2017年02月18日

田舎も都会も人はへこむ


 山陰地方に住んでいる知り合いの若い女性から、久しぶりに近況を報せるメールをもらった。
 なんでも新年会があったそうで、そこで酔った先輩にからまれたらしい。

 いきなり酒席で同席の女性から「あんたはね、人前ではいつもニコニコしているけれど、自分が気に入らない人への反応はものすごく冷淡なのよね。外面はいいようでも、家ではわがままで、本当は性格が悪いんでしょう」などと面罵されて、びっくりしつつも、当たっている面もあって「へこみました」とある。
 
 「私にも非はありますけれど、人には嫌なことはいうものではありませんね。言われた方は、ずっと忘れませんね。どうしても直してほしいことがあれば、直接、心をこめて言うべきだと思います」
 と書いてきていた。

 この女性がどういう性格なのかはどうでもいい。田舎のジトッとした人間関係の一端をかいま見る思いがする。
 都会が住みやすいわけでもないが、私は田舎は絶対に住みたくない。
 以前にも紹介したが、丸山健二氏の「田舎暮らしに殺されない法」(朝日新聞出版 08年刊)から、田舎暮らしとはどういうものかを取り上げた。

 丸山氏は若者が都会に出て行く理由を、単に職がない、夢がない、男女の出逢いの場がない、刺激がなく退屈、などということではないと言う。
 「かれらは、暗く湿った、息の詰まるような、四六時中監視し合っているような、田舎の重苦しく狭苦しい雰囲気に対して背を向けたのです」と説いている。

 冒頭に紹介した山陰のある小都市に住む女性のいがみ合いの話も、まさに息の詰まるような、表向きは仲良くやっているようでも「四六時中監視し合っているような、田舎の重苦しく狭苦しい雰囲気」を思わせる。

 じゃあ都会はどうかということを、同じ丸山健二氏が自伝的小説ともいうべき『生者へ』(新潮社 2000年刊)で以下のように書いていることは痛烈である。
 これは丸山健二氏が当時としては史上最年少で芥川賞をもらって作家デビューする前の商社勤めの時代を回顧しての文章である。
 少々長いが、みなさんも身につまされるだろう。

     *     *

 だが、企業というところはそう甘くはなかった。八時間勤務で、残りの時間は全て自分のものと考えたのは大きな間違いだった。私のような成績のよくない者をなぜ積極的に採用したのか、その理由はすぐにわかった。配属された電信課の仕事の中身は想像していたよりも大変だった。日本の商取引の慣習として海外の時間に合わせて動くために早出と残業が連日つづいた。

 毎日へとへとに疲れ、余計なことを考える余裕はなく、帰りの総武線の電車の中ではしばしば眠ってしまい、津田沼の駅を乗り越して千葉の駅で目を覚ますということがたびたびあった。
 休日には寮で眠っていることが多く、映画を観る気力もなかった。そして、只生きているというだけの虚しい日々が素早く通り過ぎて行き、そんな暮らしに抵抗する体力がどんどん消耗してゆくのだった。

 最初のボーナスをもらったとき、ささやかな額ではあったが、どうして多くの先輩たちが羊のようにおとなしくそんな生活に耐えているのかわかった。わかったような気がした。1年に二度これをもらえるから何とか我慢していられるに違いないと思った。会社勤めにつくづく嫌気がさした頃に出るボーナスのカンフル注射にも似た効力は大したものだった。勤め人たちを生かさず殺さずの微妙な状態に保つボーナスにつられてずるずると会社に居ついてしまう危険性をひしひしと感じた。
 それは私の思い描くところの真の生者の道に著しく反する道であった。

 一番我慢ならなかったのは、職場の人間関係だった。人間が好きだからこそ堪えられなかった。家庭的と言えば家庭的、日本的と言えば日本的なのだが、公私の区別がない、上辺だけでありながら妙にべたべたした付き合いにはうんざりさせられた。課長が最初にしてくれたアドバイスはこうだった。「会社というところは仕事よりも人間関係のほうが数倍も大切なんだからね」としつこく言われたものだった。

 しかし、私のように生まれながらにして集団に組み込まれることを嫌う人間には心外な忠告だった。私がサラリーマンをしているのはひとえに一文無しの身分だからであって、あくまで口過ぎのための手段にすぎなかった。忠誠を誓ってまで資本家に尽くさなくてはならない義理などひとつもなかった。ましてや、こっちが選んだわけでもない職場の人間と温泉旅行まで共にしなければならないなんて論外だった。

 だが、そんな考えを持つ者はどうやら私ひとりのようだった。周辺にはサラリーマンになるためにこの世に生まれてきたような人間がごまんといた。適応力に富んでいるというか、従順な質(たち)というか、典型的な現実派であるというか。
 万歳突撃を命じられたら即実行に移し兼ねないような「君、よろしくね」と言われた肩をポンと叩かれたら、ビルの屋上から身を投げ兼ねないような、そんなタイプの数のあまりの多さがひどく不気味なものに感じられた。
 本当に自分と同じ人間なのだろうかと疑わずにいられなかった。かれらといっしょに満員電車に詰め込まれるとき、ゲットーに送り込まれる人々の気持を想像しないではいられなかった。

