2017年02月06日

アボリジニ題材の映画を観つつ


 アボリジニを題材にした映画は少ない。オーストラリアの白人が、テメエたちの汚辱の歴史を隠したいからだろう。
 『裸足の1500マイル』(英: Rabit-Proof Fence)は、実話に基づいた2002年作のオーストラリア映画である。原作の小説は、アボリジニの少女だった作家が実体験をもとに描いたものだ。
 
 1931年のことで、当時オーストラリアでは、先住民アボリジニ女性との混血児を家族から引き離して隔離して育て、長じて白人男性と結婚させ、その子をまた白人と結婚させて…しだいに遺伝子を薄くさせ、白人社会に適応させようとしていた。
 その無慈悲な隔離・同化政策が、彼ら白人にとっては善意の発露であり、キリスト教の教えに沿うものと考えられた。

 それ以前の100年間は、イギリスが本国の囚人と移民とを新大陸オーストラリアに送り込んだ。釈放された性悪イギリス人どもは、先住民アボリジニの土地に入植者として侵略していき、アボリジニを狩猟の対象として弄んだ。アメリカに移ったキリスト教徒どもがインディアンにしたことと全く同じ。

 国家を形成せず、軍事力を持たなかった先住民はなす術がなかった。白人はそういう卑劣な野蛮人なのに、我が国の能天気な連中は
憲法前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」との文言が、そもそもウソで、公正と信義などあり得ないことを認識しようとしない。白人が「平和を愛する諸国民」だってか?

 オーストラリアに流刑にされた白人は、アボリジニをカンガルーを狩猟するように殺しまくり、犯しまくった。犯した末に、混血の子供たちが大量に出て来ると、強姦の事実を隠蔽するために、保護法を作って、同化(させる)政策をとるようになったのである。保護とは名ばかりで、アボリジニの生活を厳しく規制した。

 この映画の英語の原題はRabit-Proof Fenceであって、訳せば「ウサギを通さない垣根」である。これはオーストラリア全土の張り巡らされたフェンスのことで、白人入植者どもが農地で野菜を栽培するために、荒野のウサギが侵入してこないようにするため、高さ1メートルくらいの金網の囲いである。
 それが南北や東西に何千キロと続く。

 野生の動物にとっても、先住民にとってもこんなフェンスは迷惑この上ないものだったろうが、オーストラリアでは知ったこっちゃなかった。
 
 映画の概略を紹介する。
 オーストラリア政府は、各地のアボリジニ居住区で、男と女を共同で生活させなかった。女たちは子育てをしつつ、それでは食っていけないから、政府は配給所をつくり、配給日を決め、衣服、小麦、砂糖、お茶などを配った。男にはどうしたのかは映画ではわからなかった。
 こうやって「保護」と称して、先住民の古来の生活を壊し、自立できなくして、白人に頼らざるを得ない状態にした。

 第二次世界大戦後の南太平洋の島嶼、戦争前は日本の信託統治だった島は、米軍が占領すると、農地も工場も破壊して、自立した生活を不可能にし、「保護」と称して、衣服や食糧を無償で配り、隷属させた。日本統治時代には、農業漁業などで働くことを覚えさせようとしたが、アメリカは、只で生かしてやることで、反抗できなくさせ、軍事基地を置いた。

 やることが同じである。
 アボリジニ保護局長ネビル(白人)は、西オーストラリア州の監督官として、混血アボリジニの子供を親から引き離し、収容する権限を持っていた。
 アボリジニの女たちは、配給日に配給所に集まってきては野宿し、配給を待っていた。

 ネビルら白人はそこに親と一緒にやってくる混血の子を待っていてさらっていくのである。
 母親も子供も激しく抵抗するが、白人どもは「これは法律で決まっているから」とか「命令だから」といいながら、子供を拉致していく。

 収容された子供たちは、キリスト教に染められ、白人に従順な子に育てられて、やがて女の子は白人のメイドに、男の子は労働者にされてゆく。英語をしゃべるよう強制され、原住民の言葉は禁止される。それを収容所のシスターどもが鬼の形相でやらかす。
 食事のときは、「すべてのものに感謝します」「食べ物に感謝」「やさしい世界に感謝」と唱えさせられる。

 やがて少女たちはメイドにだされた家で白人男に強姦され、何代かそんなことをやれば原住民の特徴的な黒い色は消滅すると信じられ、アボリジニは人種的に消える。よってオーストラリアは堂々、白人国家になる。
 まあ、ナチがユダヤにやったこととたいして変わらない。

 混血児のなかでも色の比較的白い子は選抜されて高等教育を受けさせるため、学校に行かせる。理由は、白い子は黒い子よりアタマがいいからだ、と。
 ネビルは言う。「義務、奉仕、責任、これがわれわれのモットーだ。野蛮は良くない。だから新しい世界の決まり事をアボリジニに教える」と。

 シドニーのオリンピックのときに、オーストラリアは原住民との和解を演出したり、アボリジニ出身の女性を短距離走の選手として出場させたりしたが、あの女性も混血であった。悲しい歴史があったのである。

 映画では拉致された主人公の女の子は、8歳の妹と10歳の従姉妹を連れて収容所を脱出し、ウサギよけのフェンスだけを頼りに2400km離れた母の元に帰ろうと決死の逃避行を始める。それをネビルは嗅覚の優れたアボリジニの追跡官に追わせる。

 現在の世界は、やはり欧米の白人が軍事力で世界を抑え込み、金融で支配してほしいままにしている。これを救うには日本しかないとは思うが、日本にはそうはさせまいとする勢力(反日)が邪魔をする。
 媚中・副島隆彦は日本は世界基準に従えと言うが、その世界基準はかかる白人がアボリジニにやった施策と同じことである。

 また支那や韓国は、白人側について、世界基準を持続させようとしている。世界が待っている日本は、四面楚歌のままである。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(1) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
鬼畜の白人、そんな連中が偉そうに、説教するのですから、世も末です。
Posted by 政界ウォッチャー三十年 at 2017年02月09日 07:03
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