2017年01月07日

弁当の「楽園」


 しばらく前に、人間の顔をとりあげたときにNHKの「サラメシ」という番組のことを書いた。いろいろな職場の日本人の顔がみんないい顔をしている、と。
 それだけでなく、あの番組では人の弁当を見るのもひとつの愉しみである。どこかの店のランチでも構わなくて、商品でも飾りつけを見るのも楽しい。

 たぶん、日本人なら人の弁当を覗かせてもらうのが好きではなかろうか。昔は、家が貧乏でおかずが貧弱なため、隠しながら教室で食べた…なんて話も聞いたけれど、今はめったにそんな悲劇はあるまい。
 お母さんが子供のために弁当をつくるときに、栄養も考えるが、見栄えも良く考えてくれるのは、常識であろう。

 お金だけもたせて、コンビニ弁当や出来合いのサンドイッチを買わせるなんて言語道断であり、母親失格だ。
 教室なり職場なりで、人の弁当をみさせてもらうのは、「おいしそうなもの」を見るのが好きだからだし、お母さんや奥さんの愛情の表現を見るのが好きだからではなかろうか。

 よくスマホで弁当の写真を撮って保存している人がいる。みんな思わずニコニコしてくる。それくらいみんな弁当を見るのが好きなのだ。
 NHKは潰れろと日ごろは思ってはいるが、その意味で、「サラメシ」はいいところに目をつけた番組であった。ナレーションをやっている中井貴一のテイストもはまっている。みんな実は人さまのおいしそうな弁当を覗かせてもらうのが好きなんだという気持ちを、中井は分かっている。

 外国にはそれぞれ食事を楽しむ楽しみ方はあるだろうけれど、日本では昼飯のときに、自分のお母さんがつくってくれたおいしい弁当も楽しむだけでなく、友だちの弁当や、会社の同僚の愛妻弁当を覗いて「おいしそう!」と言いあうのも大きな楽しみとなっている。
 梅干しの海苔を巻いたおむすびであっても、それを包んであるラップや銀紙ですら、愛情込めて大事そうに包まれているのを見るのだって、嬉しいものだ。おかずがなくても、である。

 これは後世に伝えたい良い習慣である。
 以下は元ジャイアンツの投手だった桑田真澄氏の著書にあったエピソードである。

     *     *

 中学時代のお弁当の時間のことだった。
 「桑田君、早くお弁当を開けてぇよ」
 「なんでやねん!?」
 「いいから、早くあけてよ。桑田君のお弁当が見たいんやから」
 包みをほどいて、蓋を開ける。空腹だから、早く食べたいのだけれど、みんないつまでも覗き込んでいるから、なかなか箸をつけることができない。

 「いつ見ても、きれいだなあ。桑田君のお弁当は」
 みんな僕のお弁当を見るのを楽しみにしていた。
 当時カメラ付き携帯電話でもあったら、みんなが写真のおさめたがり、僕はさらに箸をつけるのが遅くなったかもしれない。今でも、そんなふうに思うぐらい、毎日、騒ぎになっていた。
 事実、母のお弁当は大好きだったし、きれいで愛情がたっぷり詰まっていた。

 ゴマで「ファイト」、紅しょうがで「がんばれ」と書いてあったこともあった。
 母は夜遅くまで家事をしたり、内職していた。それでも、早く起きて姉弟三人のお弁当を作ってくれた。
 いつも愛情がたっぷりのお弁当で、今でも鮮明に覚えている。

 僕の家は、あまり裕福な家ではなかった。だから、ユニフォームもソックスも、つぎはぎだらけ、それでも、駄々をこねることはなかった。
 それはある日の朝、いつもより早く起きたとき、僕は母親がソックスを繕っている姿を見たからだった。夜、僕たちを寝かしつけてから、ユニフォームを洗濯して、乾かして、それから繕って……そんな作業を徹夜してやってくれていた。

 僕は母親のその背中を見たとき、「オレは堂々としなきゃあかん」と思った。
 チームメイトに「なんやお前、その靴下は。きたないのうー。やぶれとるやないけ」とからかわれても、
 「ええねん、これでええねん、野球がうまかったら、それでええねん」と言い続けた。

 そして「将来、オレが絶対おかんのために家を建てて、楽さしてあげるんや」と、心にそう決めていたのだ。
 母の愛情を身体いっぱいに浴びて、僕は野球に打ち込むことができた。
   (『心の野球』幻冬舎文庫より)

     *    *

 桑田投手の常に努力する生きざま、性格の良さはこうして母親が作ったのである。彼はプロに入ってから、マスゴミによってダーティなイメージを作らされたが、私は彼の顔つきから、悪いのはマスゴミだと確信していた。

 桑田氏が挙げている中学時代の教室の様子は、実に美しいと言ったらいいか…。弁当一つで、教室の、友人関係の一体感を作りだすのだからたいしたものである。それぞれの生徒の関係だけでなく、それをそれぞれの家庭も支えているし、全体で「学校」なのだ。
 NHKの「サラメシ」のその代替であろうか。弁当を仲立ちにして私たちは良いコミュニケーションを創りだしている。

 学校では給食、職場では社員食堂、それも悪くはないが、やはり弁当を持ち寄っていっしょに広げて食べることが、どれほど人間形成に役立っているか、ではなかろうか。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(1) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
最近は、中学校も給食(弁当を購入)になってしまいました。お弁当を通して、母と子の心が通い合うことも消えてしまいます。

本当の教育とはなにか、その立場にある人の頑固すぎる頑固さが望まれますね。

さては、コンビのように言われた清原氏は、桑田さんのような立派な母を持てなかったのでしょう。

いい大人とはいえ、母の偉大さは、まさに、中年からの子の生き様に出ると思います。

厄年を終えた、息子のこれからの歩みが、私の子育ての成否を見せるかと思うと、緊張します。

ちなみに、お弁当のデザインは下手でしたもんね。私は。毎日、つくりはしたけど。
Posted by 神戸だいすき at 2017年01月07日 18:09
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。