2017年02月14日

林秀彦『日本人はこうして奴隷になった』を評す(1/2)


《1》
林秀彦の『日本人はこうして奴隷になった』(成甲書房)が発刊されたことを当時まだご存命だった太田龍氏の「時事寸評」で、知り、さっそく読んだのは2008年のことだった。
 太田氏は「日本民族有志にとっての必読の著作」と持ち上げつつも、「時事寸評」の中では、イルミナティの日本包囲網の中の、もっとも弱い環は、医療、医学の領域である、という問題が林秀彦氏は全く視野に入って居ない、と断じている。

 これはそのとおりであって、林さんはその2年後2010年に亡くなっている。
 もしも林氏が医療・医学の領域に関してイルミナティの策謀が視野に入っておられたら、健康分野でも十全に戦い、僭越ながら氏の抱える病はなかったやもしれないと、当時慨嘆せずにいられなかった。

 私は林秀彦氏のファンで、その著作はほとんど読んできている。だからあのとき『日本人はこうして奴隷になった』が読めることは感謝した。しかしその前の作『この国の終わり』で、「この命、最後の本」とまで言って、二度と本は書かないのかと思わせておいて、また書くと言うのはいかがなものかと思ったものだった。

 『日本人はこうして奴隷になった』は前半がやや具体が不足し、感情的に怒っているばかりのように思えたが、後半の氏の専門であるシナリオ論と日本人論を合わせて論じている部分は、この著作の白眉というべき内容だと思われ、そのあたりから具体もよく説かれ、日本を憂える情熱と真情に圧倒されたものだった。
 太田氏が「日本民族有志にとっての必読の著作」と言うのもむべなるかなだった。

 あくまで林秀彦氏は作家である。作家として日本人のダメになっていくさまを、認識を主たる対象として鋭く見つめる視線に嘘はない。しかし、しきりに岩波の「広辞苑」を引用して言葉の説明をされると、そのたびにしらける。自虐史観を批判している林氏なのだから、「広辞苑」は自虐史観の優等生であって、あれほどデタラメな辞書はないと、もう「定評」になっているのだ。渡部昇一氏と谷沢栄一氏の共著『広辞苑の嘘』くらいは読んでおくべきではなかろうか。もう「広辞苑」は使えない辞書である。

 以前から気になっていたことは、「右脳左脳」の創案者・角田忠信氏を絶賛するのも、どうかと思う。脳機能局在論は間違いであるからだ。やがて「右脳左脳」は嘘だったことがはっきりするだろう。そんな愚論に依拠しなくても、日本人の認識と白人の認識がまったく質が異なることは明らかである。そしてその理由は、認識は対象の頭脳における反映であるという(唯物論の)原理原則から解かれるべきである。林氏に弁証法がないのが惜しまれる。

 計量遺伝学などというニセものにも興味を示されている。知力、知能の80%は親から子への遺伝によって決定されるという説であるが、これも林氏が作家だから(学者でないから)やむを得まいが、誤りである。これでは観念論だ。すべて後天的に、教育されて創られるのだ。厳しい言い方をすれば林氏がオーストラリアに逃亡されている間に、日本では世界最高レベルの学問が形成されたという事情に疎いからである。林氏がオーストラリアに逃亡したくなった心情はよくわかるが、その代償も払わねばなるまい。

 林秀彦氏は日本人が単一民族であると思っておられるようだが、それはいかがなものか。たとえば顔の、鼻なんか実に千差万別で、鍵鼻あり、団子鼻あり、尖っているのありではないか。単一ではないから、としか考えられまい。
 また、八切止夫の〈庶民史〉をご存知ないとみえる。なんどか本ブログで説いてきたが、日本人の80%くらいは奴隷であったし、さまざまな民族がごちゃ混ぜになっているのだ。そうでなければ、何の産業もない江戸に百万もの人口が集中した理由が解けないし、明治以降に大量の移民が海外に〈棄民〉された理由も解けまい。

