2017年02月14日

林秀彦『日本人はこうして奴隷になった』を評す(1/2)


《1》
林秀彦の『日本人はこうして奴隷になった』(成甲書房)が発刊されたことを当時まだご存命だった太田龍氏の「時事寸評」で、知り、さっそく読んだのは2008年のことだった。
 太田氏は「日本民族有志にとっての必読の著作」と持ち上げつつも、「時事寸評」の中では、イルミナティの日本包囲網の中の、もっとも弱い環は、医療、医学の領域である、という問題が林秀彦氏は全く視野に入って居ない、と断じている。

 これはそのとおりであって、林さんはその2年後2010年に亡くなっている。
 もしも林氏が医療・医学の領域に関してイルミナティの策謀が視野に入っておられたら、健康分野でも十全に戦い、僭越ながら氏の抱える病はなかったやもしれないと、当時慨嘆せずにいられなかった。

 私は林秀彦氏のファンで、その著作はほとんど読んできている。だからあのとき『日本人はこうして奴隷になった』が読めることは感謝した。しかしその前の作『この国の終わり』で、「この命、最後の本」とまで言って、二度と本は書かないのかと思わせておいて、また書くと言うのはいかがなものかと思ったものだった。

 『日本人はこうして奴隷になった』は前半がやや具体が不足し、感情的に怒っているばかりのように思えたが、後半の氏の専門であるシナリオ論と日本人論を合わせて論じている部分は、この著作の白眉というべき内容だと思われ、そのあたりから具体もよく説かれ、日本を憂える情熱と真情に圧倒されたものだった。
 太田氏が「日本民族有志にとっての必読の著作」と言うのもむべなるかなだった。

 あくまで林秀彦氏は作家である。作家として日本人のダメになっていくさまを、認識を主たる対象として鋭く見つめる視線に嘘はない。しかし、しきりに岩波の「広辞苑」を引用して言葉の説明をされると、そのたびにしらける。自虐史観を批判している林氏なのだから、「広辞苑」は自虐史観の優等生であって、あれほどデタラメな辞書はないと、もう「定評」になっているのだ。渡部昇一氏と谷沢栄一氏の共著『広辞苑の嘘』くらいは読んでおくべきではなかろうか。もう「広辞苑」は使えない辞書である。

 以前から気になっていたことは、「右脳左脳」の創案者・角田忠信氏を絶賛するのも、どうかと思う。脳機能局在論は間違いであるからだ。やがて「右脳左脳」は嘘だったことがはっきりするだろう。そんな愚論に依拠しなくても、日本人の認識と白人の認識がまったく質が異なることは明らかである。そしてその理由は、認識は対象の頭脳における反映であるという(唯物論の)原理原則から解かれるべきである。林氏に弁証法がないのが惜しまれる。

 計量遺伝学などというニセものにも興味を示されている。知力、知能の80%は親から子への遺伝によって決定されるという説であるが、これも林氏が作家だから(学者でないから)やむを得まいが、誤りである。これでは観念論だ。すべて後天的に、教育されて創られるのだ。厳しい言い方をすれば林氏がオーストラリアに逃亡されている間に、日本では世界最高レベルの学問が形成されたという事情に疎いからである。林氏がオーストラリアに逃亡したくなった心情はよくわかるが、その代償も払わねばなるまい。

 林秀彦氏は日本人が単一民族であると思っておられるようだが、それはいかがなものか。たとえば顔の、鼻なんか実に千差万別で、鍵鼻あり、団子鼻あり、尖っているのありではないか。単一ではないから、としか考えられまい。
 また、八切止夫の〈庶民史〉をご存知ないとみえる。なんどか本ブログで説いてきたが、日本人の80%くらいは奴隷であったし、さまざまな民族がごちゃ混ぜになっているのだ。そうでなければ、何の産業もない江戸に百万もの人口が集中した理由が解けないし、明治以降に大量の移民が海外に〈棄民〉された理由も解けまい。

 最近知ったことだが、伊藤正敏氏の『寺社勢力の中世』(ちくま新書)によると、中世の日本は、天皇・貴族、武士、そして寺社勢力の三つに権力が分かれ、三つどもえの戦いをしていたというのである。そのなかの寺社勢力はほとんどの官許歴史では無視されているけれど、土地、経済(商業、運輸)を握っていたのは、比叡山、興福寺、本願寺などの寺社勢力であった。

 寺社には古代律令制の荘園で奴隷のように扱われていた民百姓が、過酷な生活から脱して多数逃げ込んだところであった。彼ら難民は律令制や武家の統括下と云う“有縁”の世界から“無縁”のアウトローとして(自由人として)寺社境内に巨大な都市を形成するまでになっていたのである。

 日本人の、勤勉さや同胞意識、和などはこうした中世の寺社に暮らした人たちの努力が背景にあって、育った認識ではないかと思われる。

 また林さんの哲学の捉え方も間違いだ。林氏の言う哲学は、せいぜい認識論である。これも南ク継正先生の著作をお読みになられれば良かったのに、残念なことだ。南ク先生の著作を読まれれば、「日本人には人生の意味を問うことがあっても、人間の意味を問わないまま生き続ける」と言わずにすんだであろうに。そこには氏が求めてやまない、本当の生きざまと学問があることが理解できたはずである。

 林秀彦氏の新著の欠点ばかりを書いてしまったが、氏が日本人に絶望するものはまったく同感である。日本人への愛情のゆえに激怒されていることは、痛いほどわかる。作家だけあって、人の認識を捉える鋭さはさすがであり、どんな作家より私は高く評価している。

 とくに前作『この国の終わり』から、果敢にイルミナティの陰謀に言及されるようになったことは、他の作家どもが全員ダメなのと対照的に、私は感動した。イルミナティを告発する立場を取れば、多くの出版社は引いてしまい、氏にとって生活の糧を奪われる事態が出来したかもしれないのに、よくぞ勇気を持って執筆された。

 林さんがまだ御存命のうちから、周辺の弟子筋の方から、だいぶ体調が悪いとお聞きしていた。日本に帰国後も一時入院されたよし。新著に書かれたそのときのご体験も共感できるものであった。日本の病院こそ日本の縮図だという見解に同感である。病院の医者や職員が取る態度が非人道的行為に満ちていると指摘しておられる。そのとおりだ。日本の病院ほど人の尊厳をずたずたにして平気なところもない。

 林さんの小説『老人と棕櫚の木』には最後のほうに感動的な場面がある。それは(林氏自身とおぼしき)主人公が自殺を図ろうとするところに一本の電話がかかってくるところだ。その電話はTS(おそらく言語社会学の鈴木孝夫慶應大学名誉教授)からであった。同氏は林氏の最も尊敬する学者だという。その場面を紹介したい。

     ※     ※     ※
 「夜分大変失礼だと思ったのですが、少しお話ししてよろしいでしょうか」
 「はい」
 「実は先刻あなたがお書きになった、日本の軍歌についての新刊書(『海ゆかば山ゆかば』)を読み終わったのです。すると涙が止まらなくなりましてね、それでお手紙を書こうと、いや、書きはじめたのですが、まどろっこしくなって、どうしてもお電話で直接あなたとお話ししたくなったんです」
 (中略)
 TSは小1時間、神馬(主人公の名)のいままで書いた本のすべてを読んでいること、そのことごとくに感銘を受けたこと、神馬には今後も書き続ける使命があること、それによって祖国日本の役に立てることなどを話した。(中略)涙が止まらず、頬を伝って流れ落ちた。声も出ず、ただ「はい、はい」と電話に向かって頷くよりほかになかった。 TSの真心と誠意に満ちた温かい言葉が続いた。それらはすべて神馬に生き続けるべき勇気を鼓舞するものだった。どのように電話が終わり、切れたかも思い出せぬほどに茫然と神馬は正座を続けていた。

     ※     ※     ※

 こうして主人公は自殺を思いとどまる。
 私も、鈴木孝夫慶應大学名誉教授と同じである。すべての本に感銘を受けた。とりわけ『海ゆかば山ゆかば』(現在は『日本の軍歌は藝術作品である』に変更)にはTS氏と同様に涙が止まらなかった。





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2017年02月12日

野球WBCは愚かしいこと


 まもなく野球のWBC大会が始まる。大谷翔平選手の不参加で、日本チームは戦力ダウンでピンチである。参加する以上は勝ってほしいのはやまやまだが、これで予選敗退になれば選手の健康状態の面ではホッとする。

 私はかねてより3月の時期にああいうスポーツの世界大会をやることに私は疑問を呈してきた。スキーやスケートならまだしも(覚悟のうえだろうが)、野球やサッカーのようなスポーツをやるには、寒い時期は非常にまずいのだ。それを興行上の理由でこの時期に強行するのだから、ひどい話だと思う。

 3月に試合ができないことはなかろうが、そのための準備を選手たちは例年より早くやらなければならないのが、実は深刻な問題になる。
 選手たちは、冬の間カラダを休めつつ次のシーズンへの準備をしなければならない。問題はこの準備運動の捉え方なのである。

 わが流派ではよく言われることだが、準備運動には2つあって、一つは「今日の練習」のための準備運動、もう一つは「1年の練習」のための準備運動である。

 プロ野球では昔は(と記憶しているのだが)オフシーズンはみんなランニングだけやって、2月からのキャンプではじめてバットでボールを打ったり、投手が投げたりし始めるありようだった。ところがたぶん興行的に春は早くから試合をやって儲け、秋は遅くまで試合をやって儲けようとの魂胆から、選手のコンディションを尊重しなくなった。

 だから2月のキャンプイン直後から打撃練習をやり、投手は全力で投げ込みをさせ、なかには最初から紅白戦をやる球団も出てくる。
 だから選手たちも必死に生き残らなければならないので、1月中からグアムやハワイに出かけて温かいところで身体を創り、早々に野球を始めてしまう。

 そのままずっとグアムやハワイにいて、キャンプをやり、公式戦をやって5月ごろ日本に帰って試合を続けるならともかく、1月に温かいグアム、ハワイで練習しても、日本の沖縄や宮崎などのまだ寒いところで全力で野球漬けになるキャンプをやるのだ。

 わが流派では、準備運動とは「準備運動」と称するものをやることではなくて、たとえば息も絶え絶えになってから空手なら空手の練習に入るのが準備運動なのだ。全身が温まった状態を準備運動ができた状態という。
 ところが冬とか春まだ浅い季節では身体は冷えている。沖縄や宮崎でも2月3月ではまだ相当に汗だくにしないと準備運動ができたとは言いがたい。

 選手は監督にアピールしなければと、準備運動もそこそこに、1月のうちから全力投球や全力でバッティングしてみせる。1年間のための準備運動は蔑ろにされて、いかに早い仕上がりかをやって見せることになる。

 冷えた状態で空手(あるいは野球など)の練習をやると、冷えた身体で技を覚えてしまう。冷えた身体で技を覚えると、夏になって身体が温まってきたときに、その技がダルになるというか、崩れてしまうのだと説かれる。
 だから技は身体が温かい状態で覚えなければならない。
 したがってわが流派では、冬の稽古は指導者は神経を使う。あまり技を覚えさせる練習は組まない。

 だから前回のWBCでは、イチロー選手の調子が上がらず、ファンはやきもきしたが、それは当然であった。他の選手も無理してWBCにあわせて、例年より早く(寒いうちから)野球の試合ができる身体にしたことは、今は目に見えなくとも、後々故障したり、選手寿命を縮めたりすることにもなりかねない。

 前回WBSでは中日ドラゴンズの選手がWBCに参加することを拒否したが、もし当時の落合監督が、寒いうちから野球をやる危険性まで見抜いての措置ならたいしたものであったが…。
 実際、前回出場した当時横浜の村田修一選手が故障したのは、寒いなか無理したからであろう。彼のようなホームランバッターは、イチローのような軽打で済む選手と違って、全力で打たねばならないから、寒いうちに身体が温まらないのに力一杯のプレーをするから故障しやすい。

 選手は若いしゲーム中は汗をかいていたではないかと言われるかもしれないが、足腰は冷えていたのではないか。アメリカの球場のベンチは半地下みたいになっていて、あれじゃ地面の冷気がもろに足にあたってたまらんだろうと思われた。

 WBCがあってもなくても、プロ野球が寒いうちから選手に万全の仕上がりを要求し、競争心を煽るようなことをすることは避けるべきことである。2月3月はまだ準備運動の段階であるべきだ。マスゴミもそういう選手の身体のことを毫も配慮することなく、キャンプの練習で今日もホームランを何本打ったの打たなかったのと、大ごとのように騒ぎたてるのは、アホである。

 WBCが3月のまだ寒い時期に興行するのは、非常にまずいことである。日本と韓国だけが国威発揚みたいに頑張って意地になっているようだが、ほかのアメリカや南米の国はまだ野球をやる季節ではないと、力を入れないのではないか。そのほうが正解であろう。
 本気で勝負をしたいのなら、夏にやるべきである。

 メジャーリーグに所属する日本人ピッチャーは全員、ダルビッシュ、田中将大、前田、岩隈らは、WBC参加を取りやめている。賢い選択である。




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2017年02月11日

ビタミンCとビタミンEの正しい摂り方


 ある方から無農薬・無肥料の国産レモンをたくさんいただき、このところ毎日賞味させていただいている。ビタミンCが摂れますから、と。無農薬・無肥料だとレモンの形はやや不揃いだけれど、そんなこと別にどうでもいい。味は抜群である。

 海外での産地がイタリア、スペイン、カリフォルニアなどで、温暖な気候を好む樹木だが、原産地はヒマラヤなのが不思議である。
 昔はなかなか国産レモンは栽培されなかったが、たぶん品種改良がなされて、栽培法も研究されてよく栽培されるようになっている。

 さて、レモンといえばビタミンC、ビタミンCといえばレモンというほどの代表格で、酸っぱさでも女王格というべきか。
 ビタミンCは重要なビタミン類で、動物はビタミン類を自分でつくることができるが、人間だけはビタミンCを自分で生成できない。だから必ず経口摂取しなければならないと教えられる。

 以前ブログに書いたことがあるが、薬局で売っているビタミンCの純粋粉末アスコルビン酸を毎日飲むようわが流派では推奨される。
 レモンはビタミンCの女王であっても、レモン1個程度では1日ぃの必要量は足りない。それで純粋粉末を飲むと良いというわけである。

 風邪は体内のビタミンCの不足でも起きるから、ビタミンCを常にとっていると風邪をひかなくなる。動物は自分でビタミンCをつくれるから風邪を引かないのだ。飼っているペットは人間化するので、もしかして風邪を引く。
 そこで1日に1000ミリグラムを取り、あとは必要に応じて(ちょっと咳がでるなとか、鼻水がでるな、熱っぽいなと感じたとき)1000ミリグラムを2〜3時間おきに飲む。

 ビタミンCは多過ぎると尿として排泄され、またタバコを吸ったりコーヒーを飲んだりすると著しく消費されるので不足する、それで2〜3時間置きに摂ると良いのである。一度に大量に飲んでも排泄されてしまう。
 私はそれを実践して、かれこれ30年以上寝込むような風邪は引いたことがない。

 生田哲著『ビタミンCの大量摂取がカゼを防ぎ、がんに効く』(講談社+α文庫)にはこうある。生田氏のお嬢さんがアメリカ留学中に学友から教わったビタミンCの摂取法である。
 「ビタミンCの錠剤を1回1グラムずつ、30分おきに飲んでみたら、7〜8回の摂取でカゼの症状がすっかり消えてしまったのです」

 それ以来、少しでもカゼの症状があらわれたら、ただちにこの『ビタミンC療法』を実行しているのだそうです。通常でも1グラムのビタミンCの錠剤を朝晩1回ずつ服用して、健康維持に努めているのでした」

 生田氏は、ビタミンCはビタミンの一種だから、みんな微量摂取でいいと思っているら、それは間違いで、むしろビタミンというより一つの食品と思ってたくさん摂取したほうがいい、と。
 それに、ビタミンは水溶性だから過剰に摂取した分は尿と一緒に排泄されるから有害ではない、とも生田氏は説く。

 風邪といえば、分子栄養学の創設者・三石巌氏は95歳で天寿をまっとうされたが、『脳細胞は甦る』(祥伝社)のなかで、ご自分は風邪を引いたことがないと言っていて、それは偏りのない十分な栄養を摂っているおかげと、ものを考えるからだと説いている。
 ものを考えるとは、論理的に思考することで、「思う」レベルではなく「考える」レベルで脳細胞を働かせることだという。

 だから井戸端会議みたいなおしゃべりは、脳に緊張感が生じないから、アタマは良くならないし、風邪を引くのを阻止できない。その難しい分子生物学的機序は、『脳細胞は甦る』を読んでいただくとして、もう少し紹介する。
 三石氏は、脳細胞の活性化や病気にかからないためにはビタミン類をたっぷり摂ることだと説く。メガビタミン主義を貫いたとおっしゃる。

 大量のビタミンを摂るのが健康法なのだが、とりわけビタミンCは重要で、ボケや老化、癌などの原因を創る活性酸素を抑える働きを間接的に果たしている。脳の健康の第一はビタミンCを摂取することだと述べている。

 ただし、いくらビタミンCが良いからとて、それだけを大量に摂るのはかえって害がある。ビタミンCを摂ったら必ずビタミンEを十分摂らなければいけないというのだ。
 ビタミンEは小麦胚芽やアーモンド、大豆、シジミ、落花生などに多い。こういうものを意識して食べればいうことはないが、不足分はサプリメントで摂る。ここがちょっとやっかいである。

 ビタミンEがビタミンCの害を消してくれるには、合成品ではダメなのだ。天然ものでなければいけない。ビタミンEのサプリではカプセル入りと錠剤があるが、錠剤ならまず合成だろうと三石氏は言う。
 また天然とうたってあっても、ほとんどが合成でも天然をちょっと含ませるだけで温泉と謳えるので、安物はダメである。なかには「天然型」と銘打ってあって、まぎらわしいが天然物の型をとって作ったという意味になり、これも失格。

 温泉も、ほとんどが水道水の沸かし湯でも、スポイト1滴天然温泉の湯が入れば「温泉」と称して構わないというから、同じようなことである。それでは詐欺じゃないかと思うが、許可を与える木っ端役人は平然としている。
 ちなみに、三石氏はビタミンCに関しては、合成であってもレモンのような天然ものであっても分子構造は一緒だというが、ビタミンEでは合成と天然では構造がちがうのだそうだ。

     *     *

 天然物のビタミンEの場合、普通の大きさのカプセルには50単位しか入らない。ポーリング(ノーベル賞を2度とった化学者で、三石氏と親交があった)はビタミンEを1日800単位摂ったというから、おそらくこれは合成品だ。普通の合成品は、D型ではなくDL型である。二種の立体型の混合物なのだ。

 天然のビタミンEとして尊重されているものは、Dアルファトコフェロールである。このほかにビタミンEにはDベータ、Dガンマ、Dデルタの4種のトコフェロールがあるけれど、Dアルファ以外のものはいったん肝臓に納まっても、胆汁に混ざって捨てられるという事実が、一九九〇年代になってあきらかになった。

 ポーリングが摂った800単位のビタミンEも、おそらくそのまま排出されたのだろう。私のこの仮説が正しいとすれば、ポーリング夫妻はとんだ落とし穴にはまったことになる。
 ちなみに私は、吸収率を三倍から一〇倍に上げるように加工したDアルファトコフェロールを常用している。
(『脳細胞は甦る』より)
     *     *

 ポーリングは夫妻とも癌で亡くなっているが、友人の三石氏は癌の原因のもとはビタミンCの過剰摂取だろうと推測している。
 ポーリングは、メガビタミン主義で、ビタミンCを大量に摂ると同時に、ビタミンEの日々800単位(合成品1ミリグラムが1国際単位。天然物は0.67ミリグラムが1国際単位)も摂っていたというから、毎日800グラムも合成ビタミンEを(信じて)摂っていたことになる。

 だから、健康のため、美容のためと言ってビタミンCをたくさんとるのはいいけれど、そのビタミンC突出摂取の危険を回避するにはビタミンEをたくさん摂取しなければならず、さらにその質が問題になり、これを間違えると、ビタミンCの摂取がかえってカラダに害になってしまうというお話である。



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2017年02月10日

韓国人は盗人である


 韓国がまたしてもバカをやらかした。対馬の寺から盗みだされた仏像を、裁判所が日本に返還しなくていいという判決を下し、あろうことかあるまいことか…韓国の素性も怪しい寺がそれは昔倭冦によって当寺から盗すまれた仏像だからうちに返せという主張を認めた。

 日本中が呆れ返った。
 倭冦には日本人だけではなく、支那人や朝鮮人も多くいた。だからあり得る話としては、朝鮮人海賊が朝鮮の寺から盗んで、どこかに売り飛ばしたのかもしれない。寺自身が食うに困って仏像を売り払ってしまい、回りまわって別の寺に買われたという事態もあり得る。

 今となっては、誰にもわからない。わからないことをいいことに、韓国の裁判所は、日本にだけは返すなの感情で動いた。
 倭冦が盗んだという確証があるわけでもないのに、とにかく日本には嫌がらせをすればいいという主判断だけで動く。
 この朝鮮人の感情の根底には、儒教思想が抜きがたくあるようだが…。

 それにしても言うに事欠いて、倭冦を持ち出してくるとは驚いた。
 それを言うなら、まず江戸時代の「通信史」どもが、対馬と江戸を往復する間に、民間の宿の備品や農家の鶏まで根こそぎ盗んでいったことの謝罪をしてからにしろ。
 ところで、この「倭」について、その由来を一度紹介したことがあった。

 日本人は古代、自分たち集団を何と呼んでいたかというと、「わ」つまり集団の単位(サークル)としての「環(わ)」と称した。支那人に、お前たちは何だ?と尋ねられて、「わ」と答えたのだが、性悪な中華思想を抱く支那人どもは、「倭」という悪字をあてた。
 支那人がそういう悪字を使っていると知って、われらの先祖は中華思想に反発して、「わ」は漢字に当てはめれば「和」なのだと改めて主張する。
 そして国名としては、列島に分立していた小国家である環(わ)をまとめた大きな「わ」という意味で、大きな和、「大和」となった。

 聖徳太子の一七条憲法の第一条は、ご存じのとおり「和を以て貴しとなす」である。これが日本人の根本原理と言われる。さらに、日本人がなぜこうまで「わ(和)」にこだわるかと言えば、それは霊の存在を認め、その祟りを恐れたからである。だから「わ(和)」という精神を生み出した。日本人は物事の解決を何より「話し合い」で決める。これは和を大切にするからである。

 この説は、作家・井沢元彦氏が『逆説の日本史 古代黎明編』(小学館刊 1993年)である。日本にだけなぜ御霊信仰が強烈にあったのかを大筋でこのように説いていた。
 井沢元彦氏はこの、「わ」と怨霊が、実は裏表の概念であるという捉え方が、ご自分の日本史に対する基本的な見方である、と述べている。

 この論理に従えば、呉善花氏の初期の著書にあった次の挿話は、実に明快に解ける。
  (引用開始)
 何年か前の夏、学生仲間数人が連れ立っての九州旅行の途中で、一人が海に溺れて亡くなった事件があった。私たちは旅行を中断し、急遽かけつけたご両親を迎えた。ご両親は私たちの待機する所へ来るや、「息子の死のために旅行を中断させることになって、ほんとうに申し訳ありません」と、何度も何度も頭を下げるのである。

 若かった私は、悲しみをすぐに見せようとしない親をまじかに見て、死んでいった友がいかにも哀れで、心の底に強い反発を感じていた。いまでも思う、そんなときに、お詫びを言う余裕はどこからくるのだろうかと。(『続スカートの風』一九九一年 三交社刊)
(引用終わり)


 息子を亡くした母親が、自ら悲しむよりも真先に、友人たちに詫びたのは、まさに「和」を重視したからにほかならない。韓国や支那には、こういう「和」の意識はなく、儒教の思想(一君万民のヒエラルキー)が根本にある。儒教は得体の知れない怨霊よりも、「孝」「義」「礼」「信」を尊い概念としている。

 むろん「和」という徳目はない。儒教の国(?)から来た呉善花女史が、だから来日当初は、日本人にしみ込んだ「和」の心が理解できなくて、「心の底に強い反発を感じ」てしまうのも無理からぬことであったと言わねばなるまい。

 仏教はこの日本人の「和」の心、怨霊に恐怖する心にうまく取り入ったのである。寄生木のようなものであった。
 だから、今度の仏像盗難事件に関しては、むろん悪党は韓国人だが、とりたてて対馬の寺を応援するほどの気分にはなれない。
 寺というものは、死に関してのビジネスである。

 やれ、墓を作れだの、法事を欠かすなだの、布施をはずめだのと脅して来る。
 戒名についても、いったん死者には戒名をつけるもの、そうしないと御霊となって祟るかも…、和が乱れるかも…と思わされた日本人は、この奇習を受入れざるを得なかった。

 実際、戒名代は高いと思いつつも、布施として払う理由には、現世の人の間の軋轢を避けたい、しきたりに従って波風をおこさないという心理があってのことではないか。
 もし戒名を付けなければ、もしランクが家柄にあっていなければ、親族や周囲の人間から変な目で見られる。これぞ和を乱すことになる。
 もし戒名を付けなければ、もしランクが家柄にあっていなければ、親族や周囲の人間から変な目で見られる。これぞ和を乱すことになる。

 だからやめられない。
 大東亜戦争末期、連合艦隊すでになく、広島・長崎に原爆を落とされ、満州・樺太にはソ連軍が不法に侵略し来たってもなお、日本陸軍は戦争をやめようとしなかった。
 それは、支那戦線や南方戦線で戦死した英霊に申し訳がない、あるいはまだ一戦も交えずに南の島でシラミをつぶしている将兵に申し訳ない、だから今ここでやめられない、そういう理由が陸軍上層部では大勢をしめたといわれる。

 まだある。金融機関の不良債券は、主としてバブル期に銀行がウラの筋に不正融資し、キックバックをとっていたとすると、債券がこげついても、不正発覚を恐れて金融機関はウラ筋の言いなりに融資を続けるしかない。
 企業の上層部が、スキャンダルを総会屋に握られてゆすられる実態もまた同断である。たかりを拒否できずに、腐れ縁をやめられない。

 やめられない、とまらない♪
 アラ、えっさっさあ♪

 死人に戒名をつける習慣、しきたりは、何百年、何代にもわたって続いている。いまさら、その連綿と続いてきた「和」をこわすことはできない。戒名を続けていさえすれば、先祖との「和」は保たれる。

 墓石や墓誌などは二百から三百年も経過すれば、庶民の場合はわけがわからなくなるものだが、寺には過去帳があって、先祖代々お世話になってきた証が認めてある。

 過去帳も疑いだせばキリはないのだが、自分の代ですっぱり寺と縁を切る気にはなれない。だからずるずる続く。続けば、やがてそれは仏教の既得権益となり、汗水流して労働しなくても、無税の現金収入として、坊主の生活を楽々と支えてくれる。ついには腐敗が始まる。

 坊主は生臭になり、国民は骨の髄まで「事なかれ主義」に侵される。
 ちなみに私は、きれいさっぱり私の代で寺とは縁を切った。墓も親が用意したものはあったが、それを残すと子や孫に維持費を負担させるので気の毒だから、棄てた。私が死んだから海に散骨してもらう予定である。
 葬儀もしないし、戒名もいらないのである。




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2017年02月09日

メディアの傲岸な指導者意識


 トランプ大統領が、就任直後から矢継ぎ早に「大統領令」を出して公約の政策実行を行なっている。これに対してアメリカのメディア、日本のメディアが反発し、トランプと全面対決の様相を呈してきている。
 イスラム圏からの難民や旅行者の入国禁止措置に対しては、それに反対する米民主党系の連中のトランプ抗議デモを大々的に取り上げている。
 毎日新聞はくる日もくる日も、反トランプ一色。

 すさまじい反トランプキャンペーンである。
 世界中、トランプに反対する人ばかりといった報道の仕方。
 日米貿易摩擦が再燃して、経済的にも日本は追い詰められるぞと不安をかき立てている。
 トランプを支持する声とか、公平に見た貿易の見通しは取り上げられない。すさまじい偏向報道だ。

 しかも、マスメディアは、米大統領選挙でヒラリー・クリントンが敗れ、トランプ氏が勝ったのは、フェイク(嘘)のニュースが広がったためだといまだに言い続けている。正しい情報を流している旧来のメディアに大衆が従っていれば、悪いことは起きなかったのにという、傲慢きわまる「指導者意識」のなせる業だ。
 デマ、嘘の情報がSNSで拡散しているからヒトラー再来のようなトランプが世界を破滅に導こうとしていると言い、「ネットを信用するな」と叫んでいる。

 どうやら欧米や日本の旧来のメデイアは、インターネットのすさまじい情報量とその拡散スピードが脅威で、自分たちの立場、利権、“正義”が奪われてしまうと思うようになっている。だからネット社会に対して強い敵愾心を持っている。

 けれど、メデイア自身が言うほど、ネット社会にはフェイクでいっぱいになっているわけではなく、有益な情報がいっぱいある。だから実際に爆発的に広がったのである。みんなが既存の、利権やカネに転ぶメディアの信用ならなさに愛想を尽かしているのである。
 そのことについての旧来のメディアに反省の色はかいもくである。相も変わらず、ろくに勉強もしないで、テメエたちのイデオロギーに適う主張だけが正しいと思い込んでいる。

 ニュース解説にひっぱりだされる大学教授や評論家、ジャーナリスト、タレントどもも、原稿料をくれて意見公表の場を提供してくれるメディアにシッポをふるばかり。サヨク思想でバイアスがかかっているうえに、利権にあぐらをかいて勉強しないものだから、ネット社会ではバカにされ、やつら自身が立ち遅れたのだ。

 そもそも、トランプが大統領になれたのはネットでのフェイク情報のせいだと、既存メディアが声をあげること自体、図々しいにもほどがある。
 就任式が終わってもなお、既存メディアはトランプに対するアンチ・キャンペーンを続け、まさに反トランプなら何をしてもいいような風潮までつくりだし、紙面をかざっている。
 デモが先鋭化し破壊行為をくり返す暴徒を批判することもなく、暴動が起きるのは当たり前のことのように報道する。

 あるいはヒラリー支持だった民主党支持者の主張を全面的に正しいとして紹介する。ヒラリーの闇にはいっさい触れない。対する共和党でも、反トランプ派の見解や動向ばかり取り上げる。
 ヨーロッパ各国の首脳の見解も、反トランプばかりを紹介する。
 見苦しく一方的である。

 メディアは、常に自分だけが正しいとする。長年、正しい報道のみをしてきたんだから、ネット社会は常に扇動的で、ポピュリズムで、デマが横行しているという抜きがたい不信感でいっぱいのようだ。
 宗教はなにしても許され、弱者は常に助けねばならず、権力は常に悪であるというサヨク思想に毒されたまま。

 既存メディアのやっていることは、反トランプと、トランプ大統領おろしなら何しても良い、偏向していたって構わないという姿勢である。
 これは反日なら何をしても犯罪にならない、という中共や韓国の風潮とそっくりだ。
 韓国メディアばかりか、日本のメディアも、欧米のメディアも、自分の決めた正義に逆らうものはきっとレッテルを貼って叩く。

 自分の正義と異なる意見に対して、今回は「フェイク」と呼んで傲慢、執拗な攻撃をくり返すメディアの方がネット社会よりも危険である。
 既存メディアのほうが、利権にしっかり食い込んでいるし、権力に密着しているから汚れはひどい。ネットにはデマも多いし、くだらないものも多かろうが、既存メディアより自由である。

 デマを流し、また扇動的なのは、ネットより既存メディアのほうなのだ。たとえば、地球温暖化などというデマを流し続けたのは既存のメディアどもである。ネットのほうが、いろいろな意見が見られる。

 そも、マスゴミをつくり出したのはユダヤ勢力であり、今もその支配下にあるのだから、ユダヤの利権と安全のためならなんでも許される報道の仕方を確立した、その歴史を知れば、今の反トランプ現象やネットを嫌う性向も首肯できるというものだ。
 ユダヤのやり口は、それぞれに潜り込んだ社会において、自分たちの存在を脅かされないために、その国の社会においてあらゆる分野で傲岸不遜な姿勢で“指導者意識”を前面に押し出してくるものだったと思う。

 ロシア革命は、本当のところユダヤ革命だったとは、欧米では知られたことである。フランス革命もそうだったのだ。ロシア革命=ユダヤ革命のあと、世界中に広められた共産主義思想も、リベラル思想も根っこは同じで、みんな“指導者意識”が強い。

 ここにも「二分法」が貫徹されていて、“正”か“邪”か、“真”か“偽”かと問われ、正しいことは虐げられてきた弱者のユダヤにあり、そうでないものは悪として断罪されて良いとする論法である。
 そこからいつでも、オレが導いてやる、正義を教えてやる、反対意見を封殺するなら何をしてもいい、こういう傾向は、みんなユダヤ革命の流れに合致しているように、私には思える。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(3) | エッセイ | 更新情報をチェックする