2016年12月07日

石巻大川小学校訴訟に異議あり


 本ブログ2013年9月18日付で「津波犠牲、石巻・園児死亡訴訟は正しいか」と題して、3・11津波での幼稚園児が犠牲になった問題を取り上げた。
 今回は、同じ石巻市の大川小学校の訴訟問題を取り上げたい。

 津波で犠牲になった大川小学校の74人の児童のうち23人の児童の遺族が訴えた裁判で、1審の仙台地方裁判所は、10月26日、石巻市と宮城県に対し、原告全員に合わせて14億円余りの賠償を命じた。裁判では「津波が到達するおよそ7分前までに、市の広報車が避難を呼びかけたのを教員らが聞いた時点で、津波が到達する危険を予測できた」と指摘。石巻市と宮城県は、津波は想定外の大きさで予見はできなかったとし、この判決を不服として7日仙台高等裁判所に控訴。これを受け、原告の遺族たちも仙台高等裁判所に控訴した。

 宮城県石巻市立大川小学校では東日本大震災の大津波で全校児童108人のうち74人の児童が死亡・行方不明となった。地震発生の午後2時46分から津波到着の3時37分までの51分間もあったにも関わらず、教職員たちは有効な避難行動をできなかった。
 教職員13名やスクールバス運転手も犠牲になったが、裁判は起こしていていない。

 大川小では地震発生後、子どもたちを寒空の下で校庭に座らせ先生の指示を51分間待たせていた。「校庭にいてはだめだ」「山に逃げよう」と何度も先生に訴えていた子供もいたそうだ。なのに、教員たちはなす術を知らなかった。
 子供は地元の子で、祖父母や親から、地震後の津波の恐ろしさを日常聞かされていたから、とにかくもっと高台へと思っただろうに、教員たちはそれがなかったのではないか。

 宮城県も石巻市も昭和三陸大津波レベルなら大川小学校には津波が来ないことを公言し、それ以上の大津波への対応は全く考慮していなかった。もし大津波が来たらここは危険との意識が住民にも希薄だったようだ。大地震だったにもかかわらず、教員たちは10分で完了可能な裏山への避難が選択肢の後方へ押し下げられてしまったのは、大川小学校に集まった人々のほとんどに危機意識が欠けていたためだろう。

 そのように仕向けてしまった大きな要因は行政にあった。大川小の裏山へ避難して、土砂崩れにでも遇ったら自分たちの責任にされると教員たちは怯えたのかもしれない。だから裏山への避難は誘導できなかった。
 行政は、大川小が高台だから安心と言っておきさえすれば良かった。それ以上の津波は想定外と言えば訴訟は逃れられるからだ。

 犠牲になった子供の親たちの無念の想いはわからないではない。
 しかし、私には訴訟に訴えるやりかたはどうも納得できない。それは冒頭に触れたように、石巻市の幼稚園児の訴訟についてブログに書いたときと変わらない。

 訴訟で親側が勝てば、税金から支払われるのだ。県や市の行政官が獄につながれるわけではない。税金を回せばそれでお仕舞いになる。親たちは行政の責任を明らかにしたいと言うけれど、勝訴になってもそうはなるまい。

 武田邦彦氏が11月11日の虎ノ門ニュースで語っていたが、最も責任があるのは、地震研究所と研究者たちだから訴えるなら彼らを、というのも一理ある。
 地震の予知はできるとウソを言って、国家予算を4000億円もぶんどり、東大と名古屋大学で分けあって、東海地震や首都直下地震がくるとさんざんウソを言って、東北、熊本、鳥取など大地震が来たところへの警鐘を鳴らさなかったのだから、一番の責任は奴らにあり、それを鵜呑みにして予算をつけている政府や官僚にある。

 上がそうやっていい加減に「やったこと」にして責任逃れ体制を敷いているのだから、県や市のレベルも右へならえになる。そこを問題にしないで、小学校の教師の責任にするのはいかがなものかと思う。
 親も、本当に責任のある地震研究者を訴えずに、行政や学校を訴えるのは、弱い立場の教員のほうを狙っているのだとも武田氏は語っていた。

 たしかに後になって思えば、教師たちにもっと的確な判断が求められたかとは思うけれど、それは後付けである。彼らとて、子供たちを救わなければと必死であったはずだ。
 それを訴訟によって糾弾する性質のものではないのではないか。教師は助かって児童が放置されて死んだのなら重大な責任があるだろうが、先生たちも犠牲になっているのだから。
 
 大川小の訴訟についていえば、行政側と親とが話し合って和解に持って行くべきではないか。もしかして左翼の弁護士が裏でとことんやれと煽ってはいないだろうか? 
 また武田邦彦氏は、石巻市のハザードマップやマニュアルに不備はあったが、子供を守るのは第一に保護者であって、行政に全部任せるのはおかしいと指摘していた。

 親たちはなぜ地震の前に市や学校に出向いて、マニュアルが不備であることにクレームを付けなかったか。
 大津波が来ると予測できたときは、裏山へ避難すべきと学校と親とで合意できていたら、万一に備えて裏山へ登る階段をつくるとか、避難所を親の手で建てておくとかすれば良かったのである。つまり親としても打つべき手はあったというのが武田氏の主張である。
 私もそう思う。

 私は強いていえば、大川小学校の悲劇は日本全体を覆っているいわば「空気」のせいであろうかと思っている。
 今年7月11日に「出汁が消えた日本への絶望」としてブログに書いたことにつながる。
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/438734306.html
 
 主旨としては、本物の鰹節や煮干し、昆布などできちんと出汁を取るべきなのに、ほとんどの家庭では、インスタント顆粒出汁の素で済ませている、として嘆いたものだった。
 出汁なんか安ければいい、化学調味料でも味さえ出ればいい、手軽が一番、そういう考えが偽物をはびこらせるのである。

 だから。
 石巻市にしても、行政がハザードマップをつくってあればそれで良しとする思考になってしまう。おそらく「防災デー」なんかも設けて地域で避難訓練もやっていたろうが、それがかえってアダとなっている可能性もある。避難訓練しているからもういいや、と。念には念をいれて万一を考えることをしない。

 もしも大川小学校の親御さんのなかに、熱心に防災意識を問い、裏山への避難も訓練しようとか働きかけていた人がいたなら、学校や行政にきっと煙たがられ、そこまでやらなくてもいい、かえって混乱や不安を煽るとか言って忌避されたであろう。それが「空気」である。
 要するに、悲劇が起きてからあとで責任をいわばなすり合うのは本筋と外れている。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
訴訟弁護士と言えば、だいたい左翼ときまってますね。
左翼は弱者にすり寄って、正義の味方を装って、仕事にありつく卑しい連中。
大川小の場合も、そんなとこでしょうね。
Posted by 青シャツ at 2016年12月08日 00:38
無念さは、わかりますが、訴える相手を間違えていると私は、思います。
Posted by 神戸だいすき at 2016年12月08日 15:03
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