2017年02月21日

日本人のココロのルーツ



 ある人から、こう尋ねられた。
 「あなたは自分を唯物論者だと言っている。そして21世紀は学問や芸術なども唯物論で創りなおすのだと説いている。しかし、日本には山川草木すべてに神が宿るという神道の捉え方がある、これについてはどう考えているのか。迷信といって排除するのか。神道の考え方は、日本人であるあなたの心の素養にもなっていると思う。これを否定することはできないのではないか?」

 これは良い質問だ。唯物論では日本人の魂をどう捉えるか詳らかにせよというのだろう。以下に私がどう答えたかを再現してみる。

 日本における神と人の関係は、大きくは祖霊(それい)、御霊(ごりょう)、自然神にわかれる。祖霊は先祖の神様、御霊は先祖神に近いが祟り神、自然神は岩とか植物などの自然物である。「能」はこのいずれにも関わる芸能であり、また神事である。
 この件については、昨年秋に書いた「能」の記述に詳しく述べた。
 今回の質問は主に自然神に関わる質問だとして、先に進もう。

 拙ブログで何度もくり返し紹介したが、エルンスト・ヘッケルが発見した「個体発生は系統発生をくりかえす」は見事な法則である。ある動物の発生はその動物の進化の道筋をたどって行われる、というより辿らなければならない、とするものだ。
 この「個体発生は系統発生を繰り返す」という法則は「個人の成長過程は人類史を繰り返す」ともなる。言い方を変えれば「人間は胎内で生物進化の一般性をたどるが、成長過程でも人類の歴史の一般性を辿るのだ、と。「成長過程でも一般性を辿る」とは、たとえば赤ちゃんのハイハイは両生類段階を経験しているわけで、両生類の運動をしなければ哺乳類になれない。認識の成長でもである。

 『看護のための「いのちの歴史」の物語』(現代社)には、こうある。
 「人間は二重の意味で『いのちの歴史』を歩まされています。一つは生物としての人間歴史として、もう一つは個としての人間の歴史として。このようにして人間は人間になってきているのです…」

 私たちは赤ん坊のころから、“生命体にとっての発生のくり返し”とともに、“人類の文化史のくり返し”をやらなければならない。私たちが幼児から小学校、中学校、高校へと受ける教育は、“人類の文化史のくり返し”なのである。
 端的に言えば、私たちは子どもの頃から、人類の、だけでなく日本人の、原初からの文化史のくり返しを経験しなければならない。

 よって原始人のアタマとココロであった「鳥獣木草すべてに神が宿る」を通過しなければならないのである。
 外国で生まれ育って青年になって帰国した人と接すると、日本語はできるのだが何となく違和感を覚えると思うが、その原因がこれではあるまいか。

 近隣に鎮守の森があり、路傍に地蔵が鎮座し、正月には初詣に行き、寝床の中で祖母や親から昔話を聴き、怖い幽霊の話に震え、お雛様を飾り、先祖の墓参りをし、お盆の行事をやり、(外国の習慣だが)サンタさんを信じ……と、誰でも子どものころに経験した、そういった原初の観念論は、なくてはならないものなのである。

 たしか三浦つとむさんは、自分は子どものころから神様なんか信じていなかった、と書いていたと思うが、それはたぶんウソであり、また本当ならそれではまずいのだ。
 しかし大人になったら、先に言った神に関わる行事を真っ正直に信じるヤツはおかしい人間である。神がいるわけはないと、思わないのは知恵遅れでしかない。大人にもなって正月にこぞって初詣なんかに行き、銭を放り込んでくるのはアホである。本人も神に祈って家内安全大願成就が叶うとは思っていまいに。祈れば願いが叶うなら、全員が宝くじに当たっていいはずじゃないかネ。

 こう書くと猛烈な反発があろうけれど、まちがいはまちがいなのだ。しかし、それは子どもには必要なものである。
 人類は、観念論(宗教)を通過してから、ようやく今、唯物論の世界へと進歩してきたからである。

 宮本武蔵も戦国末期から江戸初期の人だから、片足は宗教に突っ込んでいる。晩年は寺に住んだというが、決闘のさいには「われ神仏をたのまず」と言ったとか。そうやって徐々に我等の先祖は観念論から唯物論へと移行してきたのである。

 原始時代の人間は、稲は太陽や水の神が恵んでくれたのだ、洪水や土砂崩れは神の怒りだと、そう思って当然であろう。だから日本人は「山川草木」すべてに神が宿る、と思い、シンキロウ首相が、日本は神の国だと言ったことに賛同する。それはまあ良しとしても、21世紀になってもまだ宗教かよ、なのである。

 唯物論が正しいとはいうものの、子どもにいきなり唯物論でものを考えさせるのは好ましくない。
 なぜなら、これはどうせ大人になったらセックスするのだから、小学生からだって愛があればいいんだよ、というようなものになる。
 観念論の経験なしに唯物論から出発したら、子どもが生まれたのは親の愛情なんかではなくて、動物的な交尾のせいだ、などという話にもなりかねない。

 ものには順序があり、時期がある。
 いきなり唯物論では、ココロとは何かがわからない。子どもは例えば、神様という捉え方を通じて「優しさ」とか「人に尽くす」とか、怒りとかを学ぶのである。亡くなった先祖が自分たちを守ってくれるから自分も親や兄弟を大事にするんだなとか、小さなアリにも命があって、むやみに踏んづけてはいけない、とかを知るのだ。

 こうも言えるだろう。3歳児までは「即自」でしかあり得ず、そこから「対自」の目覚めていくには、相互浸透の対象として「カミ」のごときものがあったほうが、そこから先に「即自対自」へと量質転化しなければならないけれど、そこで唯物論を教育されるかどうか…であろうか。

 京都や奈良にある神社仏閣は、大人が信仰の対象にするべきものではない。われら先祖が今日の私たちにつながる文化を創ってくれた、過去の生きざまとか文化を偲ぶ対象である。
 あれらは全部幼児語でいえば「ののさま」となるであろう。
 亡くなった人を「ののさま」と言う。お月様も「ののさま」だし、仏さんも「ののさま」。あらゆる霊的なものを認めた場合に、幼児語で「ののさま」なのだ。

 先に能の話をちょっとしたが、能には仏教が日本に入って来る前の日本固有の、いわば国家が出来る前の、日本人のココロのルーツに辿っていけるものがある。以前にも書いたが、能が藝術となったのは、明治以降のことであって、江戸期までは明らかに神事(非業の死をとげた人間による祟りの防止)である。
 根本には人間が神になるという考えがある。死んだ人のことを仏様とは言うものの、本来の仏教では仏様とは悟った人を指す。解脱した人。だが日本人はそれを受け付けない。カミと言う代わりに仏と呼ぶ。西洋人の言うゴッドとは全然ちがう。

 だから死んだ人=神になった人を悪く言わない。支那人は死んだ人間をあしざまに扱って平気である。日本では仏=神の悪口はタブーだ。これが本来の日本人のルーツ、またはハイマート(故郷)なのである。
 ルーツを辿るとは「系統発生をくり返す」ことなのだ。原初からの系統発生を辿らなくては、われわれは21世紀の人間足りえまい。




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2017年02月20日

手形の起源


 たまたま所用あって東京・日比谷のシャンテに行った。ここの1階「合歓の広場」には、美空ひばりや吉永小百合といったタレントたちの手形とサインがはめ込まれている。
 http://www.toho.co.jp/chanter/hot/index.html
 これはハリウッドの真似であって、人気スターの手の形を見たいファン心理に迎合したものだ。
 大相撲国技館のあるJRの両国駅前の歩道上にも有名力士の手形のレリーフが埋めてあった。

 床にスターの手形を埋め込む遊びは、日本古来の手形のありかたとは異なる。
 「手形」は昔は「てぎょう」と言った。今は商業手形(てがた)のほかに、力士が色紙に手形を捺してサイン代わりにすることがある。
 昔の手形(てぎょう)とはどういうものだったかを、八切止夫の“歴史ガラクタ箱”から拾ってみよう。

 戦国時代は、やたら戦争をし、しきりに人が殺し合っていたかに思えるが、平時よりは多かったにしろ、そう一概に敵と見たら必ず首をあげていたわけではなかったようである。足軽ふぜいは虫けらのごとく殺されたようだが、武将どうしの一騎打ちともなると、そこはそれ駆け引きが当たり前にあった。

 八切止夫は『庶民日本史辞典』のなかでこう解説する。
 「昔の武士というのは今でいえばプロです。プロはやたらに、死に急ぐものでは絶対にありません。手傷をおったりしていて到底戦えぬと、自分で見きわめがついた時は、『短間(タンマ)』と叫びます。暫く待て、ジャスト・モーメントの意味です。そして首を落とされる前に話し合いとなります。(中略) (負けそうになっている方が)今は手持ちが銀百匁しかない。ここで(貴殿が)首をはねればそれだけ入手できよう。しかし自分をここで見逃せば、後ではその10倍の銀を払うが如何かといった交渉。命がけの掛け合いの取引なのです。真剣でした。」

 こんな話は、戦記物の小説や映画には出てこない。しかしとてもリアルである。こういう交渉がありうるのが社会だと私は思うから、八切止夫説を信用したい。
 そして戦場での交渉は、「後日の証拠に、これなる料紙にかき申す、と矢立より筆はだしますが『花押』と呼ばれた印形は殿様ぐらいしか持っていなかった時代ゆえ、掌に墨を塗って押したのが手形となったのであります。」

 と、こうなのである。戦国時代の合戦も、なんだビジネスじゃないか、と思える。実際、戦国時代の戦争は(今もそうだが)ビジネスだ。ビジネスだから後に商業手形が誕生するのも、このエピソードからわかる。
 
