2016年12月03日

戦後立ち直った日本から新時代へ


 昨日のテーマから続く。
 日本は大東亜戦争に負け、社会も経済も大打撃を被った。被害総額は当時の金額で約1340億円、これは国民全体の正味資産の41.5%に当たった。
 終戦直後の製造業生産能力は、昭和10〜12年ごろの10%以下にまで落ちた。また1000万人以上の失業者が街に溢れた。

 そのうえ、卑劣なGHQによって二度と工業国として立ち上がれないよう、極東の貧しい農業国にされる施策を押し付けられたわけだった。それがみるみる復興したばかりか、世界トップクラスの経済力を持つに至った。
 なぜそんなことが可能になったのだろうか。

 その理由を私は、上念司氏の『経済で読み解く大東亜戦争』(KKベストセラーズ)で学んだ。
 上念氏は、その秘密を「比較優位」という概念で解いている。
 まず、世界に日本とヴェトナムの2つの国しかなく、取引する品物が「靴下」と「自動車」しかないという状況を仮定する、として解いていくのだ。

 当然、我が国は靴下でも自動車でもヴェトナムの生産性を上回っているから、日本がヴェトナムと貿易すれば圧倒的に有利に見える。しかし実際には日本の労働力は有限であるために、靴下をつくった分だけ自動車生産に回せる労働力が減る。
 詳しい計算は省略するが、以下のように話は進む。

     *     *

 日本が靴下1万足を生産するには自動車1.5台分の労働力が必要ですが、ベトナムは自動車0.5台分の労働力で済みます。この状態を「ベトナムは靴下に関して、日本に比較優位である」と言います。
 逆に、日本が自動車1台を生産するには靴下0.66万足の労働力で済みますが、ベトナムは靴下2万足分の労働力が必要です。この状態は、「日本は自動車に関して、ベトナムに比較優位である」と言えます。

 このとき、各国は比較優位である財を輸出して、比較劣位である財を輸入することで、双方とも今までより得をすることができます。
 (引用終わり)

     *     *

 そして、例えば、日本とベトナムが年間に、自動車1万台、靴下1万足ずつ必要だと仮定すると、貿易しないとすれば双方とも合わせて17万人の労働者が必要だが、貿易すると12万人の労働力で済むのである。「より少なく働いてより多く財を得られるということは、それだけ豊かになったということ」になる。
 詳しくは、上念司氏の本を読んで学んでください。
 続けて上念氏はこう書いていく。

     *     *

 また別の言い方をすれば、日本とベトナムのように圧倒的な技術力の差があっても、それでも技術力の劣るベトナムは、日本に対して売るものがあるということにもなります。
 もちろん、靴下と自動車でも成立するこの法則は当然、原油と自動車でも成立します。自由貿易をする限り、技術力がなくても、生産性が低くても、必ず売るものがあるのです。

 大東亜戦争によって焼け野原になった日本は、当時資源もなく、技術的にも欧米諸国に後れを取っていました。しかし、この比較優位を使って貿易を盛んにし、結果的に「高度経済成長」を成し遂げたのです。

 仮に、高度成長によって日本人が搾取されていたのなら、生活レベルは改善しないどころか悪化したことになるはずです。ところが、実際はまったくそうではありません。交易を通じて、貧しくて技術力のない日本はどんどん発展して、生活水準は劇的に改善しました。

 当時はまだ欧米のほうが技術力が上だったにもかかわらず日本の輸出産業が伸びたのは、まさにこの比較優位のおかげです。高い技術力で良い製品をつくらないと貿易競争に勝ち抜けないなどというのは、企業間の競争を描写しているだけであって、国と国との貿易について語る場合は不適切であるとしか言いようがありません。
 (引用終わり)

     *     *

 つまり、敗戦直後もマッカーサーによる日本をいじめて劣等民族にしておく施策は間違いだった。現実に裏切られたと言ってよいのだ。
 上念氏の「日本とヴェトナム」の譬えでいえば、当時はアメリカと日本の関係であった。

 日本が戦後、経済復興ができたのは、朝鮮戦争の特需で立ち直ったからだと左翼経済研究者が言い、韓国が「人の不幸で儲けやがって」という憎しみを抱く。朝鮮特需はあったろうが、復興はそれだけではなかったことを私たちは知るべきである。
 日本のマスゴミは、どうしても日本が悪い話にしたいのである。

 支那もケ小平による「改革開放路線」以降、この比較優位をも使って凄まじい発展を遂げたが、共産党幹部が人民を搾取するだけでカネを儲けては国外に持ち逃げし、技術革新に資本を投じないなどのために、成長がストップしたのだ。
 すなわち、21世紀は支那が覇権国になると予言したあの媚中・副島隆彦は、経済がわかっていなかったのである。

 貿易といえば、黒字になることだけが正しくて、赤字になるとすぐに政府の無策をなじるのがマスゴミの常であるけれど、そんなに単純なものではないのだ。
 輸出が増えれば「勝ち」、輸入が増えれば「負け」なんていう考え方が頭にこびりついている連中ばかり。

 アメリカは、「双子の赤字」で大変だ、と言われて久しい。貿易赤字と財政赤字が深刻だ、と。だが、いろいろ問題はかかえつつも、なんとか国家運営ができていて、世界一のGDPを維持しているではないか。しわ寄せは大衆に向かうからむろん状況は悪いけれど。

 日本でも、輸入を増やせば悪くて、輸出が盛んなら「貿易立国」日本は万歳なのだとするが…。輸入を増やせば、相手国は儲かって豊かになるから、その分今度は日本から良いものを買ってくれるので、日本の輸出が増える。
 そういう「Win-Win」でいいではないか。

 そもそも円高になると日本企業が倒れるから悪いとか、輸出が不利になるとマスゴミが言うのは、マスゴミの広告スポンサーに輸出関連の企業が多かったからだ。だから輸出産業寄りの記事を書く。輸入の会社は当然喜んでいる。

 朝日新聞やNHKを筆頭に、マスゴミはとにかく日本は悪い、権力は悪い、そして政府はいつも間違っているという社会観や史観に基づいてものを語る。
 終戦後の対外貿易で見ると、何が原因で成功したかをきちんと語らないで、特需だけで片付ける。

 また、終戦直後の「闇市」ばかりが強調され、政府は無策だったとか、生きるに必死だった庶民を官憲がいじめたとだけ言う。
 NHKの朝ドラなんかでは繰り返し、戦争中や戦後の闇市での、国家の横暴ばかりを表現する。しかし、闇市は翌年には終息し、インフレも解消していった。政府は闇市を放っておいたわけではなかった。

 GHQによる妨害にも関わらず、政府も官僚もがんばって見事に内政と経済を立て直していった。それをやってのけたのは現在の自民党につながる政治家である。
 彼らは戦前からの人間だったから、「国家」がちゃんとわかっていたし、国家のために、の志があった。

 それゆえ、日本国民は自民党に政権を委ねたとも言えよう。
 だが、その自民党と東大官僚の統括体制も、変わらなければならない時期が来ているのだ。世界の変化に対応し、かつこれから世界をリードして行く責任が日本に負わされてきているのだから、変革はなされなければなるまい。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(9) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
名古屋市は、戦後、焼け野原になったので、幅広い幹線道路をつくり戦後の発展の基礎を作りました。

焼け野原になったことで、再開発でき、工場が焼けたことで、新規まき直しができた日本にくらべ、無事だったアメリカは技術革新や、新たなものを取り入れること、さらに、大きな内需も生み出せませんでした。

このことも、戦争で破壊された日本とドイツが戦後有利になった理由があると思います。

同じことが、阪神淡路大震災で起こりましたが、内需拡大景気浮揚にならなかったのは、なぜでしょう?

ここんところが、以前のように取り組んでも同じ答えが出ないところだと思います。

そして、かつての自民党政府にできて、今の自民党には出来ない理由でもあると思います。

つまり、グローバリズム。
関税の制度、プラザ合意、金融市場のありかたが変わってるのでしょう?

ま、いえることは、企業も30年を過ぎると、寿命が尽きるそうで、自民党も寿命が尽きて、30年ぐらいたっているということです。

しかしながら、今の日本に独自性をだす環境は無いから、やっぱり、米露の方針にくっついていくのでしょうね。
Posted by 神戸だいすき at 2016年12月03日 09:35
国家を主軸に発展するというのは、いつかのソ連じゃないですか?大丈夫でしょうか?
行政に頼る経済なんて中国のように見えますが、どうなんでしょうか。
上念司氏がどういってるかわかりませんが、経済を効率良く回せば回すほど、ユダヤ金融が利息の分だけ働かずに儲かりますね。
ここでの例だと関税について書かれていませんが、これからはTPPで関税状況が一変するので、また違った未来になりそうですね。
Posted by たていと at 2016年12月04日 03:28
神戸だいすき様
アメリカは戦争に勝ったために新規スタートが出来ず、破壊された日本とドイツが今や勝者。ドイツと日本はゼロからやり直せたのが良かったわけです。
今は先端を行っていた日本とドイツが、行き詰まっているのは、やはりゼロからのスタートができないから。

世界中がデフレとなり、経済が行き詰まっているけれど、本当はデフレ時期こそ新しい技術が出て来るチャンスで、それができるところがまだ確定していません。支那がもしかして…と一時思わせましたが、結局バカには出来なかった。
さて、トランプのアメリカが、またゼロからのスタートができるかどうか。
Posted by 神戸だいすき様へ(ブログ筆者です) at 2016年12月04日 10:57
比較優位=comparative advantage を米国からの交換留学生が話していたのですが、このコラムの説明でよく理解できました。

時代はグローバリズムから再びローカルへという議論が起きています。
コーポラティズムは勢いを失いつつあると考えられます.

