2016年12月21日

武人の誇りを想う


 本稿は、2009年10月27日に関門海峡で起きた、海上自衛隊の護衛艦「くらま」と民間商船「カリナ・スター」(韓国籍)が衝突、双方とも炎上した事件を取り上げて旧ブログに書いたものである。
 事件をネタにしているが、「武士の魂」がテーマになっており、それを見事に指摘しているわが道場のM参段の見解を埋もれさせておくのはもったいないので、再録するものだ。

 もうだいぶ忘れられた事件とは思うが…、海上衝突事故の被害は「くらま」のほうが大きく、船首部分が大破した。
 この件について、わが空手道場のM参段に、感想を尋ねたところ、返ってきた返事が以下である。彼は「カリナ・スター」のことを「キムチ号」と呼んでいる。

     *     *
 (引用開始)
 いずれ裁判で明らかになるでしょうが、港則法違反はキムチ号であることはすでに概略明白の様子です。
 この狭い水路(追い越し禁止区域と思われますが)で10ノット以上など、追い抜くためとしても危険な高速であり、無理な追い越しと一般的に考えられるスピードです。
 管制にも責任はありますが、最終的には船長の責任であり、航空管制と違い、管制にはこの場合権限はないのではないかと思います。
 単なるサービス行為かどうか不明です。

 明治以来、法さえ整備すれば事故は減ると考える古い法哲学は、屋上屋を積み重ね、人間の暗記能力を超えた施行規則の数となっており、もはや不慣れな外国人には自力航行は無理であり、日本人水先案内人の独壇場でありますが、彼等も己の目視と経験に頼り、管制の強制力と訓練が必要な業界事情と思います。

 あまりに航空に比べ、衝突事故が多いのです。レーダーとGPSが発達した今日、主要港は強制管制を開始すべき時期と思います。
 人間はミスを犯すことを前提とした、安全対策が必要と思います。伝統と慣習とプライドに縛られており、海技試験も法体系も大きな変化がありません。

 艦船は船首部分の余白を倉庫として使うことが多く、当然ペイント類は戦時には一切の可燃物と一緒に陸上に降ろします。
 この点の徹底は日米の艦船はヨーロッパの諸海軍より太平洋における過去の戦訓は徹底しており建造時からして、木造部分などほとんどありません。
 大和出撃の際もイスやテーブルなどの可燃物は全ておろし、状況によっては艦のペイントまで剥がして出撃しています。

 ただダメージコントロールは各国海軍の見せ場であり、被弾被雷に際しての火災訓練は、各国海軍の実力の内と測られ、なんとしても自力で消火すべき所でした。世界は注目していたでしょう。
 大名屋敷の出火に町火消しの手は借りられぬこと、武士の誇りであり、軍人としてはなんとしても保安庁の手は借りず、自己完結すべき状況であったと思います。安全第一は商船なら当然ですが、火災の規模と勢いに艦長としては安全サイドを取ったものと思います。

 なんにせよ、軍艦としては大問題であり、今後は平時であっても艦首前方後方への衝突を考慮し、揮発性可燃物の搭載は規制されるでしょう。
 ソウルではキムチ号の快挙を祝う提灯行列が行われたことでありましょう。艦首に菊の御紋がなかったことは不幸中の幸いでした。陛下の御艦なら切腹でありましたね。軍隊と自衛隊の違いでありましょうか。
(引用終わり)


     *     *

 さすがM君は古今東西の戦史に詳しい。感嘆した。不勉強なマスゴミ記者にはない鋭い視点で見ている。それが艦自力で消火すべきだった、との見方である。

 また、「大名屋敷の出火に町火消しの手は借りられぬこと、武士の誇り」の一節にも皆さんは目を瞠ったのではないだろうか。こういう日本人のスピリットに関しては、敗戦後は地に墜ちたのである。
 子どもには英語なんか教える暇があるなら、こういう日本人の魂を教えねばならぬ。

 さらに、M参段からは追伸がきた。阿修羅掲示板に「くらま」が軍艦のくせにコンテナ船より船首部分の強度がないのかと嘲る投書があったが、それへの注釈である。それが以下。