 最近知ったことだが、伊藤正敏氏の『寺社勢力の中世』(ちくま新書)によると、中世の日本は、天皇・貴族、武士、そして寺社勢力の三つに権力が分かれ、三つどもえの戦いをしていたというのである。そのなかの寺社勢力はほとんどの官許歴史では無視されているけれど、土地、経済(商業、運輸)を握っていたのは、比叡山、興福寺、本願寺などの寺社勢力であった。

 寺社には古代律令制の荘園で奴隷のように扱われていた民百姓が、過酷な生活から脱して多数逃げ込んだところであった。彼ら難民は律令制や武家の統括下と云う“有縁”の世界から“無縁”のアウトローとして(自由人として)寺社境内に巨大な都市を形成するまでになっていたのである。

 日本人の、勤勉さや同胞意識、和などはこうした中世の寺社に暮らした人たちの努力が背景にあって、育った認識ではないかと思われる。

 また林さんの哲学の捉え方も間違いだ。林氏の言う哲学は、せいぜい認識論である。これも南ク継正先生の著作をお読みになられれば良かったのに、残念なことだ。南ク先生の著作を読まれれば、「日本人には人生の意味を問うことがあっても、人間の意味を問わないまま生き続ける」と言わずにすんだであろうに。そこには氏が求めてやまない、本当の生きざまと学問があることが理解できたはずである。

 林秀彦氏の新著の欠点ばかりを書いてしまったが、氏が日本人に絶望するものはまったく同感である。日本人への愛情のゆえに激怒されていることは、痛いほどわかる。作家だけあって、人の認識を捉える鋭さはさすがであり、どんな作家より私は高く評価している。

 とくに前作『この国の終わり』から、果敢にイルミナティの陰謀に言及されるようになったことは、他の作家どもが全員ダメなのと対照的に、私は感動した。イルミナティを告発する立場を取れば、多くの出版社は引いてしまい、氏にとって生活の糧を奪われる事態が出来したかもしれないのに、よくぞ勇気を持って執筆された。

 林さんがまだ御存命のうちから、周辺の弟子筋の方から、だいぶ体調が悪いとお聞きしていた。日本に帰国後も一時入院されたよし。新著に書かれたそのときのご体験も共感できるものであった。日本の病院こそ日本の縮図だという見解に同感である。病院の医者や職員が取る態度が非人道的行為に満ちていると指摘しておられる。そのとおりだ。日本の病院ほど人の尊厳をずたずたにして平気なところもない。

 林さんの小説『老人と棕櫚の木』には最後のほうに感動的な場面がある。それは(林氏自身とおぼしき)主人公が自殺を図ろうとするところに一本の電話がかかってくるところだ。その電話はTS(おそらく言語社会学の鈴木孝夫慶應大学名誉教授)からであった。同氏は林氏の最も尊敬する学者だという。その場面を紹介したい。

     ※     ※     ※
 「夜分大変失礼だと思ったのですが、少しお話ししてよろしいでしょうか」
 「はい」
 「実は先刻あなたがお書きになった、日本の軍歌についての新刊書(『海ゆかば山ゆかば』)を読み終わったのです。すると涙が止まらなくなりましてね、それでお手紙を書こうと、いや、書きはじめたのですが、まどろっこしくなって、どうしてもお電話で直接あなたとお話ししたくなったんです」
 (中略)
 TSは小1時間、神馬(主人公の名)のいままで書いた本のすべてを読んでいること、そのことごとくに感銘を受けたこと、神馬には今後も書き続ける使命があること、それによって祖国日本の役に立てることなどを話した。(中略)涙が止まらず、頬を伝って流れ落ちた。声も出ず、ただ「はい、はい」と電話に向かって頷くよりほかになかった。 TSの真心と誠意に満ちた温かい言葉が続いた。それらはすべて神馬に生き続けるべき勇気を鼓舞するものだった。どのように電話が終わり、切れたかも思い出せぬほどに茫然と神馬は正座を続けていた。

     ※     ※     ※

 こうして主人公は自殺を思いとどまる。
 私も、鈴木孝夫慶應大学名誉教授と同じである。すべての本に感銘を受けた。とりわけ『海ゆかば山ゆかば』(現在は『日本の軍歌は藝術作品である』に変更)にはTS氏と同様に涙が止まらなかった。





posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする
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