2016年11月30日

答えは風に吹かれているか(2/3)


《2》
 軍歌は好きでよく口ずさむけれど、反戦歌は好きではない。
 その反戦歌(詩)といわれるものを今回は3つほど取り上げてみよう。


Blowin' In The Wind (風に吹かれて )
      作詞・作曲/ボブ・ディラン
How many roads must a man walk down
Before you call him a man?
Yes, 'n' how many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand?
Yes, 'n' how many times must the cannon balls fly
Before they're forever banned?

The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.

どれだけ道をあるいたら 一人前の男としてみとめられるのか?
いくつの海をとびこしたら 白いハトは
砂でやすらぐことができるのか?
何回弾丸の雨がふったなら 武器は永遠に禁止されるのか?
そのこたえは、友だちよ、風に舞っている こたえは風に舞っている
(訳詩/片桐ユズル)


 誰でも知っている歌だと思う。
 ケイティ・メルア(Katie Melua)の「 Blowin' In The Wind」をYouTubeで見つけた。彼女はグルジア出身で、幼少期に迫害されて英国へ逃げた過去があり、こういう歌は身にしみて、感情がよくこもるのだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=5AKiQzxWgLA

 元祖、 ボブ・ディランのラリっているような歌い方は好きではなかった。あれが受けたのは、時代性とでも言うべきなのか。まあユダヤに仕掛けられたわけだが…。

 さて歌はともかく、どれだけ大砲の弾が飛び交ったら平和になるのかという答えは、決して風に吹かれてなんかいない。答えははっきりしている。
 歴史を自由につくる人間がこの世界には存在するからであり、彼らの恣に(ほしいままに) cannon ballsが飛び交い、dollarも飛び交い、よって無辜の民が殺されるのである。
 Wikipedia を読むと、ディラン自身はこう言っている。

 「この歌についちゃ、あまり言えることはないけど、ただ答えは風の中で吹かれているということだ。答えは本にも載ってないし、映画やテレビや討論会を見ても分からない。風の中にあるんだ、しかも風に吹かれちまっている。

 ヒップな奴らは『ここに答えがある』だの何だの言ってるが、俺は信用しねえ。俺にとっちゃ風にのっていて、しかも紙切れみたいに、いつかは地上に降りてこなきゃならない。でも、折角降りてきても、誰も拾って読もうとしないから、誰にも見られず理解されず、また飛んでいっちまう。世の中で一番の悪党は、間違っているものを見て、それが間違っていると頭でわかっていても、目を背けるやつだ。俺はまだ21歳だが、そういう大人が大勢いすぎることがわかっちまった。」


 ディランの文言は、彼らしいというか、投げやりな、斜に構えて訳知りのこういう態度には嫌悪感が募る。
 だが、若い大衆は彼が「なんだのかんだの言ってるが、俺は信用しねえ」なんていう不貞腐れた言葉に魅力を感じてしまうのだろう。自分はなんの努力もせず、刹那的に生きているくせに、努力する人間や、いい子ぶって、優等生ぶって世をまじめに渡っていこうとする人間を毛嫌いしてだろうが、ディランを英雄に持ち上げた。

 私にはただ格好だけ付けたがっているノータリンにしか見えないが。
 偉そうに言っているが、中身はなんにもないではないか。
 どうもこの手の歌が反戦歌には多かったのではないか。きちんと、これこれだから戦争に反対だ、というのではなく、ムードで反戦なのである。

 ディランは、歴史を自由につくる人間がこの世界には存在すると知っていたはずである。
 ディランはアメリカを麻薬社会にするために利用された、と鬼塚英昭氏は『20世紀のファウスト』で書いている(238ページ)。

     *       *
 
歌手ビング・クロスビーはCBSが育てた代表的なスターであろう。ユダヤ人のボブ・ディラン(本名はロバート・アレン・ジマーマン)をスターにしたのはタヴィストック研究所とハリマンたちだった。
 アメリカを麻薬社会にするためにボブ・ディランが利用された。あのビートルズも、ファンには申し訳ないが、黒い貴族たちの演出であった。