     *     *
 
 (引用開始)
 護衛艦も一般商船も同じく、艦首船首艦尾船尾付近は対波構造で強く造られた特別構造(パンチング構造と言います)になっていますが、衝突ではひとたまりもありません。イギリス艦では犯罪者反抗水兵などの独房になっており、波で打たれる太鼓の中の“快適”生活です。
 構造は20〜25ミリ程度の鋼材の骨組み合わせに過ぎず、昔の軍艦も突撃用のラム型艦首の頃は今より強度はあったでしょうが、日露戦争前には廃止されています。

 現在の護衛艦に相当する旧海軍駆逐艦でも、当時の15トン程度の中型戦車ですら搭載は無理だったと思います。甲板強度がありません。
 現在の50トンを超える重戦車を搭載できる船舶など、各国とも保有数はたかが知れています。中国海軍も同様でしょう。
 (引用終わり)

     *     *

 まったくイギリス海軍は船首部分が独房になっているなどと、なんでも良く知っていること! 

 さて。
 「陛下の御船なら切腹」とM君は書いているが、当の陛下が敗戦時に生命惜しさに戦争責任を回避して、ぜんぶ東条英機におっかぶせた、あの見苦しい振る舞いゆえに、日本人は無責任になっていったと私は思う。そこが天皇家や公家どもと、武士の魂の違いである。
 まさに昭和天皇とその側近どもは、天下人たる「誇り」をかなぐり捨てて、「大名屋敷の出火に町火消しの手を借りる」ごとくに、戦争の責任を陸軍上層部になすりつけたのであった。

 まさか昭和天皇がそんなことを、と疑う人は、豊下楢彦著『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫)を読まれたい。
 昭和天皇はマッカーサーとの11回にも及ぶ極秘会談で、何を言ったかを見事に検証している。
 有名な第1回目の会見で、昭和天皇がマ元帥に言ったとされる言葉、「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねる」「一身はどうなっても…責任は私にある」などと語ったとされ、人口に膾炙しているセリフは、大ウソである。

 それは当たり前で、第二次世界大戦はまるごと言ってみれば連合国や枢軸国の「八百長芝居」であったからだ。始めから天皇は免責される手筈なのだから。

 国家のトップが、ただ戦犯容疑を負わされることから逃げたいために、自分は知らぬ存ぜぬを言い通して、罪を陸軍幹部に負わせたのだから、下々が魂をなくすのは当たり前であった。
 歴代天皇と公家が無責任で通したなか、唯一、南北朝時代の光厳天皇だけが立派に責任を取ったのだと、本ブログで以前紹介した。

 つまりは、M君の言う「大名屋敷の出火に町火消しの手は借りられぬこと、武士の誇り」の一節を自らも体現した、唯一の天皇が編んだ和歌集だから、『風雅和歌集』は日本古典文学の金字塔なのである。
 現代の天皇家にとっては、光厳天皇のような方が脚光を浴びては困るのであろう。だから南朝正閏説をとり、北朝・光厳天皇の偉業を国民に知らせない。

 M君のこの「武士の誇り」が大きく欠落して、サラリーマン化しているから、今回の海自護衛艦の“他力消火”の一件が起きる。
 江戸時代の武家屋敷が火を出したら、いわゆる町火消しには頼れないのだから、いかに日々隙を見せない生活を律していたかがわかる。護衛艦にはその緊張感がないのであろう。

 家屋敷から絶対に火事は出さないという緊張感ある生活を送っていた武家ゆえに、庶民にも尊敬されたはずである。花嫁修業をさせるなら武家屋敷に奉公に行かせたいと、庶民が願ったのもうなずける。だが、今なら、そんな窮屈なバイトなんか嫌だわ、となってしまった。

 そして自分だけ早く行きたいと、勝手な船の運航をして、他の船にぶつけてしまう韓国人の「キムチ号(カリナ・スター号)」に象徴されるように、日本人も彼ら在日と相互浸透して、「誇り」を失ってしまった。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする
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