅びた


 幕末の徳川政権の外交は、ロシアやイギリスがちょぼちょぼ来てはいたが、本格化するのは嘉永6(1853)年にアメリカのペリーが浦賀にやってきて砲艦外交をやられてからであった。
 そしてアメリカを皮切りに各国と通商条約を結んだ。幕府の閣僚が無能でひどい不平等条約を押し付けられ、ために明治新政権が苦労してそれを改正しなければならなかった。

 と、教科書では教わるがこれも官許歴史のひとつである。不平等であったことは疑いがないが、それでも幕府の閣僚たちは国益のために頑張ったのだ。圧倒的武力の差があって、外交手腕を知らなかった幕府にしては精一杯の抵抗をし、条約の形はとったのだ。
 明治政府は、なにせ長州のチンピラ下級武士がクーデターで奪ったものだから、幕府より無能であった。

 だから明治政府の主要な行政は、幕府の役人が引き継いで行なった。そのおかげで、不平等条約の改正が時間はかかったが成ったのである。
 官許歴史では、新政府は優秀で、幕府はなにもかもダメと説くが、そんなことはないのである。

 しかし、幕府の閣僚の最大の失敗は、為替レートで騙されたことである。金銀の交換レートを迂闊に設定して、莫大な損失を出したことは良く知られる。幕閣の誰も経済に疎かった。
 日本の金1に対してメキシコ銀4で交換することにさせられた。
 額面は同等のようでいて、日本の金貨は金の含有量が多く、不利だった。

 詳しいことは省くが、仕組みを簡略に書くと以下のようになる。
@ 日本ではメキシコドルラル4枚を一分銀12枚と交換する
A 日本で一分銀12枚を小判(金貨。天保小判)3枚と交換する
B 香港で小判3枚をメキシコドルラル12枚に交換する
C @に戻る

 これを1回やるごとに金貨が3倍に化けた。
 欧米人らは、日本で為替交換し、金の含有量の多いそれを香港に持っていって為替交換する。そのカネをまた日本に戻って交換するという繰り返しだけで、労せずして(貿易もせず)ジャブジャブと儲けていった。だから日本の金がまたたく間に消えてしまった。

 幕府は慌てて、貨幣改鋳をやって、金の含有を減らした万延小判を発行したが、日本が備蓄していた金の3分の1(約100万両)が流出したと言われる(額は諸説ある)。
 万延小判は天保小判と同じ額面1両のまま、金の含有量を3分の1に減らした。

 しかし、金の流出は止まったけれど、国内的には粗悪な貨幣にしたために激しいインフレを招き、武士も民百姓は苦しめられ、一揆なども起きるようになった。
 でも武士にも庶民にも突然生活が苦しくなった原因などわからない。
 彼らに幕府憎しの気分が起きるのは当然で、薩長討幕勢力も、これは開国したのが悪かったのだと騒擾を引き起こすに至った。

 井伊直弼大老が暗殺されるのも、経済的困窮は開国した責任者とみなされ、正義の攘夷派を処刑した悪者とされたからである。
 それがやがて幕府は戊辰戦争での敗北へとつながっていく。

 つまり、幕府の為替政策、金融政策の失敗が、ついに討幕に至るのである。薩長に討幕の大義名分なんかなかった。彼らは徳川の力を弱めて列藩同盟のような形に持っていこうとしていただけ。
 ところが幕府自らの経済政策の失敗で大衆の支持すら無くしていった。
 この捉え方は、上念司氏の『経済で読み解く明治維新』(KKベストセラーズ)で知った。そのとおりだろうと思う。

 幕府にそれを強いたのはイギリスだったのかもしれない。為替で騙せば、幕府は倒れると踏んで着々と手を打ち、意のままになる薩長のテロリストに政権を取らせる計画だったかもしれない。
 決して、吉田松陰とか坂本龍馬とか西郷隆盛の“理想”が、新時代を開いたわけではなかった。

 昨日に続けて…であるが、高山正之氏と宮崎正弘氏の『日本に外交はなかった』から紹介したい。
 初代駐日公使になったハリスについての言及である。
 
     *     *

宮崎 これも悪どい商売で成り上がった人物で、それで政権に近づいて公使の特権をもらって、やったことは何かといったら金銀の交易、貿易で金をえらい儲けたらしい。

高山 一説には、これでアメリカにはほとんどプール一杯の金が流れこんだ。
 そしてあの時期に南北戦争が起きた。連邦政府側、つまり北軍には、たっぷり金があり、それで熾烈な戦争をやっていけた。 
 言ってみればあのリンカーンを支えてやったのは日本ということになるわけだ。

 宮崎 勝った時の武器がまた日本に輸出されて、戊辰戦争が起こり、西郷隆盛軍を殲滅する時の官軍の武器になった。
 
     *     *

 これが裏話である。西南戦争で使われた武器は、南北戦争のお古であった。
 ついでに当時の銃について語っておくと、戊辰戦争当時はまだ元込め式スナイドル銃は少なく、先込め式のゲーベル銃が主力であった。スナイドル銃は南北戦争で大量に使われ、中古が日本に輸出されて西南戦争に使われた。

 スナイドル銃は後装式で便利で安全にはなったが、ゲーベル銃のように銃身内部にライフルが切ってなくて、照準しにくかった。また鉛玉が薬莢とセットだから扱いやすかったが、銃身のなかで鉛が溶け、銃の先からブラシを入れて鉛をかき出さなければならず、不便だったようだ。

 とは言っても、当時は機関銃はなくて、戦争での撃ち合いもお互いにそういう手間をかけられる状態だったし、アメリカ人にしてみれば、インディアンや野牛を殺すにはそれで良かったのだろう。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする
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