冨山和彦】「Gの時代」が終わり、「Lの時代」がやってきた

http://kakinokimata.jp/lera

2016/11/12

Lの反乱

今回のトランプの勝利は、ブレグジットと同じ構造であり、L(ローカル)の世界の人たちの反乱だ。右とか左とかは関係ない。

今の世の中は、グローバルエコノミーの中で急上昇していく人たち(Gの住民)と、ローカル経済の中に閉じ込められている人たち(Lの住民)の間で分断されてしまっている。それが格差の実相だ。

実は、どんな国でもLのほうが圧倒的多数派だ。少なくとも8、9割ぐらいがLであり、アメリカでは9割くらいがLだろう。

そのLの人たちが「政治もメディアも、俺達のことを全然見ていないじゃないか」と反乱を起こしたというだけの話だ。

今回の投票結果を見ても、真っ赤になっている州は内陸部であり、青になっているのは、スタンフォードとUCバークレーのある西海岸と、ハーバード、MIT、ウォールストリートがある東海岸だ。ブレグジットのときも残留派はほとんどロンドンだったのと同じ話だ。

私のGとLの理論で説明すれば、トランプ勝利は驚きの結果ではない。
Posted by B4 at 2016年12月04日 17:39
よく、二つの要素の対立で物事を判断する人がいますが、誤謬に至って誤謬に気がつかない発想ではないかと思います。神と悪魔、善と悪、帝国と反乱軍…
何であれ構造が成立するにはまずもって最低3つの要素がいるのではないでしょうか。
キリスト教でさえ神について主とイエスと聖霊を設定しています。
弁証法的認識ではそれに加えて時間、つまり過程的構造を設定しているかと思います。

私自身の世界観は経験的世界観に過ぎなくて、対立構造は表層、その下部に内部構造として3つの要素、さらに外部を設定しています。

例えると室内にテーブルがある状況です。
対立物が並置する2次元でテーブルの上が表層、
それを支える足が最低3つの要素として内部構造、さらにそれを支える床を構想します。
そして外部があります。室内としての近い外部、壁に当たる境界としての外部、窓の外の風景や空、宇宙という遠い外部です。
それらを同時に認識しないと室内風景さえ描けませんからね。私は画家なので。
「心に青雲」の師範はそれに加え時間の過程的構造を像として持っておられると理解しています。私の至らぬ点です。
Posted by 如月離雲 at 2016年12月05日 10:59
戦後日本の経済発展は、小さい政府の上で規制が少なかったからこそ、自由な経済活動が行えた結果のように見えます。その経済を牽引したのは日本銀行と各地方銀行でしょう。どの企業に資金を回すかによって自在に経済を操ることが出来たからです。
そして今まで何度か有った不況も銀行の暗躍が見て取れます。その理由は政府でしょう。政府が規制を増やし利権を拡大することで、権力を付けたからこそ、それを抑えるためと取れます。
政府役人は頭が良いのでこの事は当然わかっていて、一度日本を(戦争を使ってでも)取り壊して政府を作り直すほうが官僚が誰も傷つかずにリセットできる考えているように見えます。
このまま政府を放置すれば国民がリセットボタンを押すことになります(政府のトップは国民から選ばれ、全責任を負わされる)。そしてまた零からのスタートになるでしょう。
苦しい中戦争をして、また極貧に戻っても大して変わらないと思う人が多いのかもしれませんが、私は今の不況は作られた物であり、個人個人が本当の経済のあり方に気づくことで、簡単に平静を取り戻せると思います。
Posted by たていと at 2016年12月05日 20:39
ものごとを理解するためには「要素に分解する」ことから始め、その要素の特性をいくつもの角度から見据えることで、その要素を特定します。

その要素を組み合わせていく、ことで、構造が見えてきます。

室内風景を漠然と全体で見たら、絵は描けるかもしれませんが、それが農家か、都市の家か、そういう特性はみえてこないのではないでしょうか?

ものごとを、見るときには、なにのために見るかの目的に沿ってみることです。
時に、大雑把すぎるぐらい大雑把にわけることで、見えてくることもあります。

物事を、動かそうと思ったら、柔軟かつ大胆に、微細かつ大局で、同時にそれをみなければできませんが、
語るときには、対立物から説くのがわかりやすいのです。

対立物で解く人が、同時に全体を見ていないとか、縦軸の時間軸をおいていないと考えるのは、見方が浅いと、私は思います。
見ることと、語ることは別個の行為です。

どうみているかは、その人が、その後どう動くかで見分けられます。

「行為・動き・実践」のみが、正しく証明します。
理屈は誰でも言えますが、実践は考えに整合性が無ければ不可能です、整合していないところで破たんし、動けなくなるからです。

だから「理屈こき」は口だけです。
Posted by 神戸だいすき at 2016年12月06日 08:25
理屈こきではなく、物の見方が二項対立ではダメと言っているだけですよ。どのように精緻に観察しても表層は表層なのですよ。行動しても行動の意味が分からない状態です。
Posted by 如月離雲 at 2016年12月07日 11:56
語ることの中に、どんなに短い言葉でもその人の物の見かた(認識)が構造としてあると思います。

例えば以前に師範があげられた「しのぶれど色に出にけり我が恋は」も、なぜそれが傑作であるのか、

なぜ師範が「幽玄」と言われたのか、神戸大好きさんに現実と絡めて語っていただければと思います。
Posted by 如月離雲 at 2016年12月07日 12:16
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