     *       *

 The answer is blowin' in the wind.どころではない。バカな大衆に The answerがどこにあるかを、隠すためにボブ・ディランは、「反戦」のキツネの皮をかぶって登場したのだ。

 次。
 カントリー・ロックのグループCCR(Creedence Clearwater Revival)の「雨を見たかい?(Have you ever seen the rain?)」は、世間では名曲ってことになっているそうだ。
 歌詞の「晴れた日に降る雨(rain on a sunny day)」というのが、時こそベトナム戦争の頃だったから、米軍のB52がナパーム弾をベトナムに降らせている隠喩だと解釈されて“反戦歌”の仲間入りしたようだったが、歌詞をよく聞けば、そんなことは何も言っていない。仮に米軍機が投下した爆弾を歌っていたとしても、反戦でもなんでもない意味のない歌詞である。
http://www.youtube.com/watch?v=mS3lp6j52zs

 日本でも、下品で無内容な桑田佳祐や氷室京介がカバーしたくらいだから、くだらない歌なのであろう。

 和訳の歌詞(一部)はこうだ。どこにも爆弾のことなんか言っていないじゃないか?

昔、誰かが俺に言ったよ
嵐の前には静けさがあると
知ってるよ そいつはやって来たよ 時々
その後で こう彼らは言う
雨が降るだろう 晴れた日に
知ってるよ キラキラ降り注ぐんだ
知りたいよ 君がその雨を見た事あるかって
知りたいよ 君がその雨を見た事あるかって
晴れた日に降る雨

 まあおそらくは、CCRもディランと同じく、タヴィストック研究所に仕立てられた音楽グループだったのであろう。
 それにしても、「風に吹かれて」や「雨を知っているかい?」は、詩、つまり文学のなかの作品と言えるようなものなのか? 支離滅裂ではないか。どこに論理性があるというのか?




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(3) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
風に吹かれての意味が解らない方は「ナイラの涙」を検索して読んでみてください。
そしてもう一度この論考を読んでみて、何か感じられれば、それが答えだと私は思います。
Posted by たていと at 2016年12月01日 00:20
たていと様
端的にはなぜ戦争が起きるのか、その答えは「風に吹かれている」つまり「わからない」と言っているんです。そんなぼやけた主張が「詩」なんでしょうか? しかもディランはラリって歌った。ヘロインっていいもんだぜ、と誘導するものだったんです。投げやりな態度、それを一つの価値だとか、生きざまだとか言う連中。そういう人間が多くなることをユダヤは望んだのです。

「何か感じられれば、それが答え」という言い方が好きな人はたくさんいますね。ものをはっきり言わない、「なんとなく」が大好きで。
「美しい」「素晴らしい」「良い」という評価を下して満足する人も多いです。ディランがノーベル賞をもらうと報道されたときにも、テレビで何人かが「ディランは素晴らしい」という褒め方をしていました。何がどう素晴らしいかは言わない。
あなたも「ナイラの涙」を読めばわかる、という言い方ですが、それではいろいろ人によって感想がちがうのでしょうから、はっきりした答えにはなりません。

人類はもうそんなあやふやは卒業しなければなりません。
Posted by たていと様へ(ブログ筆者です) at 2016年12月01日 07:42
返信ありがとうございます。
歌が何を伝えようとしているのかさっぱり解らない点は理解できます。私のコメントも大筋で合っているだろう程度の私見ですから正解ではありませんね。

>人類はもうそんなあ やふやは卒業しなければなりません。
朝日に煽られた国民が戦争を望んだのは紛れも無い事実ですが、しかしそれで国民自身が責任をかぶったわけですし自業自得だと思いますね。
自分の意見を持たないあ やふやな態度ではまた同じ事を繰り返すだけです。そしてユダヤが儲かると。
Posted by たていと at 2016年12月01日 19:45
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