2017年05月04日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第14回)


〈落ちる人々〉

 その日本陸軍中尉は、鉄条網でかこまれた捕虜収容所から一人だけ出されて、アメリカ軍のジープに乗せられた。この中尉は英語を話せるのであった。
 ジープは、ぬかるんだ道をフルスピードでとばしていく。中尉は必死になにかにつかまっていないと、ふり落とされそうだった。
 まわりの畑は一面焼きはらわれ、ところどころ壊れた米軍の戦車や、日本軍の戦車がそのまま野ざらしになっていた。上空にはもう米軍機は旋回していなかった。砲声もやんでいる。

 プルメリアの戦争は、すでに大勢が決していた。日本軍は島の北部に追いつめられた末、最後の、自殺でしかないやけくその突撃をして、失敗におわっていた。あとは、ジャングルに、統制も連絡もとれていない小グループの敗残兵がのこっているだけとなっていた。
 ジープは、断崖を見あげる海岸の岩場にとまった。
 アメリカ軍の少尉が、日本軍の中尉にだまって双眼鏡をわたし、あごをしゃくった。崖のほうを見ろというのである。

 中尉は双眼鏡をとって崖を眺めていった。崖のあちこちに、軍艦からの艦砲射撃による穴があいている。白い崖の上に、ぽつぽつとモンペをはいた女や子どもが見える。草地にしゃがんでいる人も、木立の間から沖のほうを眺めている人もいるようであった。と、一人の女が両脇に丸裸の子どもをかかえると、ハッと崖から身をおどらせたのである。中尉は息をのんだ。海面をさがしてみたが、落ちた人はあらわれなかった。
「見えたか」
 アメリカ軍の少尉がたずねた。苦い顔をしている。日本軍中尉は双眼鏡から目をはなしたが、声がでなかった。

 「昨日からだ」とアメリカ軍少尉が言った。「あの崖では、非戦闘員の女や子どもがつぎつぎに海に身を投げて自殺している。わが軍としても放っておけないので、なんとかやめさせたい。しかし、あの崖の上にはまだ日本兵が残っていて、すぐには地上部隊が近づけない。海上でも救出しようとしているんだが、日本兵が発砲して救助をこばむ。われわれもスピーカーで大声で説得しているが聞かない。だから、ああして死んでいくのを手をこまねいて見ている。そこで、日本軍将校の君に、日本人として、日本語で彼らに思いとどまって降伏するように、説得してもらいたい」

 ジープを運転してきた軍曹も、真剣な表情で日本中尉に話しかける。
「このスピーカーなら崖の上に届くんだ。彼らに、両手をあげてわれわれのほうへ歩いてくるだけでいい、と伝えてくれ。これがマイクだ」
 だが、中尉は頭が混乱した。兵隊が死んでいくのはいくらも見てきた。しかし、兵隊でもない人たちがつぎつぎに自殺していくのは、まったくちがったショックだった。

 だが中尉は日本の女たちがなぜ自殺していくのか知っていた。日本軍は、戦争のはじまる前から、敵につかまるとひどい目にあうから、捕まるくらいなら死ねと、住民にも言ってきた。アメリカ軍上陸後、ジャングルを逃げまどう島の人たちを、日本軍ははじめは保護したい気持ちはあったが、どうにもならないのでついには邪魔もの扱いしてきた。中尉自身も、捕まるよりは死ぬべきだと思っていた。それが、自分が負傷したために、捕虜になってしまったせいで、今度は死ぬのはやめろと呼びかけなければならない羽目になったのである。

「なんと言えばいいのか」
 中尉はやっと口をひらいた。
「え?それは、君たち日本人どうしの問題なんだから、どう言えばいいのか君のほうがわかるはずだ。ただ、投降してくる者には、われわれが安全を保障する。それは言ってくれ。彼らが思いとどまるように言ってくれればいいんだ。」
 こともなげに米軍の少尉は言った。
「私には言えない。なんと呼びかけたらいいのだ。だいいち、軍人が降伏を呼びかけても、彼らは信用しないし、聞かない」
 マイクをもどしながら、そう中尉は答えた。

「なんだって?」米軍少尉が言った。「あれは兵隊じゃないんだぞ。女や子どもが死んでいくのを見殺しにできるのか」
「しかたがない。われわれは負けたのだ。生きてはずかしめを受けるより、死を選べと日本人は教えられている。われわれには誇りがあるんだ」
「だが、君は生きている。捕虜となっているじゃないか」
「そのとおりだ。しかし、私は負傷して動けないところを捕まった。こうなるつもりはなかった。そういうひきょうな軍人が、あの追いつめられて死のうとする女たちに、言う言葉なんかあるわけない」
「わからん」米軍少尉は肩をすくめた。「どうして死ななければならないんだ。もう戦闘は終わった。しかも兵隊でもない。では、軍人でない日本人が呼びかけてはどうか」