 紙も筆も持っていない武士はしょうがないから口約束になる。八切止夫はそこから「武士の言葉に二言はない」と、武士たるものはウソをつかないというモラルがここに生まれたのだと説く。
 武士の掟の基盤はここにあったのか。

 これが支那人や朝鮮人なら、ウソをついて命だけは助かろうとしたであろう。だからあれらの国では、ウソをつかれたらウソをつき返す、という全員総嘘つきとなり、また人をみたら騙す、約束は必ず破る国民性となって今日に至る。しかし、日本ではそうはならなかった。
 口約束や、手形のような当てにならないものを、信じる社会を武士たちは創ることになった。命と引き換えの約束の金子(きんす)は確かに届けられたのであろう。そういう無理してでも約束を守る日本人の“ふう”はこうして武士によって創られたのだ。

 これが日本人の今日に続くモラルの高さとなって流れてきている。諸外国の人から、日本人は約束を守る誠実な国民だと高く評価される遠因はここにあった。

 さらに。
 よく時代劇なんかで、侍が敵を斬ったあと、懐から懐紙を出して、刀の血糊を拭いて捨てる場面があるが、江戸時代に今のティッシュみたいに、紙をやたらに汚れとりに使うほど潤沢にあったわけではないだろう。紙は諸外国に比べれば豊富にあったらしく、幕末に来た外国人が驚いているが、それでも貴重品である。

 だいいち、以前のブログでも紹介したが、江戸時代には実際は決闘などはほとんどなかった。武士といえども、刀の鯉口を切っただけで死罪に処せられたのだから、カッとなってもおいそれと刀を抜くわけにはいかなかった。
 その武士の鯉口を無理に切らせる(抜かせる)道具が、あの岡っ引きが持っていた十手である。十手は武器足り得ないのは明らかではないか。

 十手は鋳造品であって、日本刀のような鍛造品ではないから、十手と刀あるいは十手同士がぶつかりあえば、すぐ壊れる。
 だから十手を武器として、刀と張り合うことはできない。
 幕府が侍でもなくチンピラでしかない岡っぴきに刀は持たせない。実用と、誇りゆえである。

 江戸時代に武士が懐紙を持っていたのは、万一、巷で争いに巻き込まれ、自分が殺されそうにでもなったら、カネで命と引き換えにしてもらうために手形(てぎょう)を書かねばならなかったからである。だから「財布」のことを「金入れ」とは言わず「紙入れ」と称して白紙を懐に入れて大切に携行したものであった。
 懐紙は万一の際に手形を押さねばならぬ武士の貴重品だった。

 八切止夫によれば「月賦」という言葉に「武」の字があるのは、命の猶予をくれた相手に差し出した約束手形の額面を一度に払いきれないので、分割払いにしたための名残であるそうだ。

 テレビドラマ「水戸黄門」のクライマックスでは、「この紋所が目に入らぬか!」と大見得を切る場面があるけれど、あの黄門様の印籠は、初めは決して薬入れではなかった。手形に捺す印判入れだったのである。
 角さん、助さんが派手な立ち回りで胸のすく活躍をしているが、実際は「命だけはたすけてちょうだい。おカネは払いますから」というときの手形を発行する用意がしてあったという、お粗末。

 八切止夫も言っているが、「武士道」なんてものは「そう恰好よくない」ものである。われわれがキレイごととして理解している武士の生きざま、主君に仕えるありようは、ほとんどが講談師の創作であろう。武士の決闘の場面も、小説家や講談師の創作である。




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2017年02月18日

田舎も都会も人はへこむ


 山陰地方に住んでいる知り合いの若い女性から、久しぶりに近況を報せるメールをもらった。
 なんでも新年会があったそうで、そこで酔った先輩にからまれたらしい。

 いきなり酒席で同席の女性から「あんたはね、人前ではいつもニコニコしているけれど、自分が気に入らない人への反応はものすごく冷淡なのよね。外面はいいようでも、家ではわがままで、本当は性格が悪いんでしょう」などと面罵されて、びっくりしつつも、当たっている面もあって「へこみました」とある。
 
 「私にも非はありますけれど、人には嫌なことはいうものではありませんね。言われた方は、ずっと忘れませんね。どうしても直してほしいことがあれば、直接、心をこめて言うべきだと思います」
 と書いてきていた。

 この女性がどういう性格なのかはどうでもいい。田舎のジトッとした人間関係の一端をかいま見る思いがする。
 都会が住みやすいわけでもないが、私は田舎は絶対に住みたくない。
 以前にも紹介したが、丸山健二氏の「田舎暮らしに殺されない法」(朝日新聞出版 08年刊)から、田舎暮らしとはどういうものかを取り上げた。

 丸山氏は若者が都会に出て行く理由を、単に職がない、夢がない、男女の出逢いの場がない、刺激がなく退屈、などということではないと言う。
 「かれらは、暗く湿った、息の詰まるような、四六時中監視し合っているような、田舎の重苦しく狭苦しい雰囲気に対して背を向けたのです」と説いている。

 冒頭に紹介した山陰のある小都市に住む女性のいがみ合いの話も、まさに息の詰まるような、表向きは仲良くやっているようでも「四六時中監視し合っているような、田舎の重苦しく狭苦しい雰囲気」を思わせる。

 じゃあ都会はどうかということを、同じ丸山健二氏が自伝的小説ともいうべき『生者へ』(新潮社 2000年刊)で以下のように書いていることは痛烈である。
 これは丸山健二氏が当時としては史上最年少で芥川賞をもらって作家デビューする前の商社勤めの時代を回顧しての文章である。
 少々長いが、みなさんも身につまされるだろう。

     *     *

 だが、企業というところはそう甘くはなかった。八時間勤務で、残りの時間は全て自分のものと考えたのは大きな間違いだった。私のような成績のよくない者をなぜ積極的に採用したのか、その理由はすぐにわかった。配属された電信課の仕事の中身は想像していたよりも大変だった。日本の商取引の慣習として海外の時間に合わせて動くために早出と残業が連日つづいた。

 毎日へとへとに疲れ、余計なことを考える余裕はなく、帰りの総武線の電車の中ではしばしば眠ってしまい、津田沼の駅を乗り越して千葉の駅で目を覚ますということがたびたびあった。
 休日には寮で眠っていることが多く、映画を観る気力もなかった。そして、只生きているというだけの虚しい日々が素早く通り過ぎて行き、そんな暮らしに抵抗する体力がどんどん消耗してゆくのだった。

 最初のボーナスをもらったとき、ささやかな額ではあったが、どうして多くの先輩たちが羊のようにおとなしくそんな生活に耐えているのかわかった。わかったような気がした。1年に二度これをもらえるから何とか我慢していられるに違いないと思った。会社勤めにつくづく嫌気がさした頃に出るボーナスのカンフル注射にも似た効力は大したものだった。勤め人たちを生かさず殺さずの微妙な状態に保つボーナスにつられてずるずると会社に居ついてしまう危険性をひしひしと感じた。
 それは私の思い描くところの真の生者の道に著しく反する道であった。

 一番我慢ならなかったのは、職場の人間関係だった。人間が好きだからこそ堪えられなかった。家庭的と言えば家庭的、日本的と言えば日本的なのだが、公私の区別がない、上辺だけでありながら妙にべたべたした付き合いにはうんざりさせられた。課長が最初にしてくれたアドバイスはこうだった。「会社というところは仕事よりも人間関係のほうが数倍も大切なんだからね」としつこく言われたものだった。

 しかし、私のように生まれながらにして集団に組み込まれることを嫌う人間には心外な忠告だった。私がサラリーマンをしているのはひとえに一文無しの身分だからであって、あくまで口過ぎのための手段にすぎなかった。忠誠を誓ってまで資本家に尽くさなくてはならない義理などひとつもなかった。ましてや、こっちが選んだわけでもない職場の人間と温泉旅行まで共にしなければならないなんて論外だった。

 だが、そんな考えを持つ者はどうやら私ひとりのようだった。周辺にはサラリーマンになるためにこの世に生まれてきたような人間がごまんといた。適応力に富んでいるというか、従順な質(たち)というか、典型的な現実派であるというか。
 万歳突撃を命じられたら即実行に移し兼ねないような「君、よろしくね」と言われた肩をポンと叩かれたら、ビルの屋上から身を投げ兼ねないような、そんなタイプの数のあまりの多さがひどく不気味なものに感じられた。
 本当に自分と同じ人間なのだろうかと疑わずにいられなかった。かれらといっしょに満員電車に詰め込まれるとき、ゲットーに送り込まれる人々の気持を想像しないではいられなかった。

   (中略)
 九分九厘の人々が辛抱していたとしても、私だけはそんな現実をあっさり認めてしまうわけにゆかなかった。たとえ突然成功の道が開けて蒸し風呂のような満員電車にぎゅう詰めにされなくてもよくなり、冷房の効いた高級乗用車で送迎される身分になったとしても、こうした土地では絶対に暮らさないだろうと思った。

 ところが、周囲の人々はいらいらしながらも怒り狂うほどではなかった。己の行く手にどんな人生が待ち構えているのかを百も承知しながら、ささやかな変化に、プロ野球の試合の結果や、競馬の予想や、賭け麻雀の勝敗や、株式の相場といったことに楽しみを見いだし、一喜一憂しながら、半ば諦めの日々をきちんと生きていた。

     *     *

 丸山氏が書いている状況はもう40年前の話だが、今も変わるまい。相かわらず会社勤めは奴隷の日々である。40年前より、女性がこの奴隷仲間に加えられた数が多くなったくらいの違いしかない。
 つい先だっても電通の女性社員が残業の多さに耐えきれず自殺した。

