2016年12月26日

言葉が遅い赤ちゃんは心配か?


 知り合いの母親から、子供が2歳になるのに話すのが遅いというボヤキを聞いた。心配な様子であったから、安心なさいと言っておいた。
 2歳になる子は「ママ、パパ」程度しか言わないそうだが、親のいうことは分かっている。

 こういう場合、子供が親の言葉がわかるのなら問題はない。知恵遅れや自閉症ではない。「ママ、パパ」と片言がしゃべれるなら、発声の問題もない。ただ遅いだけである。
 人間は、言葉を聞き分け言葉をしゃべる機能が、サルから進化して人間になる過程で努力によって獲得されてきて、それがDNAともなり、また口や喉などの構造もしゃべれるようになっている。

 また、赤ん坊のときから日本語をしゃべれば、口も舌もその言語と相互浸透して日本語化する。だから英語の発音が苦手になる。われわれの言語機能はこういう二重構造になっている。

 人間は、生まれつき話せるのではなく、教えられて言葉を話すようになるものである。日本人の子供でも、親がフランス語しかしゃべらなければフランス語しかしゃべらない子になる。
 2歳になってもまだカタコトしか話せないのは、構造も機能の整いもあるのに、母親を中心とした子供への働きかけが少ないのが主な原因である。

 母親が無口で、しゃべらない人だと、子供も話すのが遅れる。だんまりのまま母乳をあげ、黙々とおむつを替え、童謡も歌わずに寝かしつける…といった言語を介した交通関係が希薄だとダメである。
 母親は赤ちゃんに育児の喜びとともに、「○○ちゃん、おっぱいよ」とか「お尻ふきましょうね」とか「かわいいワンワンがいるね」とか、日常生活のなかでの単純な話しかけが、重要な言葉の教育なのである。

 なかにはどうせしゃべっても赤ちゃんにはわからないから、などと、話しかけない親がいるらしく、驚くほかない。
 絵本を見せて、お話しする。童謡を歌ってあげる。そういう働きかけこそが、人間の言語修得の過程である。

 そもそも2歳になる我が子が、話すのが遅いと思ったときに、やきもきすること自体が信じられないことである。医者に相談するのも、やむを得ないのかもしれないが驚きである。自分が産んだ赤ん坊がかわいくないのか? 毎日の育児が、歓びで満ちていて、幸せの絶頂と言う感情になっていないから、赤ん坊に話しかけたり、歌ってあげたりしないのだろう。

 おそるべき感情の薄さではなかろうか。つまり母親の育ちに原因があって、感情薄い人間になっている。おそらく、受験勉強に邁進してしまって、豊かな感性を育てそこなっているのだ。
 赤ちゃんは夫との愛情の結晶であり、自分の分身でもあり、理屈抜きの愛情を注げる対象であるのだから、赤ん坊が分かってくれようがなにしようが、働きかけ、話しかけずにいられなくなって当たり前である。

 だが、そうならない母親が出現するとは、いったいどういう社会関係なのだろうか。
 言葉は自分を表現したい、なにかを訴えたいという必要に応じて発声するものだと分かっていれば、自ずと親は赤ん坊との間にそんな環境を作らねばならない。言葉を話すのが遅い子の場合は、親がそんな環境を自ら閉じている、壊している、と思われる。

 例えば、子供が何かを欲するときに、親がパッとわかって「はい、これでしょ」とやってしまうことがある。赤ん坊の欲求とかある思いが、言葉になる前に「はい」と親が行動してしまうとか。赤ん坊は思いを言葉に変えることはすぐには出来ない、時間がかかるばあいもあれば間違えることもある。

 それをまどろっこしいとばかりに、さっさと親がやってしまう、手伝ってしまう、それでは赤ちゃんは自分から積極的かつ努力して話そうとしなくなる。
 ひどい親になると、子供が話しかけてくるのをうるさがって、叱ったり、無視したりする。これはいたく子供のココロを傷つけ、ココロを歪ませることにつながっていく。

 幼少期にそうやって親からココロを傷つけられた子が、長じて自分が親になると、赤ん坊に同じ目にあわせるようになり、代々歪んだ性格が連鎖していく。
 日教組や文科省がやった「個性大事」と「受験重視」の方針による戦後教育がもたらしたものは、こんな育児にも現れてきている。

 感情豊かに育っていない親が、感情薄く育児をやらかし、その子が学校に入って教師に感情薄い教育を施され、無惨な成人となり果てる。

 今年はとりわけ保育園の「待機児童」問題が騒がれた。「保育園落ちた、日本死ね」というセリフを吐いたバカ親が話題になって、それとつるんだ民進党や共産党が、自民党が悪いと文句を言っていた。
 たしかに保育園に入れないのは問題であるが、入れないならそれをチャンスに変え、親は自分の手に置いて育てられるではないか。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(3) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「個性大事」で教育すれば自分の子は個性的だという考えになりそうですがどうでしょうか?
冗談は別として、英語は覚えるのが簡単らしく英語圏では早くから言葉がしゃべれるようになるそうですね。それと比べて日本語は遅いという研究はあるようです。
日本人同士で遅い早いは、同調圧力だと私は思います。
Posted by たていと at 2016年12月27日 13:41
はい。うちの孫は3歳になっても、片言しかはなしません。私の子供たちは、早すぎるぐらい早くに喋ったので、驚いて、だれかれなしに「孫がしゃべらない」と、訴えると、すべての相手が「うちの孫も」「うちの息子も」「知人の子供も」と、言うんです。
全部、男の子で「耳も聞こえている、言われていることも理解している。でも、かたことしかいえなかった。でも、大丈夫、かならず、喋るようになります」

じゃあ、うちも、そのうち、喋るんだね。

そもそも男性は、何歳になっても、コミュニケーション能力は、女性より劣っている。

最近は、おむつが3歳になっても取れないのも、珍しくない。

結局、子供の環境の変化が、発達の変化になって現れたわけですね。

おっしゃるように「言語環境がとぼしく、母親からのインプットが少ない。喋る訓練をさせてもらっていないので、発音機能が発達しない。」そういうわけで、喋れないんですね。

子育てが楽しくて、語りかけずに入られない母親の子供とか、じいじやばあばが、そばにいて、会話があふれている環境では、そうはならないのですが・・・家庭も、母親の育ち方も、昔とは違うので、この傾向は、ますます、多くなると思います。
Posted by 神戸だいすき at 2016年12月28日 14:29
たていと様
急いてはことを為損じる、ですよ。
Posted by たていと様へ(ブログ筆者です) at 2016年12月28日 15:59
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。