2017年02月01日

徴兵制を復活せよ(5/6)


《5》
 国民皆兵にすれば経済衰退も考えられる、という意見もある。20歳くらいの青年が兵役につくことをもって、労働力が減り経済衰退すると言いたいのかもしれないが、私はかえって青年が健康になるし、組織につくすことを学び、集団力が発揮されるようになるから日本の生産性はあがると思う。「損して得とれ」である。

 「戦争は一部の指導者と財閥が金儲けのためにやるものです。どんな事があろうがやってはいけない」
 これも冒頭に述べたように、言われることはよくわかる。それに限定するならば、私とて戦争に反対である。当たり前だ。

 「アメリカ追従での改憲及び徴兵制は危険すぎる。国防のためですらないのに、とばっちり戦争で日本の若者を死なすなよ」と言う方もいるが、徴兵と言っただけでどうしてそこまで飛躍するのか。私もブログでアメリカ追従での改憲と徴兵制は反対だと言っている。

 だからといって、日本は軍隊を持つべきではないと飛躍するのは、かつての社会党(現社民党)の主張と同じだ。社会党=社民党は北朝鮮や韓国、支那と組んで日本を衰退させようとしてそういう愚劣なキャンペーンを張ってきたのだ。だからさすがに日本人はそんな馬鹿げた主張に耳を貸す人がいなくなった(まだいるが)。

 戦後、戦争絶対反対を主張してきた人たち、なかんずく社会党や共産党、朝日新聞、NHK、岩波書店の連中は、日本国民の利益や主体性よりも共産国(ソ連、中共、北朝鮮)や韓国の利益のために、再軍備反対を言ってきたのだ。彼らはソ連や中共などに指示されて、日本の軍事力や日本人の主体性を殺ぐことを狙いとしてきたのは事実である。日本がまともになり軍事力を持てば、ソ連や中共に不利になるから、脅威になるから、それを阻止するために「戦争反対」「再軍備反対」「旧日本軍が侵略し、悪逆非道をやった」と宣伝してきた。

 なにも平和を望んでのことでも、日本人を戦場に送らないためでもなかった。ただソ連、中共、韓国などが有利になるがため、それが目的だった。それに自衛隊自身も、世の中に戦争絶対反対の声があれば、自分らは危険な戦地に行かずにすみ、のうのうと税金で食っていけると思ってきた。これぞ真相である。その社会党、共産党の宣伝に騙された人がいただけであった。

 「人間形成のための訓練なら別に徴兵ではなくても、学生の社会活動なり方法はいくらでもあるのではないですか」と反論されていることに対しては、これはもうさんざん書いた。しかし「結局、国民が利口になるしかないですね」という意見には賛成である。私にとっては、徴兵で誰もが軍事知識を持ち、銃くらい撃てる実力を持つことを含めて「利口になる」べきだと言っているのだ。利口の中身が問題である。

 一つ二つ補足しておけば、以下のようになる。
 われわれは小学校のときから、知識習得で育てられる。実体にからめて学習する機会はほんのわずかで、それも中学、高校と上級学校へいくほど知識オンリーになる。例えば生物でいえば、対象の例としてアサガオがある。小学校ではアサガオを栽培させて日記をつけさせ、アサガオという実体を生で実感して理解する学習がなんとかなされる。

 それが、中学、高校に行くと、アサガオを見た事もないのにその成長過程を本だけで教えられ、暗記させられるような教育になっていく。アサガオは実体であって、知識ではないのに、いわば本を眺めるだけで生物を味わった気分になって大学へ進学する。これは空手をやったことがないのに、空手の写真だけ見て自分は空手を知っていると思うようなものだ。

 そういう実体抜きの知識習得を勉強だと思って、生の実体を味わえないアタマになる。そうでなければ大学は合格しない。これが「対象の構造に関わることを拒絶するアタマができあがる」とわが流派では解かれる。乾電池を作ったこともないのに、電気がわかったつもりになって、電気抵抗の答えは出せるアタマである。
 こんなアタマのまま大学を卒業して会社に入る。だから新入社員は使いものにならないと、どこの会社でも嘆いているではないか。それも一流大学出ほど使いものにならない。

 現に、私が昨日のブログで、インカ帝国やチベット、イラクなどの歴史を学ぶべきだと説いたけれど、世界史の学習をみんな知識で暗記しただけだから、白人キリスト教徒どもが非道のかぎりを尽くして、世界中の民族を殺してきた歴史が理解できていない。そうやって虐殺されてきた人々の立場に観念的に二重化できない。
 歴史が一方で血なまぐさい死臭を放っていることがわからない。何の事件は何年におきた、そのときの国王は誰で、次の王朝は何で…と暗記しただけではないか。これが人間の歴史を実体的に捉えていない証拠である。長年の知識習得のせいで、対象を実体的に捉えられないアタマになっている。

 それをせめてまともな実体を反映できるアタマに創りかえる人生最後のチャンスが20歳前後での軍隊教練過程だと、私は説いてきた。われわれが関わる対象はアサガオであれ恋人であれ、乾電池であれ、生身なのであり、色もあれば匂いもある、それになにより運動している。すなわち発展したり変化したり、腐ったり、好きになったり嫌いになったり、もろもろ変化(運動)している。その構造を捉えたものが弁証法である。対象の構造に弁証法性があるのだから、われわれが対象の構造にみあったアタマを創るには、弁証法が必須なのはそういうわけがある。

 弁証法などとむずかしいことを言うほどのことはなくても、われわれは外界の生々しさやみずみずしさを捉える教育を受けずにきて、知識ばかりの無味乾燥なものを受け入れるアタマになってしまうのだ。それをまともな脳細胞に変えるチャンスはいったいどこにあるのか? 徴兵制より教育にカネを使えという方には、教えてもらいたいものだ。どこに外界を正しく認識させる教育過程が存在するのか。それは兵役ならば可能ではないかと、私は提案している。

 軍隊ならば非常心の養成にもなる。平常心と非常心の違いについては特に説明しなくてもわかるだろう。詳しくは南ク継正先生の著作を読んでいただきたい。

 12月26、27日にわたって紹介した機長M君の「制服雑感」はその非常心の養成を説いたものである。それにM君が説いたように、自衛隊では外出時に、爪は切ったか、ティッシュは持ったか、身だしなみはいいか、などチェックされるとあったが、あれこそが実体に関わっての学習である。士官たるの精神を本で読むだけではなくて、実体を通して学習しているのだ。ミスをすれば殴られるという緊張感のなかだから、なおさらいいのだと説いている。現今の学校教育ではそれは望めない。なにせ体罰禁止なのだから。

 私の提案に反対するのなら、かかる教育・学習の中身をふまえて反論されるべきではないか。
 私が徴兵制を敷くべきだと言っている中身は、認識の形成過程の構造を踏まえている。弁証法でいえば、物事には必ずプラス面とマイナス面があるのだから、徴兵制にもプラスとマイナスがある。その両方に目配りしたうえで、論を述べているのだ。

 マイナス面だけ見れば、いかにも戦争は悲惨で、人が死に、あらゆるものが破壊される。だが、古今の戦争を見ても戦争があったからこそ人類の歴史が発展したというプラス面がある。とにかく絶対反対で聞く耳は持たぬというあり方は、まさに対象の構造をちっともわかっていない人間の戯言だ。マイナスはできるだけ少なくしてプラスを伸ばすことこそ弁証法活用の要である。
 
 反論ばかり取り上げてきたが、「今回の記事、しびれました。もし実現したらと思うと、どれだけの若者がどれほど立派になり、社会が変わるかと、ドキドキします」と言ってくださった方もいるのだ。きちんと私の文章の主旨を捉えてくださっている。
 私に徴兵反対を言ってきた方は、結局自分の感情と問いかけ的認識だけを大事にして、反発しているように見える。 

 ベンジャミン・フルフォード氏のブログ(12月27日付)に以下の文言があった。
 「先日、外国特派員協会で9.11の記者会見を提案しました。支援するジャーナリストが圧倒的に多かったのですが、中には猛烈に反対した記者も何人かいました。『馬鹿げてる』、『頭がおかしい』という言葉だけで、理由を述べない。「事実をもって議論しよう」というと皆黙って逃げてしまう。」

 9.11の記者会見(アメリカの陰謀だとするものだろう)に猛反対する人に反応は、戦争絶対反対を言う人に似ている。徴兵制なんか馬鹿げている、軍備復活を言うなんて頭がおかしい…そういう反応が返ってくるからだ。9.11がイスラム勢力のテロだと信じている人も含めてこういう人は、自らの「問いかけ的認識」を疑ってみることをしない。自らの問いかけを事実で、論理で検証しない。それでも今回とりあげた方々は、それなりに自分の意見を述べてこられたからお答えした。いくつかの反発はただ「お前は馬鹿か」だけだった。

 戦争反対も結構だが、「何がなんでもいけない」というのでは、議論にならない。知事時代の東国原が一言言っただけで、発言する事自体を封じ込めようとするのは、ルール違反である。東国原発言を軍国主義復活に通じるから撤回しろと言う人も、ルール違反だ、彼はそうはいっていない。言ってないことにまで飛躍、敷衍して罵倒するのはアタマが狂っている。

 相手の意見は十分理解し、論理で反論するべきである。「お前の意見のこういうところは、かくかくの理屈で間違いだ」というように反論はするべきだ。聞く耳は持たぬ式の反発は幼児性である。私は少なくとも、それなりに意を尽くして自分の論を展開している。それを単純にバカ、アホと罵るだけの方には何度も書くが、返事はしない。私と異なる意見でも、きちんと説明してくだされば、対応する。


posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする
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