2017年04月24日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第4回)


〈ドイツ人の、畑〉

 夕方。焼きはらわれたサトウキビ畑を前にして農夫の兄弟が二人、肩をおとしてしゃがみこんでいた。B24爆撃機の落とした焼夷弾で、彼らの畑がほぼ全滅になったのである。畑にふみこむと、地下足袋を通して地面の熱が伝わってくるほどだった。
「どうもなあ」弟の農夫がつぶやいた。「早くに連合艦隊に敵さんを追い払ってもらわないことには、手も足もでないのかな」
「本当に何しているんだろう、連合艦隊は。おびきよせて叩くという話だが、わしらの身にもなってほしいよ」兄の農夫はそういってツバをはいた。

「海は四方を敵に囲まれて、輸送船の出入りもおぼつかない。空は敵の飛行機がわがもの顔だ。これじゃサトウキビ畑どころか、食べ物にもこまるぞ」
「くそ、ドイツ野郎のツケをおれたちが払わされるぞ、こりゃ」
「ドイツ野郎がどうした?」
「ああ、プルメリアは日本が来る前はドイツが支配していただろ。そのドイツ人はな、プルメリアでヤシやイモやサトウキビの栽培をしていたんだが……」

「そうだな。ここの畑も道路もドイツ時代のものだな」
「お前も知ってのとおり、プルメリアは南洋の土人ははたらかない。カネなんかなくたって、バナナやパンの木がいくらでもあるのだから、それをもいで生活していればいいんだ。ドイツ人はな、だからプルメリア人がはたらかないのだと思って、バナナの木やパンの木を切り倒したのだ。はたらかないと食べていけないようにしたのだ。おかげでプルメリア人をはたらかせて、ドイツ人がほしい農作物なんかをつくれるようになったんだ。

 …さて、こういう戦時になると、なくてはならないのは食料だ。もともとプルメリアにはバナナもパンの木もたくさんあったのに、今では野生の木なんかありゃしない。もしもアメリカ軍に兵糧攻めにあっても野生の食物を食べてかなりもちこたえられたかもしれないのに、ドイツ人が根こそぎやっちゃったものだから、お手上げなんだよ、おれたちは」
「ドイツは日本の同盟国なのに……」

「何をいまさら。それにドイツは日本と同盟する前は支那をそそのかして戦争にまきこんだ張本人だった」
「あ〜あ、自然のままにしておいてくれたら……か」
「まさかこうなるとはだれも思っていなかったってことさ」
「アメリカを追い払った暁には、山にバナナやパンの木をしこたま植えよう」
「そんなことをやっても、もうからない。サトウキビから工業用アルコールをとるほうが国策でもある。それに、プルメリア人たちがはたらかなくなる」
「まったくだ」
 二人はそういって、ため息をついた。



〈しょうがないわよ、おくさん〉

「回覧板ですよ」
 表で声がしたので、洋品屋さんのおくさんは店先に出ていった。となりの床屋のおかみさんが、ねむそうな顔をして立っていた。夜も空襲の不安があるので、よくねむれなかったのかもしれない。
「あら、すみません」
「いいえ。……でもおくさん。この回覧板では、おたくで飼っているネコちゃん、始末するように言ってきたのよ、警察から」
「えっ、なんですか」

 洋品屋のおくさんはあわてて回覧板に目をとおした。
 もしもアメリカ軍がプルメリアに上陸してきたら、イヌやネコは足手まといになるから、いまのうちに殺すように、という通達であった。日本人がかくれているところへ、家族をさがしてイヌやネコが鳴いてきたりしたら、すぐにアメリカ軍にわかってしまうからだと。
「そんなこと、できないわ」
 洋品屋のおくさんはあおざめて、もう泣きそうだった。

「お気のどくですけど、この非常時ですもの。ご自分でしまつできなければ警察が処分してくれるそうよ」
「そんなひどいこと。ういちのタマは私が沖縄にいるときからかわいがって、家族同様にずっと……」
「しょうがないわよ、おくさん。あきらめるしか。だってそうでしょ、ね」
 床屋のおかみさんは、そう言いながらあとずさりして行ってしまった。
 洋品屋のおくさんは、その晩、タマを抱いて寝てやった。幸い、アメリカ軍の戦闘機は、夜はやってこなかった。 
 つぎの朝、おくさんはタマのすきな煮干しをすこし食べさせてから、泣きはらした顔で警察へタマをだいていった。



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2017年04月23日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第3回)