   (中略)
 九分九厘の人々が辛抱していたとしても、私だけはそんな現実をあっさり認めてしまうわけにゆかなかった。たとえ突然成功の道が開けて蒸し風呂のような満員電車にぎゅう詰めにされなくてもよくなり、冷房の効いた高級乗用車で送迎される身分になったとしても、こうした土地では絶対に暮らさないだろうと思った。

 ところが、周囲の人々はいらいらしながらも怒り狂うほどではなかった。己の行く手にどんな人生が待ち構えているのかを百も承知しながら、ささやかな変化に、プロ野球の試合の結果や、競馬の予想や、賭け麻雀の勝敗や、株式の相場といったことに楽しみを見いだし、一喜一憂しながら、半ば諦めの日々をきちんと生きていた。

     *     *

 丸山氏が書いている状況はもう40年前の話だが、今も変わるまい。相かわらず会社勤めは奴隷の日々である。40年前より、女性がこの奴隷仲間に加えられた数が多くなったくらいの違いしかない。
 つい先だっても電通の女性社員が残業の多さに耐えきれず自殺した。

 この丸山氏の『生者へ』、いかがですかみなさん?
 苦い、砂を噛むような思いでこの丸山健二氏の突き刺さってくるような文章を読んだのではないだろうか。そんなこと言ったって、丸山は小説を書く才能があったからサラリーマン地獄から抜け出して成功したんであって、才能がない俺にどうしろと言うのか、耐えて家族のために生活費を稼ぐしかあるまいに…と、怒りを私や丸山氏に向けたくなったかもしれない。

 前回、この書を取り上げた際にも紹介したが、『生者へ』の「腰巻き(広告の帯」には、
 「いかなる権威にも屈することなく、いかなる集団にも頼ることなく、さりとて世捨て人に堕するわけでもなく、そのために支払う代償をものともしないで、どこまでも個人の自由という掛け替えのない精神と権利を求めずにはいられない激しい気性の持ち主こそが、真の創作者であり、真の生者たらんとする生者である。」

 とある。
 多くの奴隷となった日本人には、意味がわからない言葉であろう。ほとんどの大衆は、今の暮らしより「ほんのちょっと」豊かで、楽しければいいのだから、権威がどうたらなんて関心がない。半年に1回のボーナスをもらって得したような気分になって、一つ家電製品を買って、旅行にでも行ければ、従順に働くのみ。
脱却する方途へは絶対に足を踏み出さない。「だって、仕事が忙しいんだもの」と。「空手をやってみないか、だって? 仕事が山のようにあるんですよ。放っておけませんよ」

 そして「 己の行く手にどんな人生が待ち構えているのかを百も承知しながら、ささやかな変化に、プロ野球の試合の結果や、競馬の予想や、賭け麻雀の勝敗や、株式の相場といったことに楽しみを見いだし、一喜一憂しながら、半ば諦めの日々をきちんと生きていた。」となって、はい、おしまい。
 末路は、医者と製薬会社と役人に騙されて、病気をつくられて死んでいくのである。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☁| Comment(3) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おはようございます。

丸山健二氏の書いている通りです。

私は両方経験しましたので、頷くばかりです。

特に昭和1桁世代はそういう傾向が強くて、近所がどうしたとか、何かのイベントでも他人の動向を気にして自分の動きを決める横並び主義です。

新しいことはできない思考回路をしてます。

近隣や他人を気にするのは、自分に人生の目的なく日常を過ごしているからだと思います。

私も目標を定めてからは、周囲の動静は気にならなくなりました。
話をしても通じないし、他人の話は全く参考にもならないからです。


世代間の意識や考え方は、ここ市街近郊の農村部で、ギャップは大きいです。

人が減ってきてますから、いろいろな行事を執り行うにも支障が増えてきました。
消防団・・・既定の人数が集まらないし、勤務と兼務では若い代も引き受けられずという現実があります。

もう今までの枠組みでは立ち行きませんです。
Posted by B4 at 2017年02月18日 06:38
丸山健二氏の文章に、自分にも会った「給料取り時代」を思い出しました。ですが、あんまり不愉快だったので、その13年間は、実は、私の記憶からは、すっぽり抜け落ちています。その時の同僚とは、年賀状もやり取りしません。
それぐらい、嫌でした。
そこのおかしな慣習に従わないと、ばい菌扱いだったけど。おまえらこそ、世の中の害毒だと思った。だから、上にへつらわない私は、常に負け組で、評価は最低、給与も最低額でした。

ま、田舎ぐらしとは、隣人が毎日のようにわが家に入り浸り、夜のおかずまで覗き込むあの暮らしかな?
あれも出来なかったですね。

私は神戸の人間だから。
神戸人には独特の人との距離感があって、べたべたもしないし、冷たくもない・・・けど、神戸人らしい神戸人が、めっきり少なくなりました。
Posted by 神戸だいすき at 2017年02月19日 10:26
人口が少ないと自治体の力がありませんので人々が協力しないと生活できません。都心部ではお金がありますから自治体がある程度力を発揮します。しかし、自治体に力があると自治体が好きなことをするために住民を団結させないように個人単位に分割しようとします。
どちらが住み良いかは個人の自由ですから好きな所に住めば良いと思います。
Posted by たていと at 2017年02月19日 17:23
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