2017年04月27日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第7回)


〈日本機、去る〉

 プルメリアの朝はとても早い。
 灯火管制のために、月のない夜は街中でも、墨を流したような闇だった。その闇の中を不寝番の兵隊だけが起きている。そして満天の星空がわずかに白みはじめたかというときに、早くもニワトリがトキをつげる。あちらこちらで。
 風はまだ昼間のようには蒸されておらず、熱くない。むしろ冷えて、形さえはっきりしているような新鮮な心地よさである。牛が乳しぼりのさいそくに、モーモー鳴きだす。小鳥たちの中では寝坊のスズメも、軒先でさえずりはじめる。
 島じゅうに蒸れかえっている軍隊の匂いは、まだ立ちあがってこない。陽がのぼると、やがて蠅が人間や牛や糞や食べ物にびっしりとまとわりつき、軍隊の皮革や汗や汚物からたちのぼる強い匂いが、ものの形をくずしていくだろう。
 朝のきざしよりも、夜の影が濃いそんな時間に、ときならぬ飛行機の爆音がひびきはじめた。人々はおきだして、不安そうに空をあおいだ。米軍機がやってくるには早い。空襲警報も出ていない。爆音もちがう。ガーガーと、音だけで米軍機より性能のわるそうだとわかる日本の戦闘機が、上空を旋回していた。翼に日の丸がみえる。
「来たんだ」
「そうだ、とうとう来たんだ」
「援軍なのね」
「もう大丈夫だ。遅かったじゃないか、ちくしょう」
「来た、来た、来てくれたのよ」
 十やがて二十と戦闘機は増えていった。ピョンピョンはねまわる子がいる。ランプに灯を入れて振り回して、たしなめられる人がいる。音の出ないように手をうってははしゃいでいる人がいる。腰にさげた手ぬぐいで、涙をぬぐっている人がいる。
 しかし、およそ二十機の「大編隊」は、ふいに機首を西にむけると、朝焼けの空をあとに水平線をめざしてとんでいった。
「どういうことかしら?」
「敵に攻撃をかけに行ったのか」
「内地から着いたばかりじゃなかったのか?」
「日本軍のやることはいつだって、こうだ。おれたちにゃわけがわからない」
 それっきり「大編隊」はもどってこなかった。明るくなると、あいかわらずアメリカの戦闘機や軽爆撃機が、暑い日ざしの中を疲れもみせずにとびまわった。迎えうつはずの日本機は、ただの一度もとびたたなかった。
 2〜3日たって、島の人たちはどうやら真相を知ることができた。それは、陸軍の将校が、海軍航空隊をののしる言葉を、あちこちでしゃべったからだった。
 もはや、プルメリア島には飛べる日本の戦闘機は一機もいないとのこと。あの朝の編隊は、米軍上陸にそなえての逃亡であったこと。それを陸軍の将校は憎んで、言いふらしたのである。もしもアメリカ軍のスパイが聞いたら、これだけ情報が筒抜けでは、かえってびっくりしたにちがいない。しかし、「逃亡」と言ったのは、陸軍の将校であって海軍航空隊は、プルメリア島守備隊より上の南方方面軍の指示による作戦のための「転進」だったと言いはった。そして、プルメリア島のなかで、海軍と陸軍はますます仲がわるくなった。
 軍用機には無線電信が積んである。ダイヤルをうまくあわせれば、アメリカ軍が日本軍向けにながしている放送を聞くことができる。
 アメリカ軍の放送は、こういうことを言う。
「〇月〇日、米軍は〇●島を攻撃する。島の日本軍の兵力はこれこれである。われわれはその20倍の戦力で攻撃する。君たちにはぜったいに勝ち目はない。戦うだけむだである。降伏をすすめる」
 この放送をこっそり聞くことができるのは、飛行機に乗れる将兵だけであった。敵の放送を聞くことは禁じられていたが、空の上ならみつからなかった。泥まみれの陸軍の兵隊にはわからないことだった。
 ……ニューギニアでもそうだった。クェゼリン島でもそうだった。ペリリュー島でもそうだった。マキン・クラワでもそうだった。ことごとく米軍は放送で予告し、そのとおりに攻めてきて、あげくに日本軍は全滅してきていた。例外はなかった。それは航空隊の飛行兵なら知っていることだった。
 で、今度はプルメリアの番だと放送は告げたのである。
 だから、海軍航空隊は、プルメリアの守備隊から抜けていったのである。プルメリアの住民はむろんそんな予告放送のことなど知らない。知っている人だけが逃げた。


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2017年04月26日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第6回)



〈ハガキ〉

 郵便屋さんは、手紙や小包の配達だけでなく、島のポストにたまった手紙を集めるのも仕事だった。しかし、戦争が日本の劣勢になり、内地と郵便の連絡もできなくなった今となっては、やれる仕事がなくなった。
 あの最後のあけぼの丸が撃沈されてからは、だれも内地に手紙を出そうとしないし、内地からも手紙はとどかない。
 といって、ぶらぶらしていてもしょうがないので、郵便屋さんは空襲の合間をみつけては、自転車で島内をまわって、いくつもないポストをのぞいてあるいた。
 ポストといっても、商店の軒先を借りて赤くぬった箱を置いてあるだけ。
 島のいちばん南にあるポストに行ったときのこと。めずらしくポストの中にハガキが一枚はいっていた。
 そこには子供の字でこんなことが書いてあった。

 モウ、半年モ「少年倶楽部」ガ来マセン。ボクハ、イツモ楽シミニシテイマス。「少年倶楽部」ハ、オモシロイデス。デモ、イツニナッタラ「少年倶楽部」ヲ、オクッテモラエマスカ。ソレトモ、モウ「少年倶楽部」は出ナクナッタノデスカ。オシエテクダサイ。

 本当は郵便屋さんは、ひとの手紙を読んではいけないのだが、つい目にはいってしまった。郵便屋さんは仕事ができたので、すこしうれしくなり、ハガキを読んだので悲しくもなった。たった一枚のハガキを郵便袋に入れて、また自転車にまたがった。
 「少年倶楽部」はそのころ、人気のあった子供たちの雑誌だった。それが戦争のためにプルメリアにはとどかなくなっていた。
 郵便屋さんは、この子供が書いたハガキが内地の「少年倶楽部」に届かないことはわかっていた。とうぶん、郵便局の棚の上に置かれたままになるしかないからである。
 ただ一枚のハガキに、なにかとても人の心にとって大切なものにふれた気がして、そのことが郵便屋さんの心をすこしばかり温かくしたのである。


〈キノコ拾い〉
 
 アメリカの戦闘機グラマンは、クマバチとあだ名をつけられていた。そのクマバチがプルメリアにも飛んできて、上空をブンブンとびまわるようになった。
 地上の人をみつければ、兵隊であれ女・子供であれ、みさかいなく、また弾丸を惜しげもなくダダダダダ、ダダダダダーと機銃掃射してくる。
 迎えうつ日本軍は、いちおう機関銃があって、なんとか飛んでいるクマバチを撃ちおとそうとするのだが、もともと弾の数が少ないものだから、よくよくねらってポツポツといった感じで撃つのである。しかも、その機関銃はしょっちゅう故障する。
 クマバチが帰っていくと、兵隊はふきんにころがっているカラの薬莢を拾って数えて、今日は何発撃ったと日誌に書きこむ。毎日、その数字はふえるのだが、クマバチはいっこうに撃ちおとせない。
 撃ちおとされる心配があまりないとなれば、クマバチのほうは好きなように飛びまわる。翼をキラキラさせつつ、ヤシのこずえをかすめるように飛んでくる。だから風防ガラスのむこうにアメリカ人の兵士の顔がまざまざと見えたとか、笑っていたとか、歯が鬼みたいだったとか…、プルメリアの人たちは逃げまどいつつも、クマバチをチラッと見た感想を語りあった。
 戦闘機から撃ちだされるのは機関銃弾だが、どうじに弾をいれていた薬莢も用ずみになって、バラバラと地面に落ちてくる。銃弾は地面の固いものにあたると、とがった先っぽがつぶれて、金属のキノコのようになる。
 こんなものは拾ってみても、なんの役にもたたない。でも、男の子たちにとっては、たとえそれが敵のものであっても、集めるのが好きである。どのあたりでクマバチが機銃掃射をしたのか、見当をつけておいて、敵がいなくなると拾いにいく。
 港の付近は、軍事施設が多く、兵隊も多いので、敵の弾がたくさん落ちていることになる。もちろん立ち入り禁止にはなっているが、男の子たちにしてみれば、そこが一番キノコを拾いやすい場所なのだ。日本兵も、子供たちが敵ではないし、気をつけろよと声をかけるが追い払うことはない。
 よくあることだが……、ここにもガキ大将がいて、ちょうど港のあたりをめぐって二つのグループが反目しあっていた。
 空襲がおわると、さっそく子供たちがやってきて、機銃弾やカラ薬莢を拾いはじめる。

 そこへ遅れてきた(と、はた目には見える)子供たちが、俺たちが先だとかなんとか文句を言って、ケンカになり、棒きれを持って追いかけたり、石を投げ合ったりの騒ぎになってしまう。やがて付近の日本兵に怒鳴られるか、次の空襲のサイレンが鳴れば、子供たちはクモの子を散らすように逃げていく。そのくり返しである。
 プルメリア人の子供たちは、そんな争いのなかには用心して入っていかない。とはいうものの、やはり弾はほしいので、日本人のいないすきにキノコを拾いにいく。
 プルメリア人の子が、焼夷弾からはじけとんだ尾びれを運良く拾った。それを持って帰ろうとしたところへ、今度は運悪く日本人の子供たちに出会ってしまった。そしてお定まりの通せんぼ。
「なんだお前ら。バカヤロ。誰の許しをもらって持って行くんだ」
「許しなんてないよ。落ちていたから拾ってなにが悪い」
「なんだとバカヤロ。それじゃドロボウと一緒だぞ。そんな言い方は」
「ドロボウじゃないよ。アメリカ軍が落としていったものじゃないか」
「バカヤロ。お前らチャモロ族が戦争してるのじゃない。日本人が戦っているんだ。お前らバカヤロは関係ないんだ。さっさと置いてかえれ」
「だってぼくらが拾ったんだ。誰のものでもないだろ」
「なまいき言うな。バカヤロ。びんた食いたいのかよ、このやろ」
 ガキ大将は早くも手がでて、焼夷弾の尾びれを持った子の胸をつきとばした。尾びれが地面にころがったところを、すかさず日本人の子がとりあげてしまった。
「なにすんだよう!」
 チャモロ族の子が一歩前にでたとたんに、ガキ大将のゲンコツがその子の口に命中した。数人のチャモロ族の子供たちは、逃げていきながら叫んだ。
「日本人のバカヤロ! お前たちなんか、みんな、みんな……、みんな」
 あとの言葉は出てこなかった。仕返しが、つまり大人が出てきての仕返しがおそろしくて、子供たちの口からあとの言葉は出てこなかった。




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2017年04月25日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第5回)


〈イヌにたのむ〉
 
 島の中央にあるプルメリア神社には、戦争がはじまってからというもの、たくさんの人が毎朝早くからお参りするようになっていた。 
 プルメリア原住民のチャモロ族とカナカ族は、スペインやドイツの時代がながかったのでキリスト教信者になっていた。キリスト教を信じないと殺すぞとおどされてしかたなくそうなったのだが、今ではそんな昔のことは忘れられ、原住民はまじめにキリスト教を信仰するようになっていた。
 日本人は葬式は仏教でやるが、ふだんは神棚をかざったり神社に出向いたりする。日本人はプルメリア人に神様をおがめとおどしはしなかったが、原住民が神社にいくのはよろこんだ。
 それで、日本人につきあって神社でおがむ人もいた。
 それはさておいて、この神社の神主はちょっとした奇人であった。行事のときは神主らしい服を着るが、ふだんはサルマタひとつの素裸ですごしていた。うしろから見ると、日に焼けて真っ黒で、チャモロ族ともカナカ族とも区別がつかない。
 立派な八字ひげをたくわえていて、街中でもそのかっこうでいばって歩く。それが神主の「主義」とかで、警察でもこの人のことはあきらめて、裸でも注意しなかった。
 その神主が、素裸で警察にやってきた。ちょうど警察の裏手では、イヌやネコがもちこまれ、急造のオリにぎっしりつめこまれて、おおさわぎをしていた。
 神主はずかずかと警察署長の部屋にはいっていき、大声で、
「署長、処分するイヌを一匹ゆずってくれ!」
 と、どなった。この人は裸で暮らすことと、大声で話すこと、やたらに笑うことが健康に良いと信じていた。署長もひげを指でひねりながら顔をあげ、ニヤニヤ笑って、
「どうするんだ、食うのかね?」
「ちがう、埋めるのだ」
「埋める? それは感心だ、供養してくれるのか」
「ちがう」
 神主はまた警察じゅうに聞こえるような大声でさけんだ。署長はなれているからいいけれど、はたからみると、まるでケンカ腰。
「生きたまま埋めるのだ、首だけだして」
「なに! 何をかわいそうな。この非常時だからやむをえず、飼い主から取り上げているんだ。生き埋めなんぞ、バカなことを」
「そうではない。国運にかかわることだ。おぬしには分からんでいい。一匹だけゆずってくれればいい」
「イヌを埋めることが、どうして国運にかかわるのか、理由を聞こう」
 署長もあまりどなられるのと、お前にはわからんと言われてムッとした。けれど、それから三〇分ばかりの神主の大演説というか、わめき散らす話にうんざりして、とうとうイヌを一匹くれてやることにしたのであった。
 神主はきげんを直して、カラカラと笑うと、巡査に一匹のイヌをひっぱらせながら、ゆうゆうと引き上げていった。
 神主は境内に穴を掘り、イヌを首だけだして埋めてしまった。イヌにおはらいをし、のりとをあげ、ちゃわんに酒を少しつぎ、塩をまいては何度もイヌに頭をさげた。
 巡査が見ている前で、えんえん三〇分もそうやって祈りをした。
 それがおわって、ふたたび素裸になった神主に、巡査はたずねた。
「なんのために、こんなことをするのですか?」
 すると神主は三白眼になり、押し殺したような声で説明をはじめた。生き埋めになったイヌに、念力でアメリカ軍を追い払ってくれるようにたのんだのだ。追い払ってくれれば穴から出してたすけてやる。だからぜひとも願いをきいてくれ。そうイヌの魂にうったえたのだ、という。
「へえー、本当にそんな力がイヌにあるんですか」
 巡査が感心して、あいづちをうった。だが、神主はそれが不満でまたどなった。
「力があるのですか、とはなんだ。うたがうのか、たわけめ。お前のような信念のないものがいるから…、信念のないものがいるからわが日本軍が……」
 しばらく真っ赤になって絶句したあと、
「きさまは国賊だ!」
 叫んで、両手をわなわなふるわせた。
 巡査はおそれをなして、チャッと敬礼して、回れ右をすると、あたふたとかけていった。
 その日の夕方には、イヌは暑さと、ひどいめにあったためにぐったりと伸びてしまい、ハエだのアリだのにたかられたまま、夜になって死んでしまった。



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2017年04月24日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第4回)


〈ドイツ人の、畑〉

 夕方。焼きはらわれたサトウキビ畑を前にして農夫の兄弟が二人、肩をおとしてしゃがみこんでいた。B24爆撃機の落とした焼夷弾で、彼らの畑がほぼ全滅になったのである。畑にふみこむと、地下足袋を通して地面の熱が伝わってくるほどだった。
「どうもなあ」弟の農夫がつぶやいた。「早くに連合艦隊に敵さんを追い払ってもらわないことには、手も足もでないのかな」
「本当に何しているんだろう、連合艦隊は。おびきよせて叩くという話だが、わしらの身にもなってほしいよ」兄の農夫はそういってツバをはいた。

「海は四方を敵に囲まれて、輸送船の出入りもおぼつかない。空は敵の飛行機がわがもの顔だ。これじゃサトウキビ畑どころか、食べ物にもこまるぞ」
「くそ、ドイツ野郎のツケをおれたちが払わされるぞ、こりゃ」
「ドイツ野郎がどうした?」
「ああ、プルメリアは日本が来る前はドイツが支配していただろ。そのドイツ人はな、プルメリアでヤシやイモやサトウキビの栽培をしていたんだが……」

「そうだな。ここの畑も道路もドイツ時代のものだな」
「お前も知ってのとおり、プルメリアは南洋の土人ははたらかない。カネなんかなくたって、バナナやパンの木がいくらでもあるのだから、それをもいで生活していればいいんだ。ドイツ人はな、だからプルメリア人がはたらかないのだと思って、バナナの木やパンの木を切り倒したのだ。はたらかないと食べていけないようにしたのだ。おかげでプルメリア人をはたらかせて、ドイツ人がほしい農作物なんかをつくれるようになったんだ。

 …さて、こういう戦時になると、なくてはならないのは食料だ。もともとプルメリアにはバナナもパンの木もたくさんあったのに、今では野生の木なんかありゃしない。もしもアメリカ軍に兵糧攻めにあっても野生の食物を食べてかなりもちこたえられたかもしれないのに、ドイツ人が根こそぎやっちゃったものだから、お手上げなんだよ、おれたちは」
「ドイツは日本の同盟国なのに……」

「何をいまさら。それにドイツは日本と同盟する前は支那をそそのかして戦争にまきこんだ張本人だった」
「あ〜あ、自然のままにしておいてくれたら……か」
「まさかこうなるとはだれも思っていなかったってことさ」
「アメリカを追い払った暁には、山にバナナやパンの木をしこたま植えよう」
「そんなことをやっても、もうからない。サトウキビから工業用アルコールをとるほうが国策でもある。それに、プルメリア人たちがはたらかなくなる」
「まったくだ」
 二人はそういって、ため息をついた。



〈しょうがないわよ、おくさん〉

「回覧板ですよ」
 表で声がしたので、洋品屋さんのおくさんは店先に出ていった。となりの床屋のおかみさんが、ねむそうな顔をして立っていた。夜も空襲の不安があるので、よくねむれなかったのかもしれない。
「あら、すみません」
「いいえ。……でもおくさん。この回覧板では、おたくで飼っているネコちゃん、始末するように言ってきたのよ、警察から」
「えっ、なんですか」

 洋品屋のおくさんはあわてて回覧板に目をとおした。
 もしもアメリカ軍がプルメリアに上陸してきたら、イヌやネコは足手まといになるから、いまのうちに殺すように、という通達であった。日本人がかくれているところへ、家族をさがしてイヌやネコが鳴いてきたりしたら、すぐにアメリカ軍にわかってしまうからだと。
「そんなこと、できないわ」
 洋品屋のおくさんはあおざめて、もう泣きそうだった。

「お気のどくですけど、この非常時ですもの。ご自分でしまつできなければ警察が処分してくれるそうよ」
「そんなひどいこと。ういちのタマは私が沖縄にいるときからかわいがって、家族同様にずっと……」
「しょうがないわよ、おくさん。あきらめるしか。だってそうでしょ、ね」
 床屋のおかみさんは、そう言いながらあとずさりして行ってしまった。
 洋品屋のおくさんは、その晩、タマを抱いて寝てやった。幸い、アメリカ軍の戦闘機は、夜はやってこなかった。 
 つぎの朝、おくさんはタマのすきな煮干しをすこし食べさせてから、泣きはらした顔で警察へタマをだいていった。



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2017年04月23日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第3回)


〈鳴き声〉

 プルメリアの中心の町ハシカルに、島でいちばん年寄りのチャモロ族のおじいさんがいた。「たぶんいちばん年寄りだろう」と島の人たちは言う。なぜ「たぶん」かというと、おじいさんは自分がいつ生まれて、いま何歳なのかを知らないからだ。
「おじいさんは、今年、いくつ?」と聞くと、
「知りません。わたしは五十から上の数を習わなかったからね」
 そんな答えが返ってくる。とぼけたおじいさんである。

 そのおじいさんが、いちばん年寄りだというたしかな証拠は、ある。
 おじいさんがプルメリアがスペインに支配されていたころのことをよく知っているからだ。
 プルメリアは、スペイン、ドイツ、日本と支配者が替わってきた。
 スペインがやってきたのが四百年前。それから三五〇年ほど支配がつづいた。かわりにやって来たドイツ人は五五年前からおそよ二〇年間プルメリアを支配した。第一次世界大戦後、ドイツに替わって今度は日本がプルメリアを支配するようになってから三〇年になる。

 だからおじいさんはきっと七〇歳くらいにはなっているはずである。 
 それだから、おじいさんはチャモロ語のほかに、スペイン語も、ドイツ語も、そして日本語も話すことができる。
 おじいさんは昔のことをよく知っているので、チャモロ族の子供にも、日本人の子供にも、よく昔話をしてくれる。
 ハシカルの町の中ほどにあるプルメリア映画館の前のベンチではよくおじいさんの姿をみかけた。おじいさんの得意の話は、スペインのころはこうだった、ドイツのころはああだった、そして今は……というようなことである。

 たとえば。
 「日本人はなにしろまじめだ。いちばん仕事をする。おかげでプルメリアはそこらじゅうがサトウキビ畑になった。工場も大きくなった。ちいさいが鉄道もできた。仕事、仕事、といって、われわれがのんびりしているのを許さない。ちょっとでも休むと、「なまけるな!」といってビンタをはる。昔は、こんなに働かなかったよ。スペイン人とドイツ人は教会へ行けの、神様をおがめのとうるさかったが、日本人といえばビンタだな」
 そういっておじいさんは、黒い顔をくしゃくしゃにしてよく笑う。

 また、おじいさんは子供が好きなので、スペインやドイツや日本の昔話をよく知っている。日本のものなら「もも太郎」とか「かちかち山」とか「花さかじじい」である。
「それにしてもな……」
 あるとき、「花さかじじい」の話を子供たちにせがまれてしてやったあとで、おじいさんはこう言った。
「ここ掘れワンワンだからな、日本人は。犬の鳴き声はワンワンだ。だがスペイン人はちがうぞ。犬はグァウと鳴くのだそうだ。ドイツ人は犬はブラフと鳴くのだと言う。

 ついでに言うと、ニワトリの鳴き声は、スペインのころはキキリキーで、ドイルのころはキーケリキー、日本になるとコケコッコーだよ。プルメリアでは……そのたびに鳴き声が変えられたのだよ。
 おじいさんはフーッとため息をついた。
「犬もネコもニワトリも、わしらは昔から同じように鳴いていると思う。犬はスペイン語で鳴いたり、日本語でほえたりはできない。なのにスペイン人は犬はグァウでなければならぬと言う。日本人は犬の鳴き声はワンワンだから、そういえとプルメリア人に教える」

 そのあとでおじいさんはチャモロ語で何かつぶやいた。でもチャモロ語を知らない日本人の子供にとっては、何を言われたのかわからなかった。
 おじいさんは、じつはこういったのだ。
「もしも、この戦争に日本が負けて、アメリカがプルメリアにやってくると、こんどは犬やニワトリは何と鳴くのだろう」


〈ヤシガニとり〉

 プルメリアでヤシガニ取りの名人と言えば、ジャンである。彼は山に入ってヤシガニをとらえ、町の魚屋に売って暮らしをたてていた。
 ヤシガニの大きさは子供の野球のグローブほどで、海にはいなくてジャングルの木の根かたや岩の間などにひそんでいる。見つけるのはむずかしい。穴にいるとわかっても、手をつっこめば強いハサミではさまれてしまう。

 そういうヤシガニをどうやってつかまえるかと言うと、砂をまくのである。
 ヤシガニは陸にすんでいるが、水にはうえている。だから雨がふるといそいそと巣穴から出てきて草の葉からつたってくる雨水を触覚で受けて、ごくごくと飲む習性がある。この習性を利用して、つかまえるのだ。
 ジャンは、海岸から砂をふくろにつめて山に入る。ヤシガニのいそうな所に来ると、おもむろに砂をパッと撒くのである。力士が土俵で塩をまくようなぐあいに。

 その砂のパラパラの音をいかに雨らしくまくかが、名人のひみつの技なのだ。
 そうすると、砂は木の葉や地面にあたってパラパラとまるで雨つぶのような音をたてる。穴でうとうと昼寝をしていたヤシガニは、「おっ、雨だ。水が飲めるぞ」とばかりに穴からはい出てくる。そこをジャンは待ちかまえていて、むんずと捕まえるのだ。

 さて、戦争がはじまったために、プルメリアでは兵隊でなければやたら山に入ってはいけないことになった。
 山じゅうが日本軍の要塞や司令所などになったからである。それでもジャンはかまわずに山の中にこっそり入っては、ヤシガニを取ってきていた。
 おかげで町のすし屋や食品店には、ちゃんとヤシガニがそろっていた。本当なら出回るはずのないヤシガニがあるのだから、これを警察が目をつけないわけがない。

 しかし警察がいくら山の中でジャンを捕まえようとしても、ジャンはうまいこと逃げおおせる。警察がいくら地団駄踏んで悔しがっても、プルメリアで一番山にくわしいジャンにはかなわない。
 それでもいよいよ戦争のようすがきびしくなって、アメリカ軍の攻撃が近づくにつれて、山の警備もげんじゅうになった。いたるところに日本兵がいて、あやしい人間をみると、かまわず発砲してくる。こうなると、いかなジャンでもうかうかしていられない。
 ジャンはいつもヤシガニをおろしている市場に行って、市場の親方に会った。

「どうしたジャン、うかぬ顔して?」
 親方は60歳くらいの日本人で、頭はきれいにはげていて、ポッコリお腹のためダボシャツの前をいつもはだけている男だった。
「いやあ、ああ、うん、だけどねえ……」
 ジャンは口ごもり、はっきりしない。
「今朝はどうした? ヤシガニを一匹も持ってこないな」
 親方はニヤニヤしながら言った。
「そうなんだ。おちおちヤシガニをとっていられないぜ。命がけだ。夕べなんか、山の中で兵隊に撃たれて、弾が耳元をかすめたよ」

「うむ」と親方はキセルに火をつけて一服吸った。「さすがのジャンも軍隊相手ではかなうまい」
「わらいごとじゃない。地雷もそこらじゅうに埋めてあるそうだし、うかつに山には行けなくなった」
「まあ、地雷はプルメリアでは埋める前に太平洋の海底にしずめてきたほうが多いようだがな。お前がヤシガニをとってくてくれないと、わしの商売もこまるからな。いつ敵の飛行機がくるかわからないから、もう船を沖に出して魚をとることもできない。今じゃ岸から釣るばかりだ。魚市場もさばく魚が少なくてどうしようもない。山からとってくるヤシガニは頼りにしているんだ」
「戦争が終わるまで、とても山の中には行けやしない」

「あほ、そんな悠長なことを言っておれるか」
「鉄砲でうたれるのはゴメンだぜ」
「当たり前だ。おれに任せておけ。山に入れるようにしてやる」
「どうするんだ?」
「日本ではな、昔からおかみを手なずける方法があるんだよ」
「……」

 親方はジャンを連れて、島の守備隊司令部にかけあいにいった。そしてみごとにジャンが山に入ってヤシガニ漁をして良い許しをとりつけたのである。
 もちろん親方はふだんから司令部の軍人にお酒を持っていったり、とれたての魚や貝をさしあげたりして、とりいっていた。それに、とれたヤシガニのうち三匹は司令部におさめることで話がまとまったのだ。
 こうしてジャンは砂ぶくろを持ってゆうゆうと山に入り、高射砲の鼻先であっても構わずヤシガニを捕まえることができた。山に入って気付いたのは、けっきょく地雷なんてどこにも埋まっていないことであった。あれは実は日本軍がわざと流したデマだったのだ、とジャンは知ったのである。

 日本軍はもうこのころには鉄製の地雷はほとんどなくて、陶器でつくった地雷が主だった。これは鉄製の地雷の半分ほどの威力しかなかった。
 アメリカ軍の戦闘機がプルメリアに姿をあらわすようになった。連日、偵察をおこない、日本軍陣地へ銃撃をくわえた。ジャンは山にはいるとき、米軍機におそわれると、近くに日本軍陣地があればなるべくそこにとびこんで身をかくすようにした。それが一番安全だとジャンは思ったからだ。

 しかし、ある日とびこんだ速射砲陣地では、そこの中隊長は司令部の上官をよく思っていない人だった。司令部は自分たちに比べて、だらしない毎日をおくっていると腹をたてていた。だから、ジャンがヤシガニの入ったふくろをかかえて陣地のすみに小さくなっているのを見て、中隊長は思わずカッとなった。米軍機が上空をとびまわっているのに、中隊長は日本刀をふりあげて叫んだ。

「出てゆけ! きさまがいると敵にこの陣地がわかってしまう」
 中隊長にけとばされてジャンは外へころがり出た。不運なことにそのときジャンは米軍機に発見されて、急降下してきた戦闘機に機銃掃射をあびた。
 それがプルメリア人が戦争で死んだ最初のことだった。



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