「それはむだだ。軍が島民を見捨てたばかりか、海のむこうの日本が、プルメリアの日本軍と島民を見捨てている。しかも島民どうしで敵対し、見捨てている。日本は西欧のような自分も他人も認めて、その信頼関係で生活している社会ではない。自分の集団の利害のために他人を裏切って平気だ。そういう社会をつくり、寄生しあうように生きてきた。とくに女は男に従わされてきた。女たちは、いつも何かにすがって生きてきたが、そのすがれば何とかしてくれるはずの社会がなくなったのだ。自分独りでは生きられないと女たちは思っている。だから、足元の地面がなくなった気がして死ぬのだ」

「そんなことはない。君たちはじゅうぶん戦った。勝負はついた。何ももうこだわらなくていいんだ。わが軍は抵抗しない者は殺さない。もう一度生きるチャンスをつかめばいい。それを、われわれの代わりに言ってくれればいいんだ」
 中尉は首をふってうつむいた。

「おいジャップ!」とつぜん米軍少尉は、真っ赤な顔で中尉の胸ぐらをつかんだ。「君ら日本人がなぜ負けたのか、そのわけを言ってやろうか。兵力の差があったのは当たり前だが、根本は日本人自身の問題だ。日本人は侵略者だ。このプルメリアに対してもだ。それなのに、今は国を守るなどと被害者みたいなことを言っている。おかしいと思わないのか?」
 中尉は顔をキッとあげて「日本は侵略者じゃない」と反論した。「アメリカが日本を戦争に引きずりこんだんじゃないか。ここでそんな事を言ってもしょうがないけれど」

 米軍少尉はそれにはかまわずに。「そういう君たちには自分の意志がないじゃないか。君らは自分の意志で戦ったんじゃない。君たちは、まわりの日本人がある考え方をしているから、それにあわせる、ことよせるだけなのだ。波のまにまにゆれるクラゲだよ。クラゲは潮がひいて浜にとり残されたら、どうにもならない。あの崖の上の女たちのようにどうしたらいいのか、わからなくなってしまうのだ。国家が、仲間が、一人の意志ある人間を見捨てたからと言って、どうして死ななければならない?」

 米軍少尉は中尉を突きとばし、なおもしゃべりつづけた。
「ともかく生きのびることだ。自分の味方は自分でしかないじゃないか。われわれは君が日本軍の中尉だとは知っているが、本名は知らない。なぜ名乗らない? もう戦争は終わったんだ。自分の意志でこの戦争に参加したのなら、個人の名前が言えるはずだ。あの崖から飛びおりる女も、自分の意志でプルメリアに来て、生活していたのなら、いつどこで、どうやって死んだかわからないような、そんな死に方をするだろうか。

 意志というのは、ただああしたい、こうなってほしい、なんとかしてくれ、そんなものじゃない。それでは一方的に自分のやりたいことを思う気持ちだ。しかし、意志を通そうとすれば必ず相手がいる。その相手のことを考えて、どういう条件なら、相手にも自分にもいいようになるのか考えたうえで決断することが意志なんだ。日本人諸君はこの戦争を始めるにあたっては、支那の立場、アメリカの立場、いろいろと相手の条件を考えたのか。ただ、自国の利益ばかり主張したのではないのか?」

 中尉は、自国の利益のために戦争をはじめたのはアメリカのほうだと言おうとしたが、どうせ聞き入れられないと思って黙っていた。
 「君たちは自分の利益だけというせまい考えで戦争をおこしたのだ。もっと大きな視点に立つべきだ。」と米軍少尉は続けた。
 社会は、自分のことを考える必要はあるが、自分と他人のことも同時に考えることでなりたっている。そういう社会の仕組みを無視して君たちは自分のことだけを押し通そうとした。だから世界から仕返しを受け、歴史に踏みつぶされる。現に、このプルメリアで、君たちは踏みつぶされたじゃないか。

 ……みろ、あそこでまた、女がひとり落ちていく。われわれは、ただかれらが死んでいくのが、人間として気の毒と思うから救助しようとした。しかし、そこから先、チャンスをいかして、かれらが人間としてまっとうに生きていくかどうかまでは、知らない。かれら自身の責任だ。その第一歩の手をさしのべることすら、君にはできない。負けるが勝ちなんてこともわからないのか。それがわからなければ、また日本人は同じことをくり返すのではないか?」
 米軍少尉は軍曹にふりかえって、あごをしゃくり「もういい、連れて帰ろう」といった。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする
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