〈鳴き声〉

 プルメリアの中心の町ハシカルに、島でいちばん年寄りのチャモロ族のおじいさんがいた。「たぶんいちばん年寄りだろう」と島の人たちは言う。なぜ「たぶん」かというと、おじいさんは自分がいつ生まれて、いま何歳なのかを知らないからだ。
「おじいさんは、今年、いくつ?」と聞くと、
「知りません。わたしは五十から上の数を習わなかったからね」
 そんな答えが返ってくる。とぼけたおじいさんである。

 そのおじいさんが、いちばん年寄りだというたしかな証拠は、ある。
 おじいさんがプルメリアがスペインに支配されていたころのことをよく知っているからだ。
 プルメリアは、スペイン、ドイツ、日本と支配者が替わってきた。
 スペインがやってきたのが四百年前。それから三五〇年ほど支配がつづいた。かわりにやって来たドイツ人は五五年前からおそよ二〇年間プルメリアを支配した。第一次世界大戦後、ドイツに替わって今度は日本がプルメリアを支配するようになってから三〇年になる。

 だからおじいさんはきっと七〇歳くらいにはなっているはずである。 
 それだから、おじいさんはチャモロ語のほかに、スペイン語も、ドイツ語も、そして日本語も話すことができる。
 おじいさんは昔のことをよく知っているので、チャモロ族の子供にも、日本人の子供にも、よく昔話をしてくれる。
 ハシカルの町の中ほどにあるプルメリア映画館の前のベンチではよくおじいさんの姿をみかけた。おじいさんの得意の話は、スペインのころはこうだった、ドイツのころはああだった、そして今は……というようなことである。

 たとえば。
 「日本人はなにしろまじめだ。いちばん仕事をする。おかげでプルメリアはそこらじゅうがサトウキビ畑になった。工場も大きくなった。ちいさいが鉄道もできた。仕事、仕事、といって、われわれがのんびりしているのを許さない。ちょっとでも休むと、「なまけるな!」といってビンタをはる。昔は、こんなに働かなかったよ。スペイン人とドイツ人は教会へ行けの、神様をおがめのとうるさかったが、日本人といえばビンタだな」
 そういっておじいさんは、黒い顔をくしゃくしゃにしてよく笑う。

 また、おじいさんは子供が好きなので、スペインやドイツや日本の昔話をよく知っている。日本のものなら「もも太郎」とか「かちかち山」とか「花さかじじい」である。
「それにしてもな……」
 あるとき、「花さかじじい」の話を子供たちにせがまれてしてやったあとで、おじいさんはこう言った。
「ここ掘れワンワンだからな、日本人は。犬の鳴き声はワンワンだ。だがスペイン人はちがうぞ。犬はグァウと鳴くのだそうだ。ドイツ人は犬はブラフと鳴くのだと言う。

 ついでに言うと、ニワトリの鳴き声は、スペインのころはキキリキーで、ドイルのころはキーケリキー、日本になるとコケコッコーだよ。プルメリアでは……そのたびに鳴き声が変えられたのだよ。
 おじいさんはフーッとため息をついた。
「犬もネコもニワトリも、わしらは昔から同じように鳴いていると思う。犬はスペイン語で鳴いたり、日本語でほえたりはできない。なのにスペイン人は犬はグァウでなければならぬと言う。日本人は犬の鳴き声はワンワンだから、そういえとプルメリア人に教える」

 そのあとでおじいさんはチャモロ語で何かつぶやいた。でもチャモロ語を知らない日本人の子供にとっては、何を言われたのかわからなかった。
 おじいさんは、じつはこういったのだ。
「もしも、この戦争に日本が負けて、アメリカがプルメリアにやってくると、こんどは犬やニワトリは何と鳴くのだろう」


〈ヤシガニとり〉

 プルメリアでヤシガニ取りの名人と言えば、ジャンである。彼は山に入ってヤシガニをとらえ、町の魚屋に売って暮らしをたてていた。
 ヤシガニの大きさは子供の野球のグローブほどで、海にはいなくてジャングルの木の根かたや岩の間などにひそんでいる。見つけるのはむずかしい。穴にいるとわかっても、手をつっこめば強いハサミではさまれてしまう。

 そういうヤシガニをどうやってつかまえるかと言うと、砂をまくのである。
 ヤシガニは陸にすんでいるが、水にはうえている。だから雨がふるといそいそと巣穴から出てきて草の葉からつたってくる雨水を触覚で受けて、ごくごくと飲む習性がある。この習性を利用して、つかまえるのだ。
 ジャンは、海岸から砂をふくろにつめて山に入る。ヤシガニのいそうな所に来ると、おもむろに砂をパッと撒くのである。力士が土俵で塩をまくようなぐあいに。

