2016年11月24日

ドローンによる戦争を見る


 アメリカ軍の最先端無人機の実態の一端を知りたいと思って、アメリカの映画を2本観た。
 いわゆるドローンである。
 操縦者はアメリカにいながら(家から基地に通いながら)、中東の戦場に無人機を飛ばして監視・偵察して、機をみてミサイル攻撃を行なう。

 『シン・ゴジラ』を観た人は、米軍のドローン(グローバルホーク)が飛んで来てゴジラを攻撃するシーンを覚えておられるだろう。一瞬ではあるが、ああいうところに最新の戦争の実態が垣間見える。
 だからもし、中共が尖閣諸島に侵略してくるときは、空からは、戦闘機がやってくると思うだろうが、実際は衛星画像で偵察しながらこうした無人機が攻撃してくることも考えなければならない。

 映画は、一つは『ドローン・オブ・ウォー』(2014年)で、もう一つは『ドローン 無人爆撃機』(2013年)。
 どちらも同じような内容とテーマで、秀作とは言いがたかった。兵士の心理描写がありきたりである。映画では、無人機自体は戦闘区域の近くの米軍基地から飛ばし、高空から攻撃対象を監視し続ける。

 登場人物は、かつては戦闘機パイロットで鳴らした男であり、その補助者が女性という同じシチュエーションだった。
 どういうものか、アメリカの基地の機械室は砂漠のなかのコンテナの中である。窓もトイレもない。実際がそうなのだろうが、狭いコンテナのなかに1日座って、コンピュータの画面を眺めている。
 もっと広い部屋で快適に作業をやったらいいだろうに、なんで?

 彼ら兵士が見つめているのは、中東上空からの衛星画像で、地上の工作員からの情報をもとにテロリストが現れるのをじっと待つ。やることは、衛星画像を対象に合わせることと、ドローンを遠隔操作して上空を飛翔させ、ミサイルの発射ボタンを押すことである。
 当然、操縦者には危険はまったくない。コンピュータゲームをやっている感覚である。

 しかしゲームをやっている様でいて、実際は中東で人が一瞬で死んでいる。終われば上官から「よくやった」と褒められ、時間がきたら、自宅へ帰ってシャワーを浴び、一家団欒。翌日も家から出勤して、コンテナに入ってコンピュータゲームをやり続ける。
 自分が死の危険にさらされてはいないものの、日がな衛星画像を見続けて、攻撃対象の家を監視しつづけるのは、きつい仕事だろう。敵がいつ現れるかわからない。ミサイル発射を行なうのはそうめったにはない。

 上からとは言え、他人の生活は丸見えだ。野外でセックスしているのまで見える。鮮明なカラー画像である。
 これは映画の空想の話ではなくて、現実に米軍がやっていることで、私たちは気象衛星で日本列島全体が見られると思っているが、はるかに精密に見られている。
 アメリカだけでなく支那やロシアもやっているだろうし、日本も衛星を打ち上げているからやっているのだろう。

 ならば金正恩の動静なんかも手に取るように刻一刻分かっているのであろう。どの国も分かっていても手のうちは見せない。
 で、いざ攻撃チャンスが来ても、近くに家族がいる場合は攻撃できない。テロリストだけを殺したいからだ。家族を巻き添えにすることは一応戦争法規違反だという認識は米軍側にもある。
 ミサイル発射ボタンを押す兵士は迷うが、上官は構わず撃てと命令してくる。逆らえば命令違反で軍法会議だ。

 それで兵士は苦しむ。というのが映画の中の話である。
 だから兵士は、こんな仕事は嫌だ、危険でも実際の戦闘機に乗って戦場に出た方がましだと思うようになる。
 戦闘機を飛ばすには莫大なカネがかかるし、死のリスクも高いから、人工衛星や無人機を飛ばすことにしたが、新たなリスクがうまれる。
 まさに人間は矛盾を創出しないではいられない存在である。

それでも、あと10年もしたら、この映画のようなこと、つまり人間が判断してミサイル発射したり、悩んだりすることはなくなり、全部AIがやってのけるようになるだろう。
 そうなったらなったで、AIに支配される人間の苦しみをテーマにした映画が創られるだろうけれど。

 私がとくに女性の知人に、戦争映画の話をすると、たいてい「戦争映画は見たくない」と拒絶される。残酷なのは嫌とか、殺される映画は見たくない、とか。
 たしかに最近の戦争映画はリアル過ぎる。四肢が飛散して苦しむ兵士や、傷口がぱっくり開いた胴体とか、「こんなものは見たくないぞ」と言いたくなるものが多い。刺激が強い。

 だけど、戦争の実態は知っておくべきである。
 そうでないと、「心構え」ができないのだ。
 平穏な日常に慣れきっていると、心の危機管理が疎かになる。
 先日、石巻市大川小学校の3・11津波で多数の児童や教員らが亡くなった事件での判決があった。彼らに限らず多くのあの津波で亡くなった方たちは、災害に対して「高をくくっていた」から死なずにすんだものを、ぬかったのである。

 戦争もそうだ。まさか戦争になるわけがないと思っている。9条さえあれば戦争にならないと…、そう思っているのはキチガイ沙汰だ。現実に、この映画のように、シリアやイラクではアメリカ軍が飛ばす無人機から罪もない婦人や子供が殺されている。
 なのに日本人だけが、それは関係ないと思えている。
 
 日本ではいかにも米軍から無人機で襲われる事態ではないが、監視衛星は上空に飛んでいる。私たちは常時見張られながら暮らしていると思わなければなるまい。
 そういう「備え」のためにこそ、こうした最新の戦争を扱った映画で勉強しておく必要がある。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私が、わからないのはですね。
なぜ?

この時代になって、自衛隊を肉弾で死ににいかせなければならないのかと言うことです。

日本にてドローンを、飛ばしていたらいいのにね。

日本人を消滅させたいんじゃないかと勘ぐってしまいます。

それとも、人間が動かないと、兵器が売れないからかな?

戦車とか、哨戒艇とか、装具とか、はたまた、軍事食とか、

戦争そのものが目的じゃないですもんね。
Posted by 神戸だいすき at 2016年11月25日 08:23
核兵器は抑止力です。使えない武器が何故抑止力になりえるのか?
当然次には使ってこその抑止力になります。
あとは解りますね。
人間はそういうものだと思います。
Posted by たていと at 2016年11月25日 19:21
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