 この丸山氏の『生者へ』、いかがですかみなさん?
 苦い、砂を噛むような思いでこの丸山健二氏の突き刺さってくるような文章を読んだのではないだろうか。そんなこと言ったって、丸山は小説を書く才能があったからサラリーマン地獄から抜け出して成功したんであって、才能がない俺にどうしろと言うのか、耐えて家族のために生活費を稼ぐしかあるまいに…と、怒りを私や丸山氏に向けたくなったかもしれない。

 前回、この書を取り上げた際にも紹介したが、『生者へ』の「腰巻き(広告の帯」には、
 「いかなる権威にも屈することなく、いかなる集団にも頼ることなく、さりとて世捨て人に堕するわけでもなく、そのために支払う代償をものともしないで、どこまでも個人の自由という掛け替えのない精神と権利を求めずにはいられない激しい気性の持ち主こそが、真の創作者であり、真の生者たらんとする生者である。」

 とある。
 多くの奴隷となった日本人には、意味がわからない言葉であろう。ほとんどの大衆は、今の暮らしより「ほんのちょっと」豊かで、楽しければいいのだから、権威がどうたらなんて関心がない。半年に1回のボーナスをもらって得したような気分になって、一つ家電製品を買って、旅行にでも行ければ、従順に働くのみ。
脱却する方途へは絶対に足を踏み出さない。「だって、仕事が忙しいんだもの」と。「空手をやってみないか、だって? 仕事が山のようにあるんですよ。放っておけませんよ」

 そして「 己の行く手にどんな人生が待ち構えているのかを百も承知しながら、ささやかな変化に、プロ野球の試合の結果や、競馬の予想や、賭け麻雀の勝敗や、株式の相場といったことに楽しみを見いだし、一喜一憂しながら、半ば諦めの日々をきちんと生きていた。」となって、はい、おしまい。
 末路は、医者と製薬会社と役人に騙されて、病気をつくられて死んでいくのである。



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2017年02月17日

ホロコーストの“真実”とは(2/2)


《2》
 私は、ナチスによるユダヤ人迫害がなかったと言う自信はない。しかし「ユダヤ人が600万人虐殺された」というのは、誇張された話ではないかと思うのみだ。真実は検証されなければならないと思う。イスラエル=シオニストは、疑惑に対してまっとうに答えなければならない。言論を封じ、弾圧するやり口はあまりに卑劣である。
 人にいっさいの疑問も許さないのは、逆にそれがウソだからであり、バレると都合が悪いからだと疑われる。

 なんで自分たちを悲劇の主人公にし、ナチスを悪魔に仕立てるかは、税金問題だと言ったが、もう一つは、「しかるべき死体の数によって、イスラエルという国家にたいしてドイツが戦後一貫して毎年支払い、いまも支払いつづけている莫大な補償金の額を正当化するため」(ラッシニエ『ヨーロッパのユダヤ人のドラマ』(『ホロコースト物語とユリシーズの嘘』所収)より)なのである。これをイスラエル協定と言う。

 以下は昨日も紹介した「教えて!goo」の「ユダヤ人ガス室大量殺人の真実」にある“解説”である。簡潔にして的を射て見事なので、全文を引用させていただく。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2712606.html?from=recommend

     *     *

[引用開始]
 ラッシニエはさらに、「それは単に、純粋に、そして非常に卑劣なことに、即物的な課題でしかないのだ」という表現をもちいている。一九四八年までは存在していなかったイスラエルという国家にたいして、一九四五年以前の問題についての補償金を支払うという「イスラエル協定」については、その法的矛盾を指摘するとともに、「いかなる言語でも“詐欺”としか表現できない」という告発までしている。
 このラッシニエの告発は、決して突拍子もないものではなかった。永井清彦も『ヴァイツゼッカー演説の精神』のなかで「イスラエル協定」について、つぎのようにしるしている。


「この協定は日本では普通、『賠償』協定と呼ばれているが、実はボツダム協定にいう賠償の枠を越えた、『償い』の協定であった。イスラエルはかねてから、ドイツからの賠償を要求していた。しかし、戦時中には存在していなかったイスラエルに、賠償請求権があるかどうかについては法的な疑問がある、というのが戦勝四大国の立場であった」
(略)

 朝日新聞の特集記事「問われる戦後補償、下」(93・11・14)によると、一九九三年現在で、一九四九年以来イスラエルがドイツからうけとった金額は、九〇四億九三〇〇万マルク[一九九四年現在の交換レートで約五兆七九〇四億五二〇〇万円]に達している。協定の期限の西暦二〇〇〇年までの支払い予定の残額は三一七億六五〇〇万マルクで、あわせて一二二二億六五〇〇万マルク[おなじく約七兆八二四九億六〇〇〇万円]になる。そのほとんどはイスラエル、ユダヤ人組織、ユダヤ人個人向けである。

 イスラエルは、砂漠地帯に給水設備をめぐらせつつ、国際的にも非難されている「占領地域」にまで入植し、いまや三〇〇発以上の核弾頭を保有するという事が公然の秘密とされている超々軍事国家である。人口の増加は、軍事的な意味でも必死の課題だが、移住者をむかえるためにも資金が必要である。イスラエルの経済はもともと、ドイツやアメリカからの資金援助なしには絶対に成り立たなかったのである。

 だから当然、以上のようなラッシニエのきびしい糾弾の言葉は、「イスラエルという国家」、またはシオニストにとって致命傷となりうるものだった。
(略)

 パリで、具体的には一九四五年一二月二一日、ドイツから取りたてる賠償金の配分を決める会議が開かれていた。『移送協定とボイコット熱1933』では、ユダヤ人自身の国際組織、「世界ユダヤ人評議会」が一九四八年にニューヨークで発行した活動記録、『離散の中の統一』の記述にもとづいて、この会議の経過を要約している。

 第一次世界大戦後の高額賠償金請求はドイツの経済を破壊し、ヒトラーの登場をまねいた。だから今度は金額は低くおさえられた。「二五〇〇万ドル」と「中立国でさしおさえたドイツの資産」および「ドイツで発見された金塊」が賠償金の基金となった。最初は、ユダヤ人への賠償という考えは、連合国首脳の頭のなかにはまったくなかった。世界ユダヤ人評議会はアメリカ政府に強力にはたらきかけた。

 その結果、最初の段階では、賠償金の配分を「ドイツの支配下で非常にくるしめられたもの」に優先するという原則が決まった。だが、そのときにはまだ「ユダヤ人」の名はでていなかった。以後、翌年の一九四六年一月一四日にいたるまでの「ユダヤ人組織のきびしい努力の結果、やっとのことで」、「二五〇〇万ドル」と「金塊」の九〇%、「相続者のいない資産」の九五%がユダヤ人に配分されることになった。その使用目的は、ユダヤ人組織の代理人が持ちだしたもので、「ユダヤ人戦争犠牲者の再定住」のための資金にあてるという計画だった。

「ユダヤ人戦争犠牲者の再定住」、すなわちイスラエル国家の建設である。このための資金の獲得こそが、ラッシニエが「純粋に即物的」と表現した具体的な課題だったのである。「六〇〇万人の神話」は、まず最初に「しかるべき死体の数」として提示され、ドイツからの賠償金の配分獲得に役立ったのだ。
  [引用終わり]
 
 これらからお分かりかと思いますが、まず第一に金なんです。戦争の賠償金などというものは、通常では考えられないほど莫大な利権を生みます。
 その為には、歴史を捏造して、自分たちの被害を殊更に強調し続けるのも、自然な事です。

 また一度捏造したら、永遠に嘘はつき続けなければなりません。嘘によって成り立っている利権なのに、嘘と認めてしまうはずがありません。たとえそれがどんなに科学法則に反していて荒唐無稽であってもです。

 そして、欧米においては、少しでも真実を知ろうとする人がいれば、ユダヤ人の団体によって、潰されてしまいます。「知ろう」とした時点で、文字通り犯罪です。ホロコーストに少しでも疑義を唱える本は、児童ポルノと同じように、発禁処分を受けます。

 そのように法律によって、嘘を嘘のままにしておかなければならないのです。

 現在は、嘘をつき続ける事で、得をする人たちが、政治的にも経済的にも優勢で、メディアも支配されています。それが現実なんです。だから現状がそう簡単に変わるわけが無いのです。
 主流メディアとは、政治的に歪められているので、そこにはメディア支配者の見せたい「現実」しかありません。だから、本当の現実を知りたいならば、そこから離れるしかありません。
 そこから離れた場所で、幾多の科学的で自然な「本当の真実」が見えてくるでしょう。その為には、何が正しいのか判断できるメディア・リテラシーを持つ事が必要です。

     *     *

 日本でも、昭和天皇が本当はアメリカとの戦争を望まなかったのに、陸軍が暴走したんだとか、天皇は政治・外交・軍事には介入させてもらえなかった、昭和天皇ほど平和を希求された人もいない、などの話がまかり通っている。小林よしのりが最近そのプロパガンダの片棒を担いでいる。
 あるいは海軍は善玉で、国際的視野を持っていたが、陸軍が頑迷で覇権主義だったために大東亜戦争に突き進んでしまった、などいうウソも、人口に膾炙している。

 これはまさに「嘘をつき続ける事で、得をする人たちが、政治的にも経済的にも優勢で、メディアも支配されています。それが現実」なのである。

 最後にもう一度、ホロコーストに関する“感想”を述べておくと、いかなナチスが悪逆非道だったとはいえ、当時のドイツ人がそれほどのバカであったろうか? むろん騙された面はあろうけれど、市民はふつうの、今とさして変わらない認識を持っていたはずで、国中あげて犯罪集団と化したとは思えまい?
 われわれの祖父や父の代の人たちが、あろうことか南京に赴いて、虐殺のかぎりを尽くすなどということは、信じられないことであろう。

 あなたの周囲に、そんな大阪教育大付属池田小学校に乱入して児童を無差別に殺害しまくったとされる宅間守を、百倍ほども悪くした兵士たちが、南京に押し寄せたのか? 同様に、ナチス時代のドイツとて、国民みんながユダヤ人をいじめぬき、600万人も殺せるわけがなかろう。ましてヘーゲルやベートーヴェンを生んだ偉大なドイツ人が、である。

 600万人も虐殺? そんなバカなことはあるはずがない、という素直な目で、われわれはマスゴミや官許歴史教科書から離れてものごとを見なければならない。
 一方で、昨今のヨーロッパの難民・移民問題は、ドイツが大量に受け入れているが、その拝啓にはほとんど語られない、「イスラエル協定」がからんでいるのではなかろうか? とも疑ってみるべきではないかということなのである。

 未来永劫、ユダヤ(イスラエル)が国家として贅沢をやらかすためにはドイツからの「償い金」がもらえなければならない。イスラエルにとっては、ドイツ人が一生懸命に働いてカネをかせいでくれないと困る。だから中東から安い労働力を送り込んで、ドイツで働かせるのがうまいやり方ではないのか…と。




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2017年02月16日

ホロコーストの“真実”とは(1/2)


《1》
 ナチによるユダヤ人迫害や強制収容所をテーマにした映画はずいぶんと観てきた。最近では、ハンガリーの映画で『サウルの息子』がある。
 サウルはハンガリー系のユダヤ人。ビルケナウ収容所のなかでゾンダーコマンドとして働いている。ゾンダーコマンドとは、収容所に連れてこられたユダヤ人のなかからナチスが選抜した部隊で、ユダヤ人の死体処理に従事させられるが、それもしばらくの間だけで、彼らもいずれガス室に送り込まれる(となっている)。

 2015年製作だから、今日でもホロコーストは(妙な言い方になるが)映画では人気のあるテーマであるらしい。『サウルの息子』は、収容所で働かされる主人公の目の前で、ガス室で殺されたばかりの息子がいた、というところから話がはじまる。
 サウルは何がなんでもユダヤ教で埋葬して、簡略ながらも葬儀をしてやりたいと思って、息子の死骸を隠し、ラビを探し回る。

 収容所のなかで、ナチの監視の下、そんな自分勝手なことが許されるわけがないし、ゾンダーコマンドの仲間たちにも多大な迷惑を被らせても、最後の「人間らしい(?)」埋葬にこだわる主人公に同情的に映画は描かれるけれど、私にはどうもこのテーマは無理があると思えたし、70年以上も昔のナチの収容所を舞台にするあたりも古いのではないかと思えた。

 いささか不謹慎は言い方かもしれないが、ナチの収容所を舞台にしたら、いくらでも映画は創れるではないか。ガス室に放り込まれるユダヤ人一人ひとりにドラマがあるし、ナチの人間にもドラマは考えられる。それが悪いと言うわけではないが、ホロコーストが本当にあったのか? と問い直されている現代において、ガス室があったことを前提とした映画がなお、なお、なお、創られることにはいささかの疑問を呈さねばならない。

 ナチス・ドイツによるユダヤ人へのホロコーストの真相はすこしずつ世間に浸透してきているように思える。ナチスがユダヤ人をいじめた事実はあっても、ガス室に放り込んで600万人もの大量殺人をやらかしたとは、戦後のユダヤ人による作り話だとする見解である。

 しばらく前に、イランのアフマディネジャド大統領が堂々と、ホロコーストはウソだと言って(2005年)、日本のマスゴミをはじめ世界中が驚いていた。
 アフマディネジャドはホロコーストについてこう言った。
 「イスラエルが建国の口実にでっちあげたものだ。西欧諸国はヒトラーが数百万のユダヤ人を殺し、強制収容所送りにしたと主張する。これに疑いを抱く者は、歴史家であれ、評論家であれ、科学者であれ、誰であれ手厳しく非難されるか、牢獄にぶち込まれる。」

 アメリカによるアポロの月面着陸もひどいウソだったが、ホロコーストもきわめて怪しい。
 アフマディネジャドが言うように、ホロコーストに疑念をいだいただけで、欧米では「誰であれ手厳しく非難されるか、牢獄にぶち込まれる」。ドイツでは5年の懲役、オーストラリアでも3年の懲役をくらうそうだ。職も失う。

 欧米では、少しでも真実を知ろうとする人がいれば、ユダヤ人の団体によって、潰される。知ろうとしただけで犯罪にされる。ホロコーストに疑義を唱える本は発禁処分を受ける。

 なぜそんな厳しい法律があるのか? それはユダヤ人がカネを儲けるためであると、斯界の権威たる宇野正美氏(国際時事問題評論家)は解く。
http://www.youtube.com/watch?v=JYBFJ0qHrcY&NR=1
 たとえばドイツでは、ユダヤ人の企業は無税だそうだ。それはユダヤがドイツを支配しているから出来る。もしドイツ人が、ユダヤの企業にも税金を払ってちょうだいな、とお願いすると、「貴様らドイツ人はヒトラーとともに俺たちユダヤ人を迫害して、600万人も虐殺したじゃないか、それを忘れたんか!」
 と、すごむのである。これでドイツ人は参ってしまう。
 問答無用がまかり通る。
 
 600万人という数値はニューヨークのユダヤ人協会なる団体が発表したものである。いささかも科学的裏付けがあるものではない。日本軍の「南京大虐殺」と同じプロパガンダである。
「教えて!goo」にある「ユダヤ人ガス室大量殺人の真実」にある、「疑惑」を並べてみよう。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2712606.html?from=recommend

・死因がガス中毒によるものの死体が一体もみつかっていない。
・当時のガス「チクロンB」では人を死に至るにはかなり難しい。
・死体を焼却するはずの焼却炉が見つかっていない。現在あるのは再現用である。
・焼却すれば当然、煙が上がる訳でありそのような煙を偵察機が捉えた記録は一度も無い。
  しかも、わざわざ場所を教えるような煙の上がる焼却をするとはとても考えにくい。

・死体の死因の大部分は「餓死」と「チフス」によるものだった。
  ドイツ側の言い分は「餓死」させてしまったのは連合軍側が補給路を断った為だからと発言している。
・迫害を受けていたユダヤ人側から「そんなガス室や焼却炉など見たことも聞いたことも無い」と裁判で発言しているがこの発言を一方的に破棄されている。

 一口に600万人を殺したというけれど、宇野正美氏はそれを4年間での仕業とすると、1日あたり5000人も殺さなければ間に合わない。神戸の震災でもおよそ5000人が死んだが、火葬するのに10日間もかかっているそうだ。
 ナチスはこれだけの遺体をどう処理したのか? そんな設備はなかったのである。
 人間一人を火葬するのに重油ベースで180リットルが必要とされる。当時のドイツ軍は日本以上に化石燃料が(アメリカから密かに売ってもらっていてもなお)足りず、モスクワ占領を諦めてまでコーカサスの油田を狙ったほどであった。

 そんな貴重な石油を、たかが虐殺した人間を焼却するのに使うわけがあるまい。 
 大戦中のドイツは人手不足で、実態はユダヤ人さえも工場などの単純作業についていたのだ。殺して処理をするには手間ひまがかかる。カネもかかる。いくらヒトラーがユダヤ人を根絶やしにしたくても、そんな無駄なことをする余裕が、本当にあったのか。
 アウシュビッツ収容所には、人間の脂から石鹸を作ったの、髪の毛で毛布を編んだのというおどろおどろしい“証拠”が展示されているようだが、そんなコストのかかる商売を、世界一合理的な考え方をするドイツ人がやるわけがないじゃないか。 

 フランクルというユダヤ人の心理学者が強制収容所での体験を書いた『夜と霧』という本があるが、あれもプロパガンダの一種だったのではないか。以前にも書いたが、有名な『アンネの日記』もウソっぱちである。ユダヤ人の三流小説家がでっちあげた“騙りもの”である。

 『夜と霧』のなかでフランクルはこう証言する。
 アウシュビッツ到着するとユダヤ人の囚人たちは一列に並ばされ、ドイツ軍将校によって身体検査され2グループに分けられる。一方の人々は石鹸を渡され、毒ガスが撒かれる「浴場」へ行った。別のグループは別の浴場へ行き、そしてそこで裸にされ消毒された。ガスの出る「浴場」へ行った人々はその後姿を見ることはなかった…。

 映画『ソフィの選択』にもあったショッキングな場面だ。映画ではメリル・ストリープ演じるユダヤ人の母親が、ドイツ人将校に連れている二人の子のうち、男の子か女の子かどちらかを選べ、と言われる。母親は男の子の手をひき、下の女の子は引きはがされてガス室送りになるという話である。
 あれは世界中の観客の紅涙を絞ったであろう。まったく…よくやるよ、ハリウッド映画は。これでもかとドイツ人を悪者に仕立てる。というより自分たちユダヤ人をこれでもかと悲劇の主人公に仕立ててきた。そのプロパガンダの役割を担ってきたのがハリウッド映画であった。

 私も昔、フランクルの『夜と霧』を読んで、ナチスはなんとひどい事をすると憤ったけれども、フランクルはその毒ガスとやらを殺人に使ったあとどうしたかを書かなかった。「浴場」で毒ガスを充満させたら、人は殺せるかもしれないが、そのガスの後始末が超困難である。うっかり窓やドアを開けて外気に放出したら、収容所のドイツ人にも被害が及ぶ。煙突から出したことになっているが、 周辺の村人も吸ってしまう。

 だからガス室うんぬんはウソか、もしくは超誇張なのだろう。『サウルの息子』では延々と屍体処理の場面を描くが、死体は重くて1人ではそう簡単には運べない。二人掛かりでやっと持ち上げる。そんな作業を1日5000体も運ぶのはとてつもない重労働である。日にち毎日、それをゾンダーコマンドのユダヤ人にやらせるのは、相当無理がある。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☁| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする