2016年12月15日

家庭教師の思い出


 テレビのCMで「家庭教師の○○○」と宣伝しているのを見ることがある。なかには「アルプスの少女ハイジ」のアニメにかぶせて、いかにも子供受けするか、親の世代があのアニメに熱狂した世代だったことを利用して、注目させようという阿漕なやりくち。

 別にCMはどうでもいいのだが、あのような家庭教師派遣の会社が、実は日教組の教師の隠れ蓑になっていること知ると、あの連中の「やり口」には顔を背けたくなるのである。

 教師は学校を辞める(または辞めさせられる)と潰しが効かない。俺は聖職者だったんだ、偉いんだの思いがあるから、食っていくためなら何でもやりますとはいかぬものらしい。
 子供を教えていた経験が生かせるのが、塾講師や家庭教師の派遣員である。教師だった資格を生かすには最適の職種ではある。

 日教組の教師が、跳ねっ返りすぎて懲戒免職を受けると、そういう職種に潜り込む。塾講師や家庭教師派遣なら思想信条も逮捕歴も問われない。
 そういう元日教組連中が、受験勉強を教えつつ、さりげないところで子供に反日を教える可能性は否定できない。

 親のほうも、子供が志望校に合格できれば「いい先生」なのだから、思想信条が左だろうが構わないであろう。
 少し個人的な思い出を書いてみたい。

 私は小学校のときに、家庭教師を親から押し付けられた経験がある。はじめは年長の従姉妹が東京芸術大学の大学生になって上京し、私の家にしばし下宿していたこともあって、勉強を教えてもらったのだが、その彼女が事情が出来てできなくなったからと、友人の早稲田大学の学生を紹介された。この青年は、私の母の郷里の人でもあり、従姉妹とも近所の友だちだった。

 早稲田の青年は人格的に非常に優秀で、勉強を教えてくれつつ、人の生き方も何かつけて教えてくれたものだった。とくに道徳的なことを強いるとか、叱るとかではない。教え方そのものが明るくて誠意があって、情熱的で…といったありようだった。
 もうその細かいことは忘れてしまったが、私は非常に多くのことを学んだ。1〜2年間だけの付き合いだったけれど、子供ながらに兄のように慕い、尊敬した。
 
 今にして思えば「旧制高校生」の良き伝統を体現していた青年だったのではなかったか。
 勉強しながらも点取り虫にならないありかた、なぜ勉強するのかを含めた学習、そんなことを算数とか国語とかを学びながら教わったのだと思う。後年、私が高校生くらいになって彼に手紙を送ったことがあって、感謝を伝えたら、彼から返事が来た。

 「あのころは自分でも手探りで家庭教師をやっていて、この小学生に正しい勉強のありかた、人の生きざまを教えるにはどうしたらいいかを考えていた。高校生になった君が、ボクの意図を十分汲んで感謝してくれ、立派な青年になったことを大変嬉しく思う。」
 とあった。

 南ク継正先生が『夢講義』のなかで、「ココロ」と「アタマ」の問題を取り上げておられる。
 「読者のみなさんの中学・高校での授業内容を思いだしてみてください。『ココロ』の授業より『アタマ』の授業だったでしょう。つまり、みなさんの『ココロ』に、社会的にではなく自分勝手に社会性をもたないままの『ココロ』を創ってしまっているはずです。だから勝手な個性を創出してしまっており、当然にそれに浸透された『アタマ』に育っているということなのです。」
 とまり、私の小学校のときの家庭教師は、「アタマ」と「ココロ」と合わせた指導をしてくれたのだと思う。

 小学校の教師は3人替わった。低学年の担任はシベリア抑留帰りの人で、思想は真っ赤っかだった。日教組だったのだろう。親が心配したほど私は左翼に染まった。しかし最も人間的には好きな尊敬していた教師だった。
 2人目は短期間で、冷たい教師だった印象しかない。3人目は卒業まで3年間世話になった担任で女性だった。

 この女性教師は成績至上主義に近く、私は成績は悪い方ではなかったがどうも合わない人で、嫌いだった。その分、家庭教師の早稲田の青年に傾斜して、影響を受けたのだと思う。親が家庭教師を付けてくれていなかったら、担任と気が合わずに小学校で落ちこぼれていたかもしれない。

 家庭教師は、今はどうか知らないが、当時は贅沢だったし、何か特別扱いされた子という嫉妬も周囲から受けた。別にわが家は裕福な家でもなかったが、親が子供の教育にカネをかけてくれたのだろう。
 子供仲間の間では、要するに、カネで家庭教師を雇って、勉強を教えてもらっている卑怯な奴と見られた。
 
 あるいは家庭教師がつかないと勉強ができないバカという思われ方もあったと思う。
 どうも肩身が狭かった。でも、私は早大学生の家庭教師のおかげで今日があると確信している。算数や国語のことなんか忘れてしまったが、彼の教えは今もどこかに生きているからだ。

 こんな昔話をしたのは、はじめの話に戻るが、今は「家庭教師の○○○」などと、派遣の家庭教師が盛んで、それを憂えてのことである。
 私が小学生のときに来てくれた家庭教師は、従姉妹の紹介で、それゆえ人間的に確かな青年が選ばれたと思うが、派遣の家庭教師はそうではあるまい。

 成績を上げる、有名進学校に合格させる、それだけが問われる。点取り虫をいいこととして教える。しかも、その教師が日教組崩れで何やら腹に一物持っているような人間である可能性があると来ては、子供にどんな悪影響が出るのだろうかと心配になるではないか。

 教師は、学校で担任もやりながらであれば、要は全人的に子供と関わる。一緒に飯を喰い、一緒に遊び、躾も行ない…となっているのに、家庭教師でしかも派遣では、受験勉強に特化している。
 子供も不幸、家庭教師も不幸と思われるのだが…。

 

posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(1) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「赤い人が家庭教師してるかもしれないので、そういう人は避けましょう」ということならその家庭教師が仕事が無くなって不幸になるのは自業自得ですよね。
Posted by たていと at 2016年12月16日 02:06
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