2016年11月26日

“日本になかった不幸”(2/2)


《3》
 この意見には多くの反論があるであろう。しかし、例えば「株」の取引というものがある。あれはいかにも一般投資家が参加して、公平なルールに従って売買が行われていると思われているが、そうだろうか。

 株価は、ある会社の業績が上向くから上がる、業績が悪くなるから下がるのではない。そんなことは素人の勘違いというか、騙されているのだ。売り買いの動きというのは、多くはブローカーが仕掛けている。ブローカーが売りに出せば、個人投資家が買う。ブローカーは売ったものは回収しないと儲けにならないから、今度はその株を下げていき、下がったところで買い戻すのだ。

 ある銘柄についていかにも活発な商いが生じているかに見せる演出をしつつ、株価を下げていき、個人投資家ががまんできなくなって手放す頃合いを見て買い戻して儲ける。ただいつも個人投資家から奪うばかりでは、みんな株をやらなくなるので、多少は儲けさせるのである。こんなことは教科書には書いてない極秘事項だ。この仕掛けを私は「日本人が知らない恐るべき真実」というブログサイトで学んだ。同ブログにはカラクリが親切丁寧に説かれている。日本人必読である。
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/

 ちょっと個人にも儲けさせるのは、競馬競輪などのすべての賭け事の常道であるし、マスコミなどでも視聴者に少しだけ意見を言わせるのも同じだ。
 長期的に見れば、個人投資家の90%が損をする仕組みである。だが、証券会社は莫大なディーリング益を上げているのだから、そういう仕掛けに気がつかなければならない。これが株式制度をつくりだしたユダヤ支配者の遠大なる陰謀であった。結果として株屋がこういうワルを思いついたのではなく、こういう仕掛けとしてユダヤがはじめから作ったのである。

 例えば最近は短期ディーリングが流行していて(させられて)、100万円を元手に5年で3000万円にした主婦の本が出たりして、甘い誘惑で新たな個人投資家を募ろうとしているが、こういうことはみんな株屋どもの陰謀であるから、騙されないようにしましょうネ。

 こういうことは例えば、清水一行の小説とかで勉強するといい。われわれの流派では経済のことはこういう小説でも学んだと教えていただいたので、私も清水一行の小説を読んだものだ。具体的な像がつくりやすくなる。

 この株価の真実からもわからなければならないことは、先ほどから述べているように、民衆はカネを持たされ(自分で稼いだように思わされ)、やがて稼いだ分を見事に奪われる存在だということである。いかにも民衆は、奴隷状態でないような自由な環境で働いて、カネを稼げる。しかしそれは支配者どもがあとでわれわれを太らせておいてから、カネを巻き上げる仕掛けにほかならない。

《4》
 ちなみに、例えばサラリーマンは実際に働いた分のどれくらいを自分のものにできるとお思いか? 給与とは、その人間の生産と再生産にみあって払われる、会社はその差額で儲ける。だから、実際に会社員の給与は、1週間に対して平均して2日分くらいしかもらっていない。派遣社員やアルバイトはさらに少ない。あとは全部会社の取り分になるのだ。こうやって(マルクス主義流に言えば)搾取された労働者は、さらに株に投資すればかっさらわれ、ユニセフやらWWFやら義援金に寄付してはダマされ、最大のものはむろん税金としてごっそり持っていかれる。

 1週間7日働いて、たった2日分しか給与(再生産分)をもらえず、そのわずかな給与からさらに税金やら年金やら社会保険やらでふんだくられてしまう。今度はホワイトカラー・エクゼンプションで、残業代すら召し上げようという魂胆なのだ。昔の奴隷とちっとも変わらんじゃないか!

 実に巧妙な仕掛けでしょ? これが大きく歴史をみた場合の、フランス革命とやらで民衆が勝ち取ったものの真実の姿(成れの果て)なのだ。

 『逝きし世の面影』(渡辺京二著)から、幕末から明治初期に来日した外人が日本どのように見たかを紹介したことがある。それを読んでくださった方はわかるだろうが、まさに林秀彦さんが言うとおり、日本人には、あの「逝きし世」=江戸時代には、ヨーロッパの人々のような激烈な「不幸」はなかった。「私たちにとって、自由がないこと、平等がないこと、博愛がないことが、彼らのように恐怖の対象にならない環境だったから」なのは、まさにわれわれの先祖の時代には、ユダヤ=イルミナティの支配が及んでいなかったからにほかならない。

 「自由・平等・博愛」は、フリーメスン(イルミナティ)の標語そのものである。ユダヤ人らは、「自由・平等・博愛・ヒューマニズム・民主主義」などの概念をいかにも民衆のためであるかのように装ってつくり、あるいは「選挙.報道・裁判」を世界に広め、また新たな、巧妙な支配の仕掛けを民衆に押し付けたのである。結果を見れば明らかではないか。この概念=仕掛けを民衆に押し付けたおかげで、彼らはいっそう巨万の富を独占できるようになったのである。

 しかし、彼らユダヤ支配者どもは、こうした「自由・平等・博愛・ヒューマニズム・民主主義・選挙・報道・法律」などを媒介に巨額のカネ(富)を動かし、その仕掛けによって巨万の富を入手したのであるが、それと直接にやはり民衆の一部を目覚めさせずにはいかなかった。それが彼ら支配者にとっての矛盾である。

 ある程度目覚めさせなければ、民主主義は広まらず、そうしないと富は生み出されないかわりに、民衆もまたそうした「建前」を実現させようと覚醒してしまう。覚醒させつつも騙す(という矛盾を成立させる)ために、民主政府をつくり、裁判をつくり、秘密結社を強化し、スパイ網を巡らせ…しなければならなくなった。すべては統治の二重構造維持のためである。

 矛盾をつくりだしたならば、それが弁証法でいう「運動」をもたらさずにはおかないのである。その「運動」が激化して行くことは、もしかすると必然なのであって、それが果たして、次にどんな矛盾を生み出していくのであろうか…。



posted by 心に青雲 at 03:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
明治の頃の日本国民全ては天皇の臣民でしたね。外から見れば共産主義そのものに見えたでしょう。
そんな中で臣民が不幸を感じていないとすれば、それは究極の共産主義ではないでしょうか。
(中共がやってる共産主義とは別物)
Posted by たていと at 2016年11月26日 19:50
戦後の一時期、日本は共産主義とまではいかないまでも、見事な社会主義国家でしたが、明治は、違うと思います。

ただ、ひたすら「縄文人は”お上のなさることに間違いはない”と信じた」のでしょう。

今、此処まで日本が貧しくなっても、小泉や安倍には間違いがないと信じられるのですから。

日本人は与えられた境遇に自分を合わせる民族だというだけだと思います。

この点、何を与えられてもブーブー言うお隣の民族とはあまりに違いますね。
Posted by 神戸だいすき at 2016年11月28日 06:14
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