2016年12月19日

孔子も孟子も、デッチあげ(1/2)


《1》
 支那人は徹底した嘘つきである。食品、薬品、コピー工業製品、土木建築物、骨董、さらには領土、歴史、統計、国家間の条約に至るまでありとあらゆるものがウソのかたまり。それが骨の髄までしみ込んだ民族性である。したがって、彼らの書き残したとされる史料は、まったくすべてと言っても言い過ぎではないほどにウソ、偽造のかたまりであることくらいは承知していなければならない。

 それにしても、古代国家についても全部が偽造だったとは恐れいる。支那で最初の統一帝国とされる秦ですら支那人が創った国家ではなかった。秦の始皇帝はいわゆる漢人でもなければ、蒙古人でも匈奴でもない。
 とはいえ日本も朝鮮も、支那を嗤う資格はなく、書かれて信じられている歴史はウソが多い。それでも支那ほどはひどくないのでは、と思わせるほど、支那は全部がデタラメで、驚くほかない。

 今日の話のタネ本は、鹿島昇著『孔子と失われた十支族』(新国民出版社)である。この本は、私が浅学にして知らない古代の国家名や皇帝の名前が、次から次に出てきて、もうろうとさせられたが、それでも世界史がこうだろうと教わってきたものが、全部ちがうと分からされる衝撃はかなりのものである。世界史はユダヤがつくったと知ったときも衝撃だったし、日本の庶民がどんな生活をしていたかを八切止夫の本で知ったときもショックはあったが、鹿島昇の古代史考察にも目からウロコどころか目玉そのものが落ちるほどの激震であった。

 今日の主題である孔子は、実は本当はイスラエル人の予言者エリヤ(エリア、イリア、イリヤとも表記される)だったのであり、支那には孔子などという儒者は存在していなかったと言われて、みなさんはどう受け取られるだろうか? 端的には、支那古代の歴史をつづったとされる、例えば『史記』は、全部が偽造の書であって、すべてイスラエル地方の歴史、ずばり言えば『聖書』などの引き写しでしかなかった!

 『史記』は、あまりにも有名で、司馬遷が紀元前91年ごろ(前漢の武帝の時代)に完成した“歴史書”とされるが、大ウソなのだ。司馬遷は南朝イスラエルの(支那地方に亡命してきた)予言者が己のイデオロギーを説くために偽造したデタラメ本で、決して史実をつづった“歴史書”なんかではない。

 よくよく考えてみれば、司馬遷なる人物が一人でいろいろな史書を読んで、支那の歴史を書いたという話だが、そもそも彼が参考にした史書なんてものが、本物の事実を書いていたとは全く言い切れない。
 昔、作家・武田泰淳が『司馬遷』という小説を書いたが、泰淳坊主も見事に騙されたクチである。

 『論語』もしたがって、孔子は架空の人物だから、孔子がしゃべった言葉をまとめたものではなく、予言者エリヤの書なのである。エリヤの言ったことを書き留めたものらしく、それをいわば適当に翻訳したものが『論語』なのである。予言者エリヤは『旧約聖書』に登場する人物である。
 
 孔子(エリヤ)の弟子とされる子路はやはり予言者エリシャである。エリヤとエリシャはともにイスラエル地方にいたレプカ人の指導者であって、『論語』に「孔子は礼を説いた」とある「礼」とはこのレプカ人のことだった。
 儒教とか儒者というのは、つまり「じゅ」という音でわかるように、ユダヤ人を意味する「Jewジュー」のことである。「じゅ者」とは、ユダヤ人のことだ。ユダヤ人がイスラエル地方から支那にまで来ていたのである。

 鹿島昇は、支那人の古代史はすべてオリエント史を“借史”したものだと断定している。つまり支那の史書作成の目的は、儒者=ユダヤ人が儒教のテキストとすることにあった。歴史上こうだったのだからこうすることが正しいとか、こういう施政をやれば暗愚な皇帝といわれて排斥されるぞ、とかを分からせるためのテキストなのである。
 支那ではよく焚書が行なわれたが、これはよく言われるような前王朝を否定するというよりも、“借史”を隠すためだったそうだ。

