2017年05月04日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第14回)


〈落ちる人々〉

 その日本陸軍中尉は、鉄条網でかこまれた捕虜収容所から一人だけ出されて、アメリカ軍のジープに乗せられた。この中尉は英語を話せるのであった。
 ジープは、ぬかるんだ道をフルスピードでとばしていく。中尉は必死になにかにつかまっていないと、ふり落とされそうだった。
 まわりの畑は一面焼きはらわれ、ところどころ壊れた米軍の戦車や、日本軍の戦車がそのまま野ざらしになっていた。上空にはもう米軍機は旋回していなかった。砲声もやんでいる。

 プルメリアの戦争は、すでに大勢が決していた。日本軍は島の北部に追いつめられた末、最後の、自殺でしかないやけくその突撃をして、失敗におわっていた。あとは、ジャングルに、統制も連絡もとれていない小グループの敗残兵がのこっているだけとなっていた。
 ジープは、断崖を見あげる海岸の岩場にとまった。
 アメリカ軍の少尉が、日本軍の中尉にだまって双眼鏡をわたし、あごをしゃくった。崖のほうを見ろというのである。

 中尉は双眼鏡をとって崖を眺めていった。崖のあちこちに、軍艦からの艦砲射撃による穴があいている。白い崖の上に、ぽつぽつとモンペをはいた女や子どもが見える。草地にしゃがんでいる人も、木立の間から沖のほうを眺めている人もいるようであった。と、一人の女が両脇に丸裸の子どもをかかえると、ハッと崖から身をおどらせたのである。中尉は息をのんだ。海面をさがしてみたが、落ちた人はあらわれなかった。
「見えたか」
 アメリカ軍の少尉がたずねた。苦い顔をしている。日本軍中尉は双眼鏡から目をはなしたが、声がでなかった。

 「昨日からだ」とアメリカ軍少尉が言った。「あの崖では、非戦闘員の女や子どもがつぎつぎに海に身を投げて自殺している。わが軍としても放っておけないので、なんとかやめさせたい。しかし、あの崖の上にはまだ日本兵が残っていて、すぐには地上部隊が近づけない。海上でも救出しようとしているんだが、日本兵が発砲して救助をこばむ。われわれもスピーカーで大声で説得しているが聞かない。だから、ああして死んでいくのを手をこまねいて見ている。そこで、日本軍将校の君に、日本人として、日本語で彼らに思いとどまって降伏するように、説得してもらいたい」

 ジープを運転してきた軍曹も、真剣な表情で日本中尉に話しかける。
「このスピーカーなら崖の上に届くんだ。彼らに、両手をあげてわれわれのほうへ歩いてくるだけでいい、と伝えてくれ。これがマイクだ」
 だが、中尉は頭が混乱した。兵隊が死んでいくのはいくらも見てきた。しかし、兵隊でもない人たちがつぎつぎに自殺していくのは、まったくちがったショックだった。

 だが中尉は日本の女たちがなぜ自殺していくのか知っていた。日本軍は、戦争のはじまる前から、敵につかまるとひどい目にあうから、捕まるくらいなら死ねと、住民にも言ってきた。アメリカ軍上陸後、ジャングルを逃げまどう島の人たちを、日本軍ははじめは保護したい気持ちはあったが、どうにもならないのでついには邪魔もの扱いしてきた。中尉自身も、捕まるよりは死ぬべきだと思っていた。それが、自分が負傷したために、捕虜になってしまったせいで、今度は死ぬのはやめろと呼びかけなければならない羽目になったのである。

「なんと言えばいいのか」
 中尉はやっと口をひらいた。
「え?それは、君たち日本人どうしの問題なんだから、どう言えばいいのか君のほうがわかるはずだ。ただ、投降してくる者には、われわれが安全を保障する。それは言ってくれ。彼らが思いとどまるように言ってくれればいいんだ。」
 こともなげに米軍の少尉は言った。
「私には言えない。なんと呼びかけたらいいのだ。だいいち、軍人が降伏を呼びかけても、彼らは信用しないし、聞かない」
 マイクをもどしながら、そう中尉は答えた。

「なんだって?」米軍少尉が言った。「あれは兵隊じゃないんだぞ。女や子どもが死んでいくのを見殺しにできるのか」
「しかたがない。われわれは負けたのだ。生きてはずかしめを受けるより、死を選べと日本人は教えられている。われわれには誇りがあるんだ」
「だが、君は生きている。捕虜となっているじゃないか」
「そのとおりだ。しかし、私は負傷して動けないところを捕まった。こうなるつもりはなかった。そういうひきょうな軍人が、あの追いつめられて死のうとする女たちに、言う言葉なんかあるわけない」
「わからん」米軍少尉は肩をすくめた。「どうして死ななければならないんだ。もう戦闘は終わった。しかも兵隊でもない。では、軍人でない日本人が呼びかけてはどうか」

「それはむだだ。軍が島民を見捨てたばかりか、海のむこうの日本が、プルメリアの日本軍と島民を見捨てている。しかも島民どうしで敵対し、見捨てている。日本は西欧のような自分も他人も認めて、その信頼関係で生活している社会ではない。自分の集団の利害のために他人を裏切って平気だ。そういう社会をつくり、寄生しあうように生きてきた。とくに女は男に従わされてきた。女たちは、いつも何かにすがって生きてきたが、そのすがれば何とかしてくれるはずの社会がなくなったのだ。自分独りでは生きられないと女たちは思っている。だから、足元の地面がなくなった気がして死ぬのだ」

「そんなことはない。君たちはじゅうぶん戦った。勝負はついた。何ももうこだわらなくていいんだ。わが軍は抵抗しない者は殺さない。もう一度生きるチャンスをつかめばいい。それを、われわれの代わりに言ってくれればいいんだ」
 中尉は首をふってうつむいた。

「おいジャップ!」とつぜん米軍少尉は、真っ赤な顔で中尉の胸ぐらをつかんだ。「君ら日本人がなぜ負けたのか、そのわけを言ってやろうか。兵力の差があったのは当たり前だが、根本は日本人自身の問題だ。日本人は侵略者だ。このプルメリアに対してもだ。それなのに、今は国を守るなどと被害者みたいなことを言っている。おかしいと思わないのか?」
 中尉は顔をキッとあげて「日本は侵略者じゃない」と反論した。「アメリカが日本を戦争に引きずりこんだんじゃないか。ここでそんな事を言ってもしょうがないけれど」

 米軍少尉はそれにはかまわずに。「そういう君たちには自分の意志がないじゃないか。君らは自分の意志で戦ったんじゃない。君たちは、まわりの日本人がある考え方をしているから、それにあわせる、ことよせるだけなのだ。波のまにまにゆれるクラゲだよ。クラゲは潮がひいて浜にとり残されたら、どうにもならない。あの崖の上の女たちのようにどうしたらいいのか、わからなくなってしまうのだ。国家が、仲間が、一人の意志ある人間を見捨てたからと言って、どうして死ななければならない?」

 米軍少尉は中尉を突きとばし、なおもしゃべりつづけた。
「ともかく生きのびることだ。自分の味方は自分でしかないじゃないか。われわれは君が日本軍の中尉だとは知っているが、本名は知らない。なぜ名乗らない? もう戦争は終わったんだ。自分の意志でこの戦争に参加したのなら、個人の名前が言えるはずだ。あの崖から飛びおりる女も、自分の意志でプルメリアに来て、生活していたのなら、いつどこで、どうやって死んだかわからないような、そんな死に方をするだろうか。

 意志というのは、ただああしたい、こうなってほしい、なんとかしてくれ、そんなものじゃない。それでは一方的に自分のやりたいことを思う気持ちだ。しかし、意志を通そうとすれば必ず相手がいる。その相手のことを考えて、どういう条件なら、相手にも自分にもいいようになるのか考えたうえで決断することが意志なんだ。日本人諸君はこの戦争を始めるにあたっては、支那の立場、アメリカの立場、いろいろと相手の条件を考えたのか。ただ、自国の利益ばかり主張したのではないのか?」

 中尉は、自国の利益のために戦争をはじめたのはアメリカのほうだと言おうとしたが、どうせ聞き入れられないと思って黙っていた。
 「君たちは自分の利益だけというせまい考えで戦争をおこしたのだ。もっと大きな視点に立つべきだ。」と米軍少尉は続けた。
 社会は、自分のことを考える必要はあるが、自分と他人のことも同時に考えることでなりたっている。そういう社会の仕組みを無視して君たちは自分のことだけを押し通そうとした。だから世界から仕返しを受け、歴史に踏みつぶされる。現に、このプルメリアで、君たちは踏みつぶされたじゃないか。

 ……みろ、あそこでまた、女がひとり落ちていく。われわれは、ただかれらが死んでいくのが、人間として気の毒と思うから救助しようとした。しかし、そこから先、チャンスをいかして、かれらが人間としてまっとうに生きていくかどうかまでは、知らない。かれら自身の責任だ。その第一歩の手をさしのべることすら、君にはできない。負けるが勝ちなんてこともわからないのか。それがわからなければ、また日本人は同じことをくり返すのではないか?」
 米軍少尉は軍曹にふりかえって、あごをしゃくり「もういい、連れて帰ろう」といった。



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2017年05月03日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第13回)


〈タバコの煙〉

 島の南半分は、ほぼアメリカ軍に制圧されていた。
 島の北部の山中に、まだ捕虜になっていない日本兵と島の人たちがチリヂリになって、逃げ込んでいた。洞くつは山のいたるところにあって、戦火から逃げまどう人たちの隠れ場所となっていた。しかし、洞くつに入れる数にはかぎりがあって、島のカナカ族やチャモロ族の人たち、それに農民の多くは谷間のジャングルに、体をよせあって、じっとしているほかはなかった。

 負傷兵は、そうした谷間の何か所かにまとめられ、そして放っておかれた。負傷兵の間を民間の女学生などが、やむにやまれず動きまわって、わずかな水を飲ませたり、兵の傷口にわいたウジを手でとったり、励ましてやったりしていた。負傷兵は、包帯を一度巻いてもらったきり、何日もそのままで、傷口がどんどんくさっていった。

「各部隊で、歩ける者は、北端の岬に集結せよ」
 そういう指示が、正式の命令とも、単なるうわさともつかない形でつたわってきた。
 その日の夕方、日本本土では、ラジオで大本営からつぎのような発表が放送された。

「大本営発表。昭和19年7月18日17時。
1、プルメリア島のわが部隊は、7月7日早暁より、全力をあげて最後の攻撃を敢行。所在の敵をじゅうりんし、16日まで全員壮烈な戦死をとげたものと認む。同方面の最高指揮官、海軍中将○○、また同島において戦死せり。
2、プルメリア島の在留邦人は、終始、軍に協力し、およそ戦いうる者は、敢然戦闘に参加し、おおむね将兵と運命をともにせるもののごとし。 ……おわり」

 プルメリア島の日本人は、将兵も民間人もみんな死んだ。「……おわり」と放送されていたのを、まだ生きながらえている島の人たちは知るよしもなかった。
 助けに来てくれることは、もうありえないのに、それでも人々はそれを期待して、その希望にだけすがって思いをめぐらしていた。明日、それが来る。明日だめなら、その次の日に……、と。

 だから、島の人々は、日本軍部隊がもう負け戦でボロボロになっているとはわかっていても、なお北の岬の、軍の集結するところへ行けば、そこに助けてくれる日本の援軍がくるにちがいないと思ったのである。というのも、アメリカ軍上陸いらい、数度にわたって日本軍機がアメリカの艦船を空襲しにきたからである。そのつど日の丸の翼を見ては、島の人々は狂喜したのだが、たいした戦果はあがらなかった。

――――大きさにして四畳半くらいの洞くつがあった。そこに数人の日本人が隠れていた。その洞くつは、アメリカ軍の上陸以来、何度も住人がかわった。日本兵が隠れていたこともあった。島の人が入れかわり逃げこんできた。一晩すごしては、もっと安全なところをと出ていく。するとかわりに他の洞くつや谷から人がやってきてもぐりこむ。今は、女がひとり、男がひとり、中学生くらいの女の子と幼児の妹がいた。それぞれ仲間や家族とはぐれてたまたまその洞くつに行きついていた。

 出ていった人が尿や便をしていくので、洞くつのなかは便所そのものであった。それでも昼間、外にいるよりは安全と思ってみんなじっとしていた。
 女の子の妹は、そんななかでも、姉の腕にだかれて眠りこけていた。熱があって、だいぶ容体が悪いのであった。
 女がタバコに火をつけた。

「おうねえさん。タバコか。一本おれにもくれよ」
 片腕を三角巾でつった男が声をかけた。
「何と換えるんだい」
「乾パンしかないけどよ」
「まあ、しょうがないね。ほら」
 女はタバコを一本男に渡した。
「ありがとうよ。もう一週間すってないからな。火をかしてくれ」
 女はマッチを投げた。
「おっ、ずいぶん持っているね。ねえさん、タバコ屋だったのかい」
「まあね、近い商売だね」
「ふーん」

 男が火をつけ、暗闇の中で、その顔が照らされた。
「ああ、あんたおまわりか・・・」
「えっ、どうして分かった?」
「よくいじめてくれたじゃないか」
「お前だれだ?」
「だれだっていいさ。この際。聞きっこなしだよ」
 小さな子がせきをはじめた。
「うるせえな。静かにさせられないのか」
「ごめんなさい」ちいさい声で女の子が言った。「でも、この子、タバコの煙りにむせているんです。吸わないでくれませんか」

「あんた、なまいき言うんじゃないよ」と女がいった。「タバコがいやなら、あんたが、その妹をつれて出ていきゃいいんだよ」
「でも、この子、ぐあいが悪いんです」
「それじゃ、がまんさせるんだね。ま、先にここにいたのはあんたたちだから、出ていけとは言わないけどさ。でも、タバコくらいすってなにが悪いんだい。子どもにゃ分からないだろうけど、タバコ吸わなきゃ、落ち着かないじゃないか。いつ大砲の弾がとんでくるか分からないんだから」

 妹が泣きはじめた。せきがとまらない。
「ちくしょう。敵に見つかっちまうぜ。なんとかしろ」
「タバコさえ吸わないでくれれば、この子はおとなしくしてたんです」
「ふん、ケンカ売ってどうしようって言うんだい。チビのくせに、えらそうに。タバコも吸わせない気かい」
「タバコくらい、我慢できないんですか」
「よけいなお世話だよ。おまえなんかの知ったことか」

「おい泣きやまないんだったら、腕づくでも外へだすぞ。敵にみつかったらどうするんだよ」
 男が近寄ってきた。女の子はしかたなく、泣きじゃくる妹をかかえて立ちあがった。
「ひとでなし!」
「何とでもお言い。他人に同情していられないんだよ。今はね、自分だけが生きるか死ぬかなんだよ」
 女の子は出口でふりかえった。
「そうやって、大人はみんな自分だけ良ければって思うんだわ。それが……それがプルメリアをこんなにしたのよ」
 男がドスのきいた声で言った。
「非国民、出ていけ!」



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2017年05月02日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第12回)


〈酔っぱらった捕虜〉

 熱く焼け続けた道を、べろんべろんに酔っぱらった日本人の男が、アメリカ兵に両側からかかえられながら、ひきたてられていく。
 男は泥だらけしわだらけの着物を着て、頭には陽よけの笠をかぶり、裸足だった。
 としのころ二十歳。足がふらついて、アメリカ兵がささえなければころんでしまうほどに酒をのんでいた。

「バカヤロ」「てめえら」「ふざけるな」「なにしやがる」……。
 言葉だけはやたら威勢がいい。着物の帯にはもう「POW(捕虜)」と書いた札がぶらさがっているのに。
 アメリカ兵のサングラスをかけたほうは、おもしろがってゲラゲラ笑いっぱなしだ。彼は小銃を日本人の側にかつぎ、あまつさえ、ふらつく男がさっきから体をささえようとして小銃をつかんでいても、おかまいなしである。もう一人のアメリカ兵のほうはまじめで、日本人の男の肩を強い力でつかんで、ぐいぐい押していく。

 プルメリアに住む18から45歳までの男は、日本人もプルメリア人も軍に招集された。この男も少し足が不自由なのだが、軍にひっぱられた。しかし、小銃も手榴弾も持たされずに、ジャングルの中をあちこち移動したり、逃げたりするうちに、本隊とはぐれてしまい、やけになって勝手に行動していたのである。
 男は空き家にはいりこんで、軍服を着物に着がえ、たまたま残っていた酒をのんで、大いびきで眠りこんでいるところを、アメリカ兵に発見されたのである。

「バカヤロ。おまえたち、おれをどうしようてんだ」
 あいかわらず、男はわめいていく。
「放っといてくれよ。もういやだよ戦争はよ。冗談じゃねえよ・・・・。おい、ちょっと止まってくれ。止まって小便させてくれ。もれちゃうよ。ちくしょう、なんて言えばいんだ。おい、小便、小便、おまえらだってするだろう、ばかやろう」
 アメリカ兵は、かまわず男を収容所のほうへ連れていく。

「おれはよ、軍に協力してよ、軍がおれたちを招集してよう、ああせい、こうせいこき使いやがってバカヤロ。戦争がはじまったら知らん顔だ。女子どもはどうしたと思う、やい、アメ公。逃げろとも、戦えとも言わず、ただ放ったらかしだぞ。だいたいおれは兵隊じゃねぇ。製糖工場ではたらいていたんだ。くそ、戦争なんか、おまえたち兵隊だけでやってりゃいんだ、バカヤロ。・・・よう、もれちゃうよ!小便が出ちゃうよ」

 男は下腹をおさえてかがみこもうとした。アメリカ兵は日本語がわからないから、男が酔ってふらついているものとしか思えない。むりやりひきおこして歩かせる。
「おい、ぼうこうが破れちゃうよ。小便させろよ!」
 男は必死にがまんしていたのだが、石につまずいたひょうしに……!
 アメリカ兵はそれを見て、どっと笑い声をあげた。


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2017年05月01日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第11回)


〈ウサギのようにおびえて〉

 おじいさんと孫の少年二人が、サトウキビ畑の脇の林に、ひそんでいた。おじいさんたちも米軍の上陸を知って、山へ逃げこもうとしたのだが、おじいさんがあるところから跳びおりたひょうしに足の骨をおって、動けなくなったのである。

 国民学校(今の小学校)3年生の長男に肩をかしてもらって、歩こうとしたものの、サトウキビ畑に逃げこむのが精いっぱいだった。もうひとりの子はまだ3歳だった。この子は泥だらけの素っ裸のままだった。
 子どもたちの父親は、とっくに兵隊にとられて、今はどこの戦場にいるのやら戦死しているのやら行方しれず。母親は看護婦だったのでプルメリア病院につめっきり。米軍上陸のさわぎの中で、連絡もとれないままはぐれてしまった。

 アメリカ艦隊からの艦砲射撃は、途切れたり続いたりしながら、夜も昼もプルメリア島のあちこちにうちこまれていた。しかし、そのサトウキビ畑のあたりは無事で、じいさんと子どもはじっとしていることができた。腹がへると、じいさんが風呂敷につつんで持ってきた乾パンと缶詰の煮魚を食べてしのいでいた。水は少年が肩からさげた一升ビンから、ちびちび飲んで。

 そこは、アメリカ軍の上陸地点とずれたこともあって、その後も三日間は同じ場所にいることができた。
 アメリカ軍が上陸をはじめて二日間は、それを撃退しようとして、日本軍が海ぎわで活発に反撃を繰り返していた。けれど、二日目の夜に、日本軍がおおがかりな夜襲をかけたあとは、そう大きな戦闘はなくなったようであった。米艦隊の到着からこれまでにアメリカ軍が使った爆弾や銃弾は、全日本軍が使う一年分にあたるほどの量だった。

 夜は夜で、照明弾がひっきりなしに打ちあげられ、日本兵の夜襲を警戒していた。そのため、じいさんと子どものいるあたりも、けっこう明るくなった。夜活動するフクロウのような鳥が、かれらのすぐ近くまできて、ネズミを捕まえていくのが見えた。
 森にかくれて五日目には、食べ物も水もなくなり、手近なサトウキビを折ってはかぶりつくだけになった。

「おじいちゃん、いつまでここにいるの」
三歳の子がしきりにたずねる。
 「よう、お母さんのところへ行こうよ。腹へったよう」
 三年生の男の子が言って、ごてている。
 じいさんはそのたびに、のどぼとけを大きく動かし、つばをのみこんでから、
「じっとしていろ。はなれるんじゃない」
「誰か、そのうちに助けにきてくれる」
「日本軍はかならず勝つ。それまでのしんぼうだ」

 そんな話をくり返すばかりだった。自分が信じようとし、子どもたちにも信じさせようとしていた。どこに逃げればいいのか、わからなかったから。
 わずかの木もれ陽でも焼けつくようなのと、ぬるい風、それにどこにいてもきっとやってくる蝿だけは、戦争とは別世界のことのようだった。
 昼間は、上空を米軍機がなん機も偵察のためにとびまわっている。なにしろ日本軍の高射砲は、わずか二日目には全滅していた。

 ひそんでいる近くで戦闘が行われなくても、上空から見つけられるおそれがあるので、日本人の誰も物陰から出られなかった。日本軍の中での連絡もおぼつかないのに、まして島の人たちはてんでに逃げまわるか、息をひそめているしかなかったのである。
 ひもじさに負けて、昼間、少年がサトウキビ畑におりたとき、米軍機が急降下してきた。少年はいそいで戻ったのだが、それからものの十分ぐらいしてアメリカ兵がやってきた。飛行機から地上の部隊に無線で連絡したわけである。

「デテコイ! デテコイ!」
 畑の向こうからアメリカ兵が、あやしげな日本語でどなった。じいさんは子どもをしっかりだきよせて、さらにうずくまった。アメリカ兵は畑をつっきてやってきた。じいさんの目の前で銃をかまえて、なにやら英語で叫ぶ。あっさり見つかったのである。
 アメリカ兵は、じいさんが骨折していて歩けないとわかると、肩をかして畑の外にとまっていたジープに乗せた。
 ジープの上でちいさくなっている三人を見て、アメリカ兵は陽気に笑って言った。
「おまえたちは、まるでワナにかかったウサギのようにおびえている」


                                                                                                                                                
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2017年04月30日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第10回)


〈粉みじんの花びら〉

 空襲のすんだばかりの人けない砂浜を、少年がひとり、あおざめて歩いていた。ひざがふるえているのは足元の南洋松の落葉がチクチクするせいではなかった。
 少年は今しがた、二人の友だちを爆撃でなくしてきたのである。
 少年は友だち二人をひきつれて、農家からヤギを失敬しようとたくらんだのであった。空襲警報が鳴って、まさに人々がどこかへ避難したすきをねらって、盗み出そうという大胆不敵。

 かれらはちょうど、あざやかな赤い花を枝一面に咲かせて、南洋桜と親しまれた火炎樹の下をとおりかかっていた。火炎樹もろとも、少年二人は爆破された。
 地面に大きな穴があき、手足をもがれた友だちの体のまわりに、こなごなにちぎれた真っ赤な花びらが、降ってきた。

 少年は海水に首までつかった。それは、友だちの死体を見て、恐怖で思わず足の間を濡らしてしまったから、それを家の人にごまかすためだった。
 全身をぬらしたまま、少年は家に帰る途中、実業学校の前をとおりかかると、軍人がテニスをはじめるところだった。
「さあ、続きだ続きだ。こっちのサーブからだぞ」

 太った軍人がそう叫んでいる。それがプルメリア守備軍総司令官の海軍中将であることを、少年はたしかめもせず、唇をふるわせながらとおりすぎた。
 だれも、次の朝にはアメリカの大艦隊がプルメリア島をとりまいて、上陸作戦を開始することを知らなかった。


〈米艦隊、あらわる〉

 その早朝、山の洞くつに避難していた人々は、あわただしく叫ぶ男の声で目をさました。沖にアメリカ艦隊が浮かんでいるのが発見されたのである。
 大人も子どもも、洞くつから出て、まだ暗い海を見つめた。実に…、実におびただしい敵の軍艦が島をとりまいていた。軍艦の間からすこしだけ海がのぞいている。そんなふうだった。

 人々は声をのんで立ちつくしていた。いつもの当たり前の朝のように、小鳥がさえずりはじめていた。人々はしばらくして、どうなるのだろう、どうしたらいいのだろうと、あてもない心配をはじめたが、結局、わが日本軍をたよりに思うほかなかった。また、日本本土から遅まきながらでも、援軍がさしむけられるのを信じるしか。

「あれだけの大軍をさしむけなければプルメリアは攻めきれないと敵は思っているのだから。日本軍の力もあなどれないかもしれない」
という人もあれば。
「前線の士気は高いというぞ。精神力ではぜったいに負けないからな」
と意気ごむ人もいた。
 山の中の洞くつは、手を加えて平らなところにタタミをしいたり、ふすまで仕切ったりしてある所もあった。出入口は樹木などでかくしてある。直撃弾があたらないかぎりは、こわれないはずだった。

 海岸線の町から、まだ残っていた人々があわてふためいて山へのぼってきた。けれども、洞くつによっては、もう満員になっていて、あとから避難してきた人が入れない場合もあった。
 そこで、前からいた人と、あとからきた人とが、言い争い、ときに殴りあうのであった。洞くつの奥から赤ん坊を背負った女の人が出てきて、あとからきた人に木ぎれを投げつける。かと思うと、一度しりぞいた人たちがもどってきて、入り口のカモフラージュをこわしていく。

 艦砲射撃がはじまった。海岸に集中して砲弾が落ちた。そのうちに山のほうへも砲弾が届くようになった。ジャングルの樹木は倒され、ところどころで木が燃えあがり、地面がえぐられていった。
 日本兵は海岸線へ移動していった。そのため空っぽになった陣地濠に逃げこむ家族がいたが、そこへも砲弾が降ってくるようになったので、あわてて別の安全な場所を求めて逃げるのだった。

 遠くからでも、軍艦の群れの中で、青白い光がパッパッとひっきりなしに閃くのがみえた。砲弾を発射するときの閃光なのだ。
 艦砲射撃は二日間つづいた。三日目の朝、アメリカ軍は上陸用舟艇に兵隊を満載して上陸してきた。


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