 その砂のパラパラの音をいかに雨らしくまくかが、名人のひみつの技なのだ。
 そうすると、砂は木の葉や地面にあたってパラパラとまるで雨つぶのような音をたてる。穴でうとうと昼寝をしていたヤシガニは、「おっ、雨だ。水が飲めるぞ」とばかりに穴からはい出てくる。そこをジャンは待ちかまえていて、むんずと捕まえるのだ。

 さて、戦争がはじまったために、プルメリアでは兵隊でなければやたら山に入ってはいけないことになった。
 山じゅうが日本軍の要塞や司令所などになったからである。それでもジャンはかまわずに山の中にこっそり入っては、ヤシガニを取ってきていた。
 おかげで町のすし屋や食品店には、ちゃんとヤシガニがそろっていた。本当なら出回るはずのないヤシガニがあるのだから、これを警察が目をつけないわけがない。

 しかし警察がいくら山の中でジャンを捕まえようとしても、ジャンはうまいこと逃げおおせる。警察がいくら地団駄踏んで悔しがっても、プルメリアで一番山にくわしいジャンにはかなわない。
 それでもいよいよ戦争のようすがきびしくなって、アメリカ軍の攻撃が近づくにつれて、山の警備もげんじゅうになった。いたるところに日本兵がいて、あやしい人間をみると、かまわず発砲してくる。こうなると、いかなジャンでもうかうかしていられない。
 ジャンはいつもヤシガニをおろしている市場に行って、市場の親方に会った。

「どうしたジャン、うかぬ顔して?」
 親方は60歳くらいの日本人で、頭はきれいにはげていて、ポッコリお腹のためダボシャツの前をいつもはだけている男だった。
「いやあ、ああ、うん、だけどねえ……」
 ジャンは口ごもり、はっきりしない。
「今朝はどうした? ヤシガニを一匹も持ってこないな」
 親方はニヤニヤしながら言った。
「そうなんだ。おちおちヤシガニをとっていられないぜ。命がけだ。夕べなんか、山の中で兵隊に撃たれて、弾が耳元をかすめたよ」

「うむ」と親方はキセルに火をつけて一服吸った。「さすがのジャンも軍隊相手ではかなうまい」
「わらいごとじゃない。地雷もそこらじゅうに埋めてあるそうだし、うかつに山には行けなくなった」
「まあ、地雷はプルメリアでは埋める前に太平洋の海底にしずめてきたほうが多いようだがな。お前がヤシガニをとってくてくれないと、わしの商売もこまるからな。いつ敵の飛行機がくるかわからないから、もう船を沖に出して魚をとることもできない。今じゃ岸から釣るばかりだ。魚市場もさばく魚が少なくてどうしようもない。山からとってくるヤシガニは頼りにしているんだ」
「戦争が終わるまで、とても山の中には行けやしない」

「あほ、そんな悠長なことを言っておれるか」
「鉄砲でうたれるのはゴメンだぜ」
「当たり前だ。おれに任せておけ。山に入れるようにしてやる」
「どうするんだ?」
「日本ではな、昔からおかみを手なずける方法があるんだよ」
「……」

 親方はジャンを連れて、島の守備隊司令部にかけあいにいった。そしてみごとにジャンが山に入ってヤシガニ漁をして良い許しをとりつけたのである。
 もちろん親方はふだんから司令部の軍人にお酒を持っていったり、とれたての魚や貝をさしあげたりして、とりいっていた。それに、とれたヤシガニのうち三匹は司令部におさめることで話がまとまったのだ。
 こうしてジャンは砂ぶくろを持ってゆうゆうと山に入り、高射砲の鼻先であっても構わずヤシガニを捕まえることができた。山に入って気付いたのは、けっきょく地雷なんてどこにも埋まっていないことであった。あれは実は日本軍がわざと流したデマだったのだ、とジャンは知ったのである。

 日本軍はもうこのころには鉄製の地雷はほとんどなくて、陶器でつくった地雷が主だった。これは鉄製の地雷の半分ほどの威力しかなかった。
 アメリカ軍の戦闘機がプルメリアに姿をあらわすようになった。連日、偵察をおこない、日本軍陣地へ銃撃をくわえた。ジャンは山にはいるとき、米軍機におそわれると、近くに日本軍陣地があればなるべくそこにとびこんで身をかくすようにした。それが一番安全だとジャンは思ったからだ。

 しかし、ある日とびこんだ速射砲陣地では、そこの中隊長は司令部の上官をよく思っていない人だった。司令部は自分たちに比べて、だらしない毎日をおくっていると腹をたてていた。だから、ジャンがヤシガニの入ったふくろをかかえて陣地のすみに小さくなっているのを見て、中隊長は思わずカッとなった。米軍機が上空をとびまわっているのに、中隊長は日本刀をふりあげて叫んだ。

「出てゆけ! きさまがいると敵にこの陣地がわかってしまう」
 中隊長にけとばされてジャンは外へころがり出た。不運なことにそのときジャンは米軍機に発見されて、急降下してきた戦闘機に機銃掃射をあびた。
 それがプルメリア人が戦争で死んだ最初のことだった。



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2017年04月22日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第2回)


〈水〉

 少年は五日ほど前からハシカで寝ていた。
 ベッドのそばに窓があり、起き上がればサンゴ礁の明るい海が見わたせる。プルメリア島をとりまくリーフの外側は太平洋で、そのはるか向こうには祖国日本があるのだった。
 風が……窓のそばのビンロウ樹の葉を、パタパタ、パタパタと鳴らしつづけている。そのかすかな音に聴きいりながら、ベッドに寝ころんでいると、いつのまにか眠くなってしまうのだった。
 ハシカの熱がようやく引いて、少年がひさしぶりに窓の外をながめてみると、病気になる前とは様子がかわっていた。

 家と海岸のちょうどまん中あたりに、人が集まって何かこしらえているのであった。
 カーキ色の軍服を着ている将校もいれば、ふんどし一つの裸で材木を運んでいる兵隊もいる。
「まだ寝ていなさい」
 声がして、母親がうすい毛布をかけた。
「おかあさん。あそこで兵隊さんは何をしているの?」
 少年は毛布をうるさそうに足下へけとばしながら、たずねた。
「だめですよ。まだ熱がひいたわけではないのだから、がまんしなさい」
 それでも少年がしつこく母親にたずねると、陣地ではないかと母親は言った。
「わあ、高射砲かな、機関銃かな」

「ちがうのよ。……だれにも言ってはダメよ。あれはアメリカ軍をだますための、木でつくったおとりの砲台なんですって」
「ふーん、じゃあ、アメリカ軍をだましてそちらに目を向けさせておいて、別のところから本物の機関銃でうつのかな」
「そうでしょう。本物があれば、ね」
「え?どういうこと? だって、兵隊さんはずいぶん島に上陸したし、大砲だってたくさん内地から運んだのではないの?」
「ずいぶん輸送船がしずめられたらしいから……どうだかね」
 母親の話はどうにもたよりなかった。

「おかあさん。アメリカはこの島に攻めてくる?」
「この島には海軍の飛行場が二つもあるからね。ほうっておくまいよ」
「ぼく、少年兵になってたたかうんだ」
「ハシカになって、おかあさん、おかあさんと甘えているような弱虫ではむりよ」
「……おかあさん、水おくれ、のどがかわいた」

 母親はこまった顔をして手を少年のひたいにあてた。少年はまだ熱があるので、よく水をほしがる。しかし島にはあまり水がなかった。戦争になってからはどの家にも水は少ししか配られない。
 もともとプルメリア島では井戸をほっても水が豊富に出ない。雨水をためて使うこともあるほどだった。
 そこへ戦争がおこって兵隊が増えた。さらに近いうちにアメリカ軍が攻めてくるかもしれなくなったので、迎え討つべく島には何万という兵隊が上陸してきたのである。少し正確にいうと、プルメリアにはもとから住んでいる原住民が四千人いる。日本人が移ってきて、サトウキビをつくったり、工場をたてたり、商店をひらいたりするようになっていった。そんな日本人は二万人もいた。そして戦争のために四万人もの兵隊が送りこまれてきたのである。

 これでは水が足りなくなるのも当たり前であった。井戸はどんどん掘られたが間に合わなかった。
 もしも日本本土からきた輸送船が沈められずにプルメリアに着いていたら、今の倍の人間が島にひしめくこととなり、とうてい必要な水は得られなかったにちがいなく、皮肉なことだが、輸送船が沈められて兵隊がおおぜい死んだことが島の人たちには幸いしたのだ。

 プルメリア島には、ヤシの木がたくさんはえていて、飲み水のかわりにヤシの実のジュースを飲むことができる。ヤシの実を両手でもってふれば、中のジュースがたっぷたっぷと音をたてる。ジュースはわずかに甘い。しかし、その量はコップ三杯か五杯くらいである。そのヤシの実も日本兵にとられて、みるみる減っていった。 
 島民や兵隊にはきびしい節水令が出される一方で、井戸や水源の持ち主は軍さえ頭を下げにくるので、親切な人がいる半面、なかにはたかぶり、人を見下すようになった人もいた。だからますます水は貴重になった。

 母は台所から湯ざましの水の入った一升びんをもってきて少年に飲ませた。
「今はこれだけ、しんぼうしてね」
「もっとほしい」
 少年が湯のみに手をのばしかけたところへ、だれか人がやってきた。母親は一升びんを持ったまま、玄関に行ってしまった。少年は父親が帰ってきたのかと思った。父はサトウキビからアルコールをつくる工場の技士なのだが、今はそれどころではなく、軍の命令で一日中弾薬を運ぶのを手伝ったり、道を直したりしていた。
 だが、父親が帰ってきたのではなかった。母親は陸軍の将校を一人つれてきた。プルメリアのひげをはやした役場の人もいっしょだった。

「あっ、あれが蓄音機だ」
 役人はつかつかとタンスの上の蓄音機に歩みよって言った。
「これで閣下もよろこばれるでしょう。どうです少尉。ついでにレコードも借りましょう」
 聞かれた将校は、すこし遠慮がちに少年の母親に頭をさげた。
 母親が答える前にもう役人が「おい」と部屋の外に声をかけると、よれよれの軍服を着た兵隊が二人はいってきた。

 役人は「これ」とだけ言ってあごをしゃくった。蓄音機とレコードの入った木箱を兵隊にかつがせた。さらに母親にこわい顔でこう言った。
「このたび、プルメリアに着任された中将閣下は、音楽を聴くのがご趣味だそうでな。ところが日本から運ばせた蓄音機もレコードも、途中で輸送船がボカチンにあって海の底に沈んでしまった。そこで、わしがこちらの家で蓄音機をもっていることを、少尉におしえたのだ」
「きみのレコードもあるのだろうが」と少尉は少年をみながら言った「しばらく借りる。アメリカとの戦に勝ってから、返しにくるからね」 

 少年はだまっていた。
 役人は、母親の手から水のはいった一升びんをみつけると、
「奥さん、少尉殿に水をさしあげんかい。気のきかんことだ」
 母親はいそいで湯飲みに水をついで、少尉にわたした。
 少尉は礼をいって水を飲みほした。レコードをかついだ兵隊たちは、視線をはずしてどこか遠くを見ているふうにした。
 役人は母親の手から一升びんをひったくると、自分でふたをして、
「あんたも知ってのとおり、軍では一升びんだって貴重な物資だ。プルメリアを守ってくださる軍人さんには、不自由な思いをさせてはいかん」

 そういって、びんを少尉にわたしてしまった。
「おかあさん、ぼくにも水をちょうだい」
 少年がそういうと、母親はあわてて叱りつけた。
「お前はだまっていなさい」
 するとひげの役人は声をはりあげて少年に指をつきだした。
「そこのお前! ひるまから家でなにをごろごろしておるのか。島じゅうの人が軍に協力して、汗みずくになってご奉公しているというのに。子供でもやることはあるはずだぞ。なんたることだ」

「この子はハシカにかかっているので」
 母親があやまるように言った。
「ハシカ? ハシカなどは……精神力で直すッ!」
 役人はそう言ってまたどなった。
 少尉は「失礼しました」と言って敬礼し、部下の兵隊を促して部屋から出ていった。かれらを送ってから、母親はもどってきて、肩を落として少年に言った。
「やたらに水のことをいうのじゃないよ。家にかくしてある水もみんな持っていかれたらどうするの。蓄音機がなくても死にはしないけれど、水はいちばん大切なんだからね」

「うん、でもぼく、のどがかわいたよ」
「しんぼうするしかないよ、お昼になったら少しあげるから、そのときまでね」
 「おかあさん、ぼく、死にそうにのどがかわくよ。水おくれったら、ねえったら」
「さあて、どこかでびんでも探してこなければ」
 母親はそういって出ていった。

 窓辺で、ビンロウ樹の葉が、パタパタと鳴っている。風はかたときもやまない。裏庭のブタ小屋のにおいがときどきするのは、風向きがちょっとかわるせいなのだろう。少年はビンロウ樹の葉の鳴る音を聞きながら、また、うとうとしている。



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