 鹿島昇はこうしたオリエント史を支那史に移し替える手法を以下の譬えで説明する。
 「アメリカインディアンが、ある日クーデターを起こして白人を皆殺にしたとしよう。そして国家を作り、史書を必要としたとして、この人々が口伝した自族の歴史はもはや再現できまい。また指導者の多くはすでに白人との混血であった。そこで史官がアメリカにおける白人の文明史をすべてインディアンの歴史に書き換える作業をしたとしよう。自動車もジェット機もインディアンがつくったということになる。

 そのうちこの史官は、アメリカのアングロ・サクソン人が、ヨーロッパから渡来したことを扱うとき、蒸気機関車をつくったヨーロッパの歴史もまた、アメリカ大陸で起きたことにしたいと考えるかもしれない。突然、インディアンが自動車を発明したというのでは説明がつかないからである。また、もし地球が猿の惑星になったら、猿は人類の歴史を猿の祖先の歴史にするかもしれない。……このような過程が、秦の焚書のあと、漢の武帝が行なった史書作成までに生じたのではないか。
 司馬遷が王家の命に服して、バビロン、アッシリアの史書を中国史に書き換える姿は、彼に施された宮刑とともに悲痛なロマンがある。」


 さらに『孔子と失われた十支族』にこうある。
 「エリヤと孔子を比較すると、『旧約』にエリヤが登場するのは、イスラエル王アカブの前に“予言者エリヤ”が現れたのが始まりである。してみると、昭公時代の孔子に関する説話は、『旧約』に失われた部分であるか、または『論語』の作者が付け加えたものか、のいずれかである。

 また『旧約』は『アハブの弟ヨラム(悼公)が王となったあと、エリヤは弟子エリシャを従えて、死期をさとって遺訓を伝えたエリコを出て、ヨルダン川を越えた。そのとき火の車と火の馬が現れて二人を隔て、エリヤは大風に乗って天に昇った。エリシャは《わが父、イスラエルの兵庫よその騎兵よ》と呼んだが、エリヤは再び姿を見せなかった』と述べているが、孔子もまた火車に乗って昇天したとされている。
 ところが『旧約』は『エリシャはエリヤの死を看取った』と述べているが、『論語』は『子路は孔子に先立って死んだ』と述べている。中国の儒家は要人は長生きしなければならないと考えて孔子の命を延ばしたのであろう。」


 鹿島昇氏によれば、『論語』とは、アラム語で書かれたエリヤの書であって、『旧約聖書』の内容に酷似している。漢時代の儒者(ユダヤ人)は厖大なアラム文書から、政治に有益な部分を抽出して今日の『論語』に仕立てたのだと言う。
 「だからこそ『論語』によって人民をも支配することに成功したのであろう。『旧約』から『論語』を作ったのが漢王家に仕えた亡命ユダヤ人で、同じ人々が中国史を作ったとすれば、それがオリエント史の借史であることは決しておかしくない、むしろ当然なのである。」
と鹿島氏は断言する。

 鹿島氏は、「『旧約聖書』の大洪水からアブラハムに至る説話は、ユダヤ人のものではなく、おおむね先住民族のシュメール人やアッカド人の神話と歴史であった。『旧約聖書』の前半はオリエント史の借史なのである。」と言っている。つまり、ユダヤ人自体が流浪の民と化してユーラシア大陸を転々とする間に、都合のいいように自分たち民族の歴史を捏造してまわったということである。支那史もその一環であった。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(1) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いまある世界史の原典が、いつ書かれたものか、わかりませんが、すべてユダヤ人の作り事だと思います。近現代史はハザールですが、驚いたことに古代史も古代のユダヤ人によって改ざんされ、シュメール人フェニキアなどはすみに追いやられたみたいです。
このころから、すでにユダヤ人は、偽物だったのではないかと思います、歴史を盗んで成り済ました。
しかし、孔子がおっしゃる通りだとしても膨大な論語は、それだけだとは、思えないです。
唐の時代には優れた漢人がいたと思います。
Posted by 神戸だいすき at 2016年12月21日 06:55
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