2017年04月22日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第2回)


〈水〉

 少年は五日ほど前からハシカで寝ていた。
 ベッドのそばに窓があり、起き上がればサンゴ礁の明るい海が見わたせる。プルメリア島をとりまくリーフの外側は太平洋で、そのはるか向こうには祖国日本があるのだった。
 風が……窓のそばのビンロウ樹の葉を、パタパタ、パタパタと鳴らしつづけている。そのかすかな音に聴きいりながら、ベッドに寝ころんでいると、いつのまにか眠くなってしまうのだった。
 ハシカの熱がようやく引いて、少年がひさしぶりに窓の外をながめてみると、病気になる前とは様子がかわっていた。

 家と海岸のちょうどまん中あたりに、人が集まって何かこしらえているのであった。
 カーキ色の軍服を着ている将校もいれば、ふんどし一つの裸で材木を運んでいる兵隊もいる。
「まだ寝ていなさい」
 声がして、母親がうすい毛布をかけた。
「おかあさん。あそこで兵隊さんは何をしているの?」
 少年は毛布をうるさそうに足下へけとばしながら、たずねた。
「だめですよ。まだ熱がひいたわけではないのだから、がまんしなさい」
 それでも少年がしつこく母親にたずねると、陣地ではないかと母親は言った。
「わあ、高射砲かな、機関銃かな」

「ちがうのよ。……だれにも言ってはダメよ。あれはアメリカ軍をだますための、木でつくったおとりの砲台なんですって」
「ふーん、じゃあ、アメリカ軍をだましてそちらに目を向けさせておいて、別のところから本物の機関銃でうつのかな」
「そうでしょう。本物があれば、ね」
「え?どういうこと? だって、兵隊さんはずいぶん島に上陸したし、大砲だってたくさん内地から運んだのではないの?」
「ずいぶん輸送船がしずめられたらしいから……どうだかね」
 母親の話はどうにもたよりなかった。

「おかあさん。アメリカはこの島に攻めてくる?」
「この島には海軍の飛行場が二つもあるからね。ほうっておくまいよ」
「ぼく、少年兵になってたたかうんだ」
「ハシカになって、おかあさん、おかあさんと甘えているような弱虫ではむりよ」
「……おかあさん、水おくれ、のどがかわいた」

 母親はこまった顔をして手を少年のひたいにあてた。少年はまだ熱があるので、よく水をほしがる。しかし島にはあまり水がなかった。戦争になってからはどの家にも水は少ししか配られない。
 もともとプルメリア島では井戸をほっても水が豊富に出ない。雨水をためて使うこともあるほどだった。
 そこへ戦争がおこって兵隊が増えた。さらに近いうちにアメリカ軍が攻めてくるかもしれなくなったので、迎え討つべく島には何万という兵隊が上陸してきたのである。少し正確にいうと、プルメリアにはもとから住んでいる原住民が四千人いる。日本人が移ってきて、サトウキビをつくったり、工場をたてたり、商店をひらいたりするようになっていった。そんな日本人は二万人もいた。そして戦争のために四万人もの兵隊が送りこまれてきたのである。

 これでは水が足りなくなるのも当たり前であった。井戸はどんどん掘られたが間に合わなかった。
 もしも日本本土からきた輸送船が沈められずにプルメリアに着いていたら、今の倍の人間が島にひしめくこととなり、とうてい必要な水は得られなかったにちがいなく、皮肉なことだが、輸送船が沈められて兵隊がおおぜい死んだことが島の人たちには幸いしたのだ。

 プルメリア島には、ヤシの木がたくさんはえていて、飲み水のかわりにヤシの実のジュースを飲むことができる。ヤシの実を両手でもってふれば、中のジュースがたっぷたっぷと音をたてる。ジュースはわずかに甘い。しかし、その量はコップ三杯か五杯くらいである。そのヤシの実も日本兵にとられて、みるみる減っていった。 
 島民や兵隊にはきびしい節水令が出される一方で、井戸や水源の持ち主は軍さえ頭を下げにくるので、親切な人がいる半面、なかにはたかぶり、人を見下すようになった人もいた。だからますます水は貴重になった。

 母は台所から湯ざましの水の入った一升びんをもってきて少年に飲ませた。
「今はこれだけ、しんぼうしてね」
「もっとほしい」
 少年が湯のみに手をのばしかけたところへ、だれか人がやってきた。母親は一升びんを持ったまま、玄関に行ってしまった。少年は父親が帰ってきたのかと思った。父はサトウキビからアルコールをつくる工場の技士なのだが、今はそれどころではなく、軍の命令で一日中弾薬を運ぶのを手伝ったり、道を直したりしていた。
 だが、父親が帰ってきたのではなかった。母親は陸軍の将校を一人つれてきた。プルメリアのひげをはやした役場の人もいっしょだった。

「あっ、あれが蓄音機だ」
 役人はつかつかとタンスの上の蓄音機に歩みよって言った。
「これで閣下もよろこばれるでしょう。どうです少尉。ついでにレコードも借りましょう」
 聞かれた将校は、すこし遠慮がちに少年の母親に頭をさげた。
 母親が答える前にもう役人が「おい」と部屋の外に声をかけると、よれよれの軍服を着た兵隊が二人はいってきた。

 役人は「これ」とだけ言ってあごをしゃくった。蓄音機とレコードの入った木箱を兵隊にかつがせた。さらに母親にこわい顔でこう言った。
「このたび、プルメリアに着任された中将閣下は、音楽を聴くのがご趣味だそうでな。ところが日本から運ばせた蓄音機もレコードも、途中で輸送船がボカチンにあって海の底に沈んでしまった。そこで、わしがこちらの家で蓄音機をもっていることを、少尉におしえたのだ」
「きみのレコードもあるのだろうが」と少尉は少年をみながら言った「しばらく借りる。アメリカとの戦に勝ってから、返しにくるからね」 

 少年はだまっていた。
 役人は、母親の手から水のはいった一升びんをみつけると、
「奥さん、少尉殿に水をさしあげんかい。気のきかんことだ」
 母親はいそいで湯飲みに水をついで、少尉にわたした。
 少尉は礼をいって水を飲みほした。レコードをかついだ兵隊たちは、視線をはずしてどこか遠くを見ているふうにした。
 役人は母親の手から一升びんをひったくると、自分でふたをして、
「あんたも知ってのとおり、軍では一升びんだって貴重な物資だ。プルメリアを守ってくださる軍人さんには、不自由な思いをさせてはいかん」

 そういって、びんを少尉にわたしてしまった。
「おかあさん、ぼくにも水をちょうだい」
 少年がそういうと、母親はあわてて叱りつけた。
「お前はだまっていなさい」
 するとひげの役人は声をはりあげて少年に指をつきだした。
「そこのお前! ひるまから家でなにをごろごろしておるのか。島じゅうの人が軍に協力して、汗みずくになってご奉公しているというのに。子供でもやることはあるはずだぞ。なんたることだ」

「この子はハシカにかかっているので」
 母親があやまるように言った。
「ハシカ? ハシカなどは……精神力で直すッ!」
 役人はそう言ってまたどなった。
 少尉は「失礼しました」と言って敬礼し、部下の兵隊を促して部屋から出ていった。かれらを送ってから、母親はもどってきて、肩を落として少年に言った。
「やたらに水のことをいうのじゃないよ。家にかくしてある水もみんな持っていかれたらどうするの。蓄音機がなくても死にはしないけれど、水はいちばん大切なんだからね」

「うん、でもぼく、のどがかわいたよ」
「しんぼうするしかないよ、お昼になったら少しあげるから、そのときまでね」
 「おかあさん、ぼく、死にそうにのどがかわくよ。水おくれったら、ねえったら」
「さあて、どこかでびんでも探してこなければ」
 母親はそういって出ていった。

 窓辺で、ビンロウ樹の葉が、パタパタと鳴っている。風はかたときもやまない。裏庭のブタ小屋のにおいがときどきするのは、風向きがちょっとかわるせいなのだろう。少年はビンロウ樹の葉の鳴る音を聞きながら、また、うとうとしている。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする
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