2017年04月23日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第3回)


〈鳴き声〉

 プルメリアの中心の町ハシカルに、島でいちばん年寄りのチャモロ族のおじいさんがいた。「たぶんいちばん年寄りだろう」と島の人たちは言う。なぜ「たぶん」かというと、おじいさんは自分がいつ生まれて、いま何歳なのかを知らないからだ。
「おじいさんは、今年、いくつ?」と聞くと、
「知りません。わたしは五十から上の数を習わなかったからね」
 そんな答えが返ってくる。とぼけたおじいさんである。

 そのおじいさんが、いちばん年寄りだというたしかな証拠は、ある。
 おじいさんがプルメリアがスペインに支配されていたころのことをよく知っているからだ。
 プルメリアは、スペイン、ドイツ、日本と支配者が替わってきた。
 スペインがやってきたのが四百年前。それから三五〇年ほど支配がつづいた。かわりにやって来たドイツ人は五五年前からおそよ二〇年間プルメリアを支配した。第一次世界大戦後、ドイツに替わって今度は日本がプルメリアを支配するようになってから三〇年になる。

 だからおじいさんはきっと七〇歳くらいにはなっているはずである。 
 それだから、おじいさんはチャモロ語のほかに、スペイン語も、ドイツ語も、そして日本語も話すことができる。
 おじいさんは昔のことをよく知っているので、チャモロ族の子供にも、日本人の子供にも、よく昔話をしてくれる。
 ハシカルの町の中ほどにあるプルメリア映画館の前のベンチではよくおじいさんの姿をみかけた。おじいさんの得意の話は、スペインのころはこうだった、ドイツのころはああだった、そして今は……というようなことである。

 たとえば。
 「日本人はなにしろまじめだ。いちばん仕事をする。おかげでプルメリアはそこらじゅうがサトウキビ畑になった。工場も大きくなった。ちいさいが鉄道もできた。仕事、仕事、といって、われわれがのんびりしているのを許さない。ちょっとでも休むと、「なまけるな!」といってビンタをはる。昔は、こんなに働かなかったよ。スペイン人とドイツ人は教会へ行けの、神様をおがめのとうるさかったが、日本人といえばビンタだな」
 そういっておじいさんは、黒い顔をくしゃくしゃにしてよく笑う。

 また、おじいさんは子供が好きなので、スペインやドイツや日本の昔話をよく知っている。日本のものなら「もも太郎」とか「かちかち山」とか「花さかじじい」である。
「それにしてもな……」
 あるとき、「花さかじじい」の話を子供たちにせがまれてしてやったあとで、おじいさんはこう言った。
「ここ掘れワンワンだからな、日本人は。犬の鳴き声はワンワンだ。だがスペイン人はちがうぞ。犬はグァウと鳴くのだそうだ。ドイツ人は犬はブラフと鳴くのだと言う。

 ついでに言うと、ニワトリの鳴き声は、スペインのころはキキリキーで、ドイルのころはキーケリキー、日本になるとコケコッコーだよ。プルメリアでは……そのたびに鳴き声が変えられたのだよ。
 おじいさんはフーッとため息をついた。
「犬もネコもニワトリも、わしらは昔から同じように鳴いていると思う。犬はスペイン語で鳴いたり、日本語でほえたりはできない。なのにスペイン人は犬はグァウでなければならぬと言う。日本人は犬の鳴き声はワンワンだから、そういえとプルメリア人に教える」

 そのあとでおじいさんはチャモロ語で何かつぶやいた。でもチャモロ語を知らない日本人の子供にとっては、何を言われたのかわからなかった。
 おじいさんは、じつはこういったのだ。
「もしも、この戦争に日本が負けて、アメリカがプルメリアにやってくると、こんどは犬やニワトリは何と鳴くのだろう」


〈ヤシガニとり〉

 プルメリアでヤシガニ取りの名人と言えば、ジャンである。彼は山に入ってヤシガニをとらえ、町の魚屋に売って暮らしをたてていた。
 ヤシガニの大きさは子供の野球のグローブほどで、海にはいなくてジャングルの木の根かたや岩の間などにひそんでいる。見つけるのはむずかしい。穴にいるとわかっても、手をつっこめば強いハサミではさまれてしまう。

 そういうヤシガニをどうやってつかまえるかと言うと、砂をまくのである。
 ヤシガニは陸にすんでいるが、水にはうえている。だから雨がふるといそいそと巣穴から出てきて草の葉からつたってくる雨水を触覚で受けて、ごくごくと飲む習性がある。この習性を利用して、つかまえるのだ。
 ジャンは、海岸から砂をふくろにつめて山に入る。ヤシガニのいそうな所に来ると、おもむろに砂をパッと撒くのである。力士が土俵で塩をまくようなぐあいに。

 その砂のパラパラの音をいかに雨らしくまくかが、名人のひみつの技なのだ。
 そうすると、砂は木の葉や地面にあたってパラパラとまるで雨つぶのような音をたてる。穴でうとうと昼寝をしていたヤシガニは、「おっ、雨だ。水が飲めるぞ」とばかりに穴からはい出てくる。そこをジャンは待ちかまえていて、むんずと捕まえるのだ。

 さて、戦争がはじまったために、プルメリアでは兵隊でなければやたら山に入ってはいけないことになった。
 山じゅうが日本軍の要塞や司令所などになったからである。それでもジャンはかまわずに山の中にこっそり入っては、ヤシガニを取ってきていた。
 おかげで町のすし屋や食品店には、ちゃんとヤシガニがそろっていた。本当なら出回るはずのないヤシガニがあるのだから、これを警察が目をつけないわけがない。

 しかし警察がいくら山の中でジャンを捕まえようとしても、ジャンはうまいこと逃げおおせる。警察がいくら地団駄踏んで悔しがっても、プルメリアで一番山にくわしいジャンにはかなわない。
 それでもいよいよ戦争のようすがきびしくなって、アメリカ軍の攻撃が近づくにつれて、山の警備もげんじゅうになった。いたるところに日本兵がいて、あやしい人間をみると、かまわず発砲してくる。こうなると、いかなジャンでもうかうかしていられない。
 ジャンはいつもヤシガニをおろしている市場に行って、市場の親方に会った。

「どうしたジャン、うかぬ顔して?」
 親方は60歳くらいの日本人で、頭はきれいにはげていて、ポッコリお腹のためダボシャツの前をいつもはだけている男だった。
「いやあ、ああ、うん、だけどねえ……」
 ジャンは口ごもり、はっきりしない。
「今朝はどうした? ヤシガニを一匹も持ってこないな」
 親方はニヤニヤしながら言った。
「そうなんだ。おちおちヤシガニをとっていられないぜ。命がけだ。夕べなんか、山の中で兵隊に撃たれて、弾が耳元をかすめたよ」

「うむ」と親方はキセルに火をつけて一服吸った。「さすがのジャンも軍隊相手ではかなうまい」
「わらいごとじゃない。地雷もそこらじゅうに埋めてあるそうだし、うかつに山には行けなくなった」
「まあ、地雷はプルメリアでは埋める前に太平洋の海底にしずめてきたほうが多いようだがな。お前がヤシガニをとってくてくれないと、わしの商売もこまるからな。いつ敵の飛行機がくるかわからないから、もう船を沖に出して魚をとることもできない。今じゃ岸から釣るばかりだ。魚市場もさばく魚が少なくてどうしようもない。山からとってくるヤシガニは頼りにしているんだ」
「戦争が終わるまで、とても山の中には行けやしない」

「あほ、そんな悠長なことを言っておれるか」
「鉄砲でうたれるのはゴメンだぜ」
「当たり前だ。おれに任せておけ。山に入れるようにしてやる」
「どうするんだ?」
「日本ではな、昔からおかみを手なずける方法があるんだよ」
「……」

 親方はジャンを連れて、島の守備隊司令部にかけあいにいった。そしてみごとにジャンが山に入ってヤシガニ漁をして良い許しをとりつけたのである。
 もちろん親方はふだんから司令部の軍人にお酒を持っていったり、とれたての魚や貝をさしあげたりして、とりいっていた。それに、とれたヤシガニのうち三匹は司令部におさめることで話がまとまったのだ。
 こうしてジャンは砂ぶくろを持ってゆうゆうと山に入り、高射砲の鼻先であっても構わずヤシガニを捕まえることができた。山に入って気付いたのは、けっきょく地雷なんてどこにも埋まっていないことであった。あれは実は日本軍がわざと流したデマだったのだ、とジャンは知ったのである。

 日本軍はもうこのころには鉄製の地雷はほとんどなくて、陶器でつくった地雷が主だった。これは鉄製の地雷の半分ほどの威力しかなかった。
 アメリカ軍の戦闘機がプルメリアに姿をあらわすようになった。連日、偵察をおこない、日本軍陣地へ銃撃をくわえた。ジャンは山にはいるとき、米軍機におそわれると、近くに日本軍陣地があればなるべくそこにとびこんで身をかくすようにした。それが一番安全だとジャンは思ったからだ。

 しかし、ある日とびこんだ速射砲陣地では、そこの中隊長は司令部の上官をよく思っていない人だった。司令部は自分たちに比べて、だらしない毎日をおくっていると腹をたてていた。だから、ジャンがヤシガニの入ったふくろをかかえて陣地のすみに小さくなっているのを見て、中隊長は思わずカッとなった。米軍機が上空をとびまわっているのに、中隊長は日本刀をふりあげて叫んだ。

「出てゆけ! きさまがいると敵にこの陣地がわかってしまう」
 中隊長にけとばされてジャンは外へころがり出た。不運なことにそのときジャンは米軍機に発見されて、急降下してきた戦闘機に機銃掃射をあびた。
 それがプルメリア人が戦争で死んだ最初のことだった。



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2017年04月22日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第2回)


〈水〉

 少年は五日ほど前からハシカで寝ていた。
 ベッドのそばに窓があり、起き上がればサンゴ礁の明るい海が見わたせる。プルメリア島をとりまくリーフの外側は太平洋で、そのはるか向こうには祖国日本があるのだった。
 風が……窓のそばのビンロウ樹の葉を、パタパタ、パタパタと鳴らしつづけている。そのかすかな音に聴きいりながら、ベッドに寝ころんでいると、いつのまにか眠くなってしまうのだった。
 ハシカの熱がようやく引いて、少年がひさしぶりに窓の外をながめてみると、病気になる前とは様子がかわっていた。

 家と海岸のちょうどまん中あたりに、人が集まって何かこしらえているのであった。
 カーキ色の軍服を着ている将校もいれば、ふんどし一つの裸で材木を運んでいる兵隊もいる。
「まだ寝ていなさい」
 声がして、母親がうすい毛布をかけた。
「おかあさん。あそこで兵隊さんは何をしているの?」
 少年は毛布をうるさそうに足下へけとばしながら、たずねた。
「だめですよ。まだ熱がひいたわけではないのだから、がまんしなさい」
 それでも少年がしつこく母親にたずねると、陣地ではないかと母親は言った。
「わあ、高射砲かな、機関銃かな」

「ちがうのよ。……だれにも言ってはダメよ。あれはアメリカ軍をだますための、木でつくったおとりの砲台なんですって」
「ふーん、じゃあ、アメリカ軍をだましてそちらに目を向けさせておいて、別のところから本物の機関銃でうつのかな」
「そうでしょう。本物があれば、ね」
「え?どういうこと? だって、兵隊さんはずいぶん島に上陸したし、大砲だってたくさん内地から運んだのではないの?」
「ずいぶん輸送船がしずめられたらしいから……どうだかね」
 母親の話はどうにもたよりなかった。

「おかあさん。アメリカはこの島に攻めてくる?」
「この島には海軍の飛行場が二つもあるからね。ほうっておくまいよ」
「ぼく、少年兵になってたたかうんだ」
「ハシカになって、おかあさん、おかあさんと甘えているような弱虫ではむりよ」
「……おかあさん、水おくれ、のどがかわいた」

 母親はこまった顔をして手を少年のひたいにあてた。少年はまだ熱があるので、よく水をほしがる。しかし島にはあまり水がなかった。戦争になってからはどの家にも水は少ししか配られない。
 もともとプルメリア島では井戸をほっても水が豊富に出ない。雨水をためて使うこともあるほどだった。
 そこへ戦争がおこって兵隊が増えた。さらに近いうちにアメリカ軍が攻めてくるかもしれなくなったので、迎え討つべく島には何万という兵隊が上陸してきたのである。少し正確にいうと、プルメリアにはもとから住んでいる原住民が四千人いる。日本人が移ってきて、サトウキビをつくったり、工場をたてたり、商店をひらいたりするようになっていった。そんな日本人は二万人もいた。そして戦争のために四万人もの兵隊が送りこまれてきたのである。

 これでは水が足りなくなるのも当たり前であった。井戸はどんどん掘られたが間に合わなかった。
 もしも日本本土からきた輸送船が沈められずにプルメリアに着いていたら、今の倍の人間が島にひしめくこととなり、とうてい必要な水は得られなかったにちがいなく、皮肉なことだが、輸送船が沈められて兵隊がおおぜい死んだことが島の人たちには幸いしたのだ。

 プルメリア島には、ヤシの木がたくさんはえていて、飲み水のかわりにヤシの実のジュースを飲むことができる。ヤシの実を両手でもってふれば、中のジュースがたっぷたっぷと音をたてる。ジュースはわずかに甘い。しかし、その量はコップ三杯か五杯くらいである。そのヤシの実も日本兵にとられて、みるみる減っていった。 
 島民や兵隊にはきびしい節水令が出される一方で、井戸や水源の持ち主は軍さえ頭を下げにくるので、親切な人がいる半面、なかにはたかぶり、人を見下すようになった人もいた。だからますます水は貴重になった。

 母は台所から湯ざましの水の入った一升びんをもってきて少年に飲ませた。
「今はこれだけ、しんぼうしてね」
「もっとほしい」
 少年が湯のみに手をのばしかけたところへ、だれか人がやってきた。母親は一升びんを持ったまま、玄関に行ってしまった。少年は父親が帰ってきたのかと思った。父はサトウキビからアルコールをつくる工場の技士なのだが、今はそれどころではなく、軍の命令で一日中弾薬を運ぶのを手伝ったり、道を直したりしていた。
 だが、父親が帰ってきたのではなかった。母親は陸軍の将校を一人つれてきた。プルメリアのひげをはやした役場の人もいっしょだった。

「あっ、あれが蓄音機だ」
 役人はつかつかとタンスの上の蓄音機に歩みよって言った。
「これで閣下もよろこばれるでしょう。どうです少尉。ついでにレコードも借りましょう」
 聞かれた将校は、すこし遠慮がちに少年の母親に頭をさげた。
 母親が答える前にもう役人が「おい」と部屋の外に声をかけると、よれよれの軍服を着た兵隊が二人はいってきた。

 役人は「これ」とだけ言ってあごをしゃくった。蓄音機とレコードの入った木箱を兵隊にかつがせた。さらに母親にこわい顔でこう言った。
「このたび、プルメリアに着任された中将閣下は、音楽を聴くのがご趣味だそうでな。ところが日本から運ばせた蓄音機もレコードも、途中で輸送船がボカチンにあって海の底に沈んでしまった。そこで、わしがこちらの家で蓄音機をもっていることを、少尉におしえたのだ」
「きみのレコードもあるのだろうが」と少尉は少年をみながら言った「しばらく借りる。アメリカとの戦に勝ってから、返しにくるからね」 

 少年はだまっていた。
 役人は、母親の手から水のはいった一升びんをみつけると、
「奥さん、少尉殿に水をさしあげんかい。気のきかんことだ」
 母親はいそいで湯飲みに水をついで、少尉にわたした。
 少尉は礼をいって水を飲みほした。レコードをかついだ兵隊たちは、視線をはずしてどこか遠くを見ているふうにした。
 役人は母親の手から一升びんをひったくると、自分でふたをして、
「あんたも知ってのとおり、軍では一升びんだって貴重な物資だ。プルメリアを守ってくださる軍人さんには、不自由な思いをさせてはいかん」

 そういって、びんを少尉にわたしてしまった。
「おかあさん、ぼくにも水をちょうだい」
 少年がそういうと、母親はあわてて叱りつけた。
「お前はだまっていなさい」
 するとひげの役人は声をはりあげて少年に指をつきだした。
「そこのお前! ひるまから家でなにをごろごろしておるのか。島じゅうの人が軍に協力して、汗みずくになってご奉公しているというのに。子供でもやることはあるはずだぞ。なんたることだ」

「この子はハシカにかかっているので」
 母親があやまるように言った。
「ハシカ? ハシカなどは……精神力で直すッ!」
 役人はそう言ってまたどなった。
 少尉は「失礼しました」と言って敬礼し、部下の兵隊を促して部屋から出ていった。かれらを送ってから、母親はもどってきて、肩を落として少年に言った。
「やたらに水のことをいうのじゃないよ。家にかくしてある水もみんな持っていかれたらどうするの。蓄音機がなくても死にはしないけれど、水はいちばん大切なんだからね」

「うん、でもぼく、のどがかわいたよ」
「しんぼうするしかないよ、お昼になったら少しあげるから、そのときまでね」
 「おかあさん、ぼく、死にそうにのどがかわくよ。水おくれったら、ねえったら」
「さあて、どこかでびんでも探してこなければ」
 母親はそういって出ていった。

 窓辺で、ビンロウ樹の葉が、パタパタと鳴っている。風はかたときもやまない。裏庭のブタ小屋のにおいがときどきするのは、風向きがちょっとかわるせいなのだろう。少年はビンロウ樹の葉の鳴る音を聞きながら、また、うとうとしている。



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2017年04月21日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第1回)


はじめに

 この小説は、筆者の若かりしころの作品である。一九九〇年に公表した作品なので、筆者はまだ四〇代になりたてのころだった。
 小説とはいいながら、小学校高学年から中学生くらいを念頭に置いた作品である。

 『あのころはそれがプルメリアだった』は、大東亜戦争のころの、南洋のある架空の島(プルメリア)を舞台にしている。プルメリアは美しい白い花をつける南洋の樹木であるが、架空の島の名として借りた。そこは日本が統治していた島だが、戦争末期に戦場になった。その島で人々はいかに暮らし、いかに考えたかを語っている。事がことだけに愉快な話はほとんどない。
 また、「あのころ」のことについて語っているが、これはただ何十年も前の話として終わるものではないと、作者は思っている。
 全部で20話で構成されているが、ブログでは少しずつアップしていく。


〈沈没〉

 ついさきほど出航した輸送船は、アメリカ潜水艦の攻撃を受けて沈没してしまった。
 これが、プルメリア島から日本内地に民間人を帰らせるための、最後のこころみだった。それから三週間ほどして、アメリカ軍が島に上陸作戦を始めたからだ。
 最後の輸送船は、あけぼの丸といった。あけぼの丸は、日本内地からほかの十隻の船とともに兵隊や兵器をぎっしり積んで出航したのであった。けれども、そのうちの七隻がプルメリアに来る途中でアメリカの潜水艦にしずめられ、さらにプルメリアの港に停泊中に別の島へ転送されることになり、あけぼの丸だけが内地に帰ることになったのだった。

 あけぼの丸が出航していって、船の上で手をふる人の姿がわからなくなるほど遠ざかると、島にのこされた人々は、三々五々に桟橋付近から散りはじめた。
 桟橋付近には、あけぼの丸から陸揚げされたばかりの機雷や弾薬などは山積みになっていた。
 それを裸に近いかっこうの兵隊や朝鮮人労務者が汗を流しながら軍用トラックや水牛につないだ荷車へ運び出している。 

 朝鮮人労務者は主に海軍の飛行場をつくるために朝鮮半島からやってきていた。外地でもあり軍の仕事であるので、給料は悪くなかった。
 あけぼの丸が水平線から消えていこうとしているのに、なお浜辺のあちこちに女の人たちがたむろしておしゃべりをしていた。 
 女たちはよれよれの木綿のシャツに汚れた感じのモンペ、足には何もはいていない。顔は日に焼けて黒く、しわは深く、肩は重そうだ。目は熱帯の太陽のまぶしすぎるのを嫌っていた。
 丸裸の子供たちが、母親のまわりですもうをとったり、豆つぶほどの砂ガニを追いかけたりしていた。
 そのうち、ふいに子供たちが立ち上がり、沖のほうを指さして叫びはじめた。

「かあさん、あっちのほう、すごいけむりが出ているよ!」
「けむりだ! けむりだよ!」
 女たちもすぐに気付いてさわぎ始めた。桟橋のあたりではたらいていた兵隊たちもおもわず足をとめて、水平線にひとすじ立ち上った真っ黒なけむりに目をみはった。
 だれかが一声叫んでかけだすと、それにつられて女達はバラバラと砂をけって走りだした。高い所へのぼれば船が見えるかもしれないと思ったのだ。

 でも息せき切って山道をのぼろうとした人たちは、山道のとちゅうの軍の関門所で止められてしまった。山の中には軍の施設がたくさんあるので、そうかんたんには高いところへはのぼっていけなくなっていた。
 女たちはふりかえって海のかなたを見やった。ちいさな船がすさまじい黒いけむりをあげていた。
 関門所の兵隊が女たちに手をふってどなった。

「きさまたち、そんなところでなにをしとる。向こうへ行け。何をもさーっとつったっているんだ。ばかもんが。輸送船の一隻や二隻沈んだのがめずらしのか」
 兵隊のふきげんな声に追い立てられて、しかたなく、みんなぞろぞろ山道をおりていった。

 輸送船に乗れた人々は、これから間もなく戦場になるはずのプルメリア島から、逃げだすことができた幸運をかみしめていたにちがいないのに、今は沈みゆく船のなかや、投げ出されて浮かぶ海の上でどれほどの苦しみや恐怖のなかにいるのか。だれもわかることはできない。悲鳴ひとつ聞こえてこない。
 ただ天をつくけむりがもくもくとあがっているのが見える。

 サンゴ礁の海はあくまで澄んで青く、波しずかであった。
 やがて、あけぼの丸は見えなくなり、船があった付近の上空に、ぽっかりとけむりが残って、船をのみこんだ海面を見おろしているかのようだった。



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2017年04月17日

本当に米朝戦争になるのか?


 北朝鮮の核開発については、私は容認派である。もちろん感情的には不愉快極まるけれど。
 米露英仏、それに支那だけが核兵器を独占してよろしくて、ほかの国は許されないなんて不当な話はない。
 北朝鮮が核兵器を持つなら、日本も持てば良い、それが私の考え方だ。

 まして、大陸間弾道弾のような長距離を飛ばすことのできるミサイルを、北朝鮮が持つのは許さないなんてことは、本来的には米国や支那のほうが横暴である。
 ただ、わが国にとっては、北朝鮮が敵性国家であるだけに、対応措置をとらねばならないということだ。アメリカや支那の尻馬に乗って「北の核開発は容認できない」とか、毎度「厳重抗議」などと言うのは、間違っている。

 だけど、日本は馬鹿げ切った憲法9条があって、武力を持てないし行使できないので、北朝鮮に「持つな」とお願いするしかできないから、おかしなことになる。

 4月15日が「Xday」ではないかと、マスゴミは騒いだ。北朝鮮が核実験をするかICBMの発射実験を行ない、アメリカが怒って金正恩の「斬首作戦」を強行するのではないかというのだった。
 私はむしろ、トランプ大統領がカール・ビンソン空母打撃群を朝鮮近海に呼び寄せた段階で、これは金正恩を直接攻撃するつもりはないと思った。

 まして、極東に配備されている空母打撃群のロナルド・レーガンは今は横須賀で敵点検中である。それが終わるまでは少なくともアメリカは北に攻撃を仕掛けることはないはずだった。次は4月25日の北朝鮮軍の創設何十周年が危ないとマスゴミは言うが、たぶんそれもあるまい。
 アメリカが北を攻撃するとすれば、空母ロナルド・レーガンが点検を済ませて復帰してからであろう。

 また本当にやる気なら、作戦は隠密に準備していくだろう。だから空母を朝鮮半島に展開するとか、グアムにステルス爆撃機を用意させるとか、国務長官らがあらゆる選択肢がテーブルに乗っているなどと発言したことは、ブラフだろうと。
 Xdayが予測できるのなら、韓国にいるアメリカ人へのひそかに脱出させるだろうに、それもしなかった。

 米中首脳会談で、トランプは習近平に北朝鮮を押さえてくれたら、米中貿易交渉で譲歩してやってもいいとまで言った。つまり、アメリカは北朝鮮の核開発力やそのレベルを実は正確にわかっていて、脅威ではないことを知っている。だから、北の存在は肝心の貿易交渉や為替操作問題を有利に進めるための仕掛けでしかないのだ。

 もちろんトランプにとっては、北朝鮮が今にも暴発するぞという状況は、対日経済交渉を有利に進めるためには、必要な状態である。

 歴代アメリカ政権は、北朝鮮はけしからんと言いながら、イラク、イラン、その他中東諸国を武力攻撃したようには武力行使をしたことは一度もない。それは北を生かしておくほうが、あるいは「ならずもの国家」としておくほうが、アメリカの軍産複合体にとっては有利で便利だからである。
 支那に対してもさまざまなカードにはなるし、日本や韓国を脅すのにも有効だから、金王朝を存続させてきたのだ。

 それが長年、ネオコン(主に共和党主流派)とそのバックにいる国際金融資本の意志であった。ネオコンとは一線を画そうとしているトランプが大統領になった。果たしてネオコンを押さえた外交ができるかどうかが一番気になることだが、日本のマスゴミはほとんど触れないまま、さあ戦争になるかも、と騒ぐ。

 私が見るかぎりでは、保守系の論客で北の危機に関して、ネオコンや国際金融資本に言及しているのは、馬淵睦夫氏(元ウクライナ大使)だけである。ほかの論客は表面的なことばかり言っている。
 米朝たがいに「相手の動きを牽制する狙いがある」とマスゴミはそればっかり。それを表面的解説というのだ。

 
 馬渕氏はまた、イスラエルの動きにも言及していた。つまり、イスラエルにとっては、中東諸国のアラブ諸国、イランやシリアなどが核武装することは阻止しないとまずい。ところがそういうアラブ諸国と交流があって、核やミサイルの開発で協力関係にあるのが北朝鮮であるから、イスラエルとしては北朝鮮は叩きたい国なのである。

 トランプ政権に娘婿のクシュナーを入れたのはイスラエルの差し金だろう。クシュナーはユダヤ人だから、イスラエルのために働く。イスラエルはトランプに北朝鮮の攻撃を後押しするに違いない。したがって、アメリカはこれまで北朝鮮を影で庇護してきたが、イスラエルにとって死活的問題のイランやシリアの核武装を阻止するためには、政策を転換して北朝鮮を屈服させる必要ができてきたのではないかと思う。

 私にはアメリカは大騒ぎするほど、北朝鮮を脅威とは思っていないだろうし、別に金王朝を転覆させなければならない差し迫った必要がありそうではない。
 だからアメリカにとっては、もしかしたらイスラエルとか、支那とかロシアとかとの関係のなかで、北を叩いたほうが良い理由があれば攻撃を行なうだろうというのであって、直接にアメリカ自身が脅威と感じているからではないように思える。


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2017年04月15日

コーヒーと私


 久しぶりに投稿しますが、まだ本格的な復帰とはいきません。
 たくさんの方から、コメントで激励をいただき、大変嬉しく励みになっております。
 しばらくしたら、本ブログで昔書いた拙い小説を分載しようかと思っております。

    *     *

 私は現在はコーヒー党である。毎日、必ず1杯のコーヒーを自分で淹れて飲むのが愉しみになっている。
 普通の人はまあ、コーヒーが好き、紅茶がおいしい、ということで好むのだろうが、私にとっては特別の思い入れがある飲みものなのだ。
 30歳代までは紅茶党だったが、あるときを境にコーヒー好きに変わった。

 それは私が空手を始めて4年が経って、黒帯を締めることが適い、さらに無謀にも指導局に入局することを希望して、思いがけず南ク師範から許可していただいたときからだった。
 指導局の会議や学究の方たちとの合同のゼミに参加すると、早朝の目覚めの1杯や休憩時に、コーヒーを飲むのであった。

 全員のコーヒーを淹れて配るのが下っ端の仕事だった。それまで紅茶に親しみ、コーヒーは淹れたことがなかったので、始めは戸惑った。おおぜいの分をコーヒーメーカーで創るぶんにはすぐに慣れたが、少人数や南ク師範のためにドリップ式で私が淹れるのは常に緊張した。

 わが空手組織では、南ク師範が創案した独自のコーヒーの淹れ方があるので、それに習熟しなければならない。その淹れ方も、形ばかりならすぐに真似ることはできても、肝心なのは心を込めて淹れる、これがむずかしい。
 そのため、自宅でコーヒーを淹れる練習をする羽目になった。いかにしたらおいしく淹れることができるかを毎日心を砕いて練習するうちに、自分でもコーヒーが好きになった。

 こうしてコーヒーを淹れることで、心をこめることや、人の気持ちをわかろうとすることができるようになる訓練につながるのであった。
 昔は花嫁修業として、娘たちは茶道、華道をならわされたものだった。子供のころは私もそんな習い事をしてなんで花嫁修業になるのとバカにしていたけれど、自分が人のためにコーヒーを淹れる経験をしたおかげで、なるほど茶道、華道もやりかた次第で、人の気持ちがわかるようになる大事な花嫁修業だったのかと理解できるようになった。

 他人の気持ちがわかるようになるには、自分の思いだけでは難しい。そこを、花の活け方やお茶のたて方を媒介にして実践することでいわば壁を乗り越えるのである。
 こうした実践そのものが、まさに弁証法の修得過程につながるのである。

 これらを意識して意図的にやってみなければ、ただ本を読んだだけでは弁証法はものになっていかない。
 たかがコーヒーを淹れて飲むことでも疎かにせず、目的意識的に直接には他人の心がわかるように、間接的には弁証法が身に付く修行なのであった。
 

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