2017年02月09日

メディアの傲岸な指導者意識


 トランプ大統領が、就任直後から矢継ぎ早に「大統領令」を出して公約の政策実行を行なっている。これに対してアメリカのメディア、日本のメディアが反発し、トランプと全面対決の様相を呈してきている。
 イスラム圏からの難民や旅行者の入国禁止措置に対しては、それに反対する米民主党系の連中のトランプ抗議デモを大々的に取り上げている。
 毎日新聞はくる日もくる日も、反トランプ一色。

 すさまじい反トランプキャンペーンである。
 世界中、トランプに反対する人ばかりといった報道の仕方。
 日米貿易摩擦が再燃して、経済的にも日本は追い詰められるぞと不安をかき立てている。
 トランプを支持する声とか、公平に見た貿易の見通しは取り上げられない。すさまじい偏向報道だ。

 しかも、マスメディアは、米大統領選挙でヒラリー・クリントンが敗れ、トランプ氏が勝ったのは、フェイク(嘘)のニュースが広がったためだといまだに言い続けている。正しい情報を流している旧来のメディアに大衆が従っていれば、悪いことは起きなかったのにという、傲慢きわまる「指導者意識」のなせる業だ。
 デマ、嘘の情報がSNSで拡散しているからヒトラー再来のようなトランプが世界を破滅に導こうとしていると言い、「ネットを信用するな」と叫んでいる。

 どうやら欧米や日本の旧来のメデイアは、インターネットのすさまじい情報量とその拡散スピードが脅威で、自分たちの立場、利権、“正義”が奪われてしまうと思うようになっている。だからネット社会に対して強い敵愾心を持っている。

 けれど、メデイア自身が言うほど、ネット社会にはフェイクでいっぱいになっているわけではなく、有益な情報がいっぱいある。だから実際に爆発的に広がったのである。みんなが既存の、利権やカネに転ぶメディアの信用ならなさに愛想を尽かしているのである。
 そのことについての旧来のメディアに反省の色はかいもくである。相も変わらず、ろくに勉強もしないで、テメエたちのイデオロギーに適う主張だけが正しいと思い込んでいる。

 ニュース解説にひっぱりだされる大学教授や評論家、ジャーナリスト、タレントどもも、原稿料をくれて意見公表の場を提供してくれるメディアにシッポをふるばかり。サヨク思想でバイアスがかかっているうえに、利権にあぐらをかいて勉強しないものだから、ネット社会ではバカにされ、やつら自身が立ち遅れたのだ。

 そもそも、トランプが大統領になれたのはネットでのフェイク情報のせいだと、既存メディアが声をあげること自体、図々しいにもほどがある。
 就任式が終わってもなお、既存メディアはトランプに対するアンチ・キャンペーンを続け、まさに反トランプなら何をしてもいいような風潮までつくりだし、紙面をかざっている。
 デモが先鋭化し破壊行為をくり返す暴徒を批判することもなく、暴動が起きるのは当たり前のことのように報道する。

 あるいはヒラリー支持だった民主党支持者の主張を全面的に正しいとして紹介する。ヒラリーの闇にはいっさい触れない。対する共和党でも、反トランプ派の見解や動向ばかり取り上げる。
 ヨーロッパ各国の首脳の見解も、反トランプばかりを紹介する。
 見苦しく一方的である。

 メディアは、常に自分だけが正しいとする。長年、正しい報道のみをしてきたんだから、ネット社会は常に扇動的で、ポピュリズムで、デマが横行しているという抜きがたい不信感でいっぱいのようだ。
 宗教はなにしても許され、弱者は常に助けねばならず、権力は常に悪であるというサヨク思想に毒されたまま。

 既存メディアのやっていることは、反トランプと、トランプ大統領おろしなら何しても良い、偏向していたって構わないという姿勢である。
 これは反日なら何をしても犯罪にならない、という中共や韓国の風潮とそっくりだ。
 韓国メディアばかりか、日本のメディアも、欧米のメディアも、自分の決めた正義に逆らうものはきっとレッテルを貼って叩く。

 自分の正義と異なる意見に対して、今回は「フェイク」と呼んで傲慢、執拗な攻撃をくり返すメディアの方がネット社会よりも危険である。
 既存メディアのほうが、利権にしっかり食い込んでいるし、権力に密着しているから汚れはひどい。ネットにはデマも多いし、くだらないものも多かろうが、既存メディアより自由である。

 デマを流し、また扇動的なのは、ネットより既存メディアのほうなのだ。たとえば、地球温暖化などというデマを流し続けたのは既存のメディアどもである。ネットのほうが、いろいろな意見が見られる。

 そも、マスゴミをつくり出したのはユダヤ勢力であり、今もその支配下にあるのだから、ユダヤの利権と安全のためならなんでも許される報道の仕方を確立した、その歴史を知れば、今の反トランプ現象やネットを嫌う性向も首肯できるというものだ。
 ユダヤのやり口は、それぞれに潜り込んだ社会において、自分たちの存在を脅かされないために、その国の社会においてあらゆる分野で傲岸不遜な姿勢で“指導者意識”を前面に押し出してくるものだったと思う。

 ロシア革命は、本当のところユダヤ革命だったとは、欧米では知られたことである。フランス革命もそうだったのだ。ロシア革命=ユダヤ革命のあと、世界中に広められた共産主義思想も、リベラル思想も根っこは同じで、みんな“指導者意識”が強い。

 ここにも「二分法」が貫徹されていて、“正”か“邪”か、“真”か“偽”かと問われ、正しいことは虐げられてきた弱者のユダヤにあり、そうでないものは悪として断罪されて良いとする論法である。
 そこからいつでも、オレが導いてやる、正義を教えてやる、反対意見を封殺するなら何をしてもいい、こういう傾向は、みんなユダヤ革命の流れに合致しているように、私には思える。




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2017年02月08日

「日本出身力士」ってなに?


 初場所で稀勢の里が優勝し、晴れてやっと(!)横綱に昇進した。日本中が喜んだ。
 新聞記事のなかでちょっと気になったのは、「日本出身の力士としては三代目若乃花以来19年ぶりの横綱」という書き方である。各紙みんなそうだった。
 日本出身? そりゃないんじゃないか。モンゴル出身とか、ハワイ出身という言い方はあるが、ここはそも日本なんだから、わざわざ「出身」と書くことはない。

 日本人力士としては若乃花以来、と書くのなら違和感はない。日本人力士と言ったらいけないのか? これはモンゴル人やエジプト人じゃないから、と言いたいのだろうが、日本出身といえば、「外国籍だが、日本生まれ、日本育ち」というニュアンスが含まれてしまう。ザイニチなのか?という疑念を生じさせる書き方なのである。

 メディアの記者どもは、どうもグローバル思想に毒されていて、国境をなくしたいと夢を持っているのだろう。だから、世界はひとつになって、国境はなくすが、それでもある人間がどこの国の出身かは判別することが残るだろうから、当分その表記は残ると考えているはずだ。
 日本人とかアメリカ人とかの概念は過去のものにしたいのだ。

 その愚かな夢が、今度のように「日本出身力士」という表記にさせる。
 グローバルこそ理想だとしているから、反日サヨクは蓮舫の国籍問題をどうでもいいと捉え、問題にする奴は人種差別だとまで言ったのだ。

 あるいは、グローバリズムを否定してアメリカ大統領になったトランプが、憎くてならない、となっている。
 よって、ささいなことながら、稀勢の里を「日本出身」と書きたくてならないのだろう。

 サヨク司馬遼太郎が、『この国のかたち』なる本をだしたあたりをきっかけとして、「わが国」とか「日本」とか表記しないで、「この国」とするのが流行したかに見える。サヨクは司馬の言い方に大喜びしたのだろう。サヨク、グローバリストは「わが国」とか「日本人」と書くのがたまらなく嫌だったにちがいなく、それを司馬が「この国」と言えばいいと教えてくれたから、とびついたのだ。

 それと同時に、自分を育ててくれた国家を棄てられて、世界市民にでもなれたと思ったか。
 ホンマ、サヨクはアタマ悪いなあ。



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2017年02月07日

朝、目覚めたら中共が占領していた


八っつあん:どうもご隠居、正月以来ご無沙汰いたしまして。
ご隠居:おう八か、まあ上がってお茶でも飲んで行け。
八:どうも。ご隠居、先日いやな夢を見やしてね。その話をちょっと聞いていただこうかと、ね。
隠居:どんな夢だい? 宝くじが当たったかと思ったら、夢だった、とか?

八:そんなんじゃねえんで。カフカの『変身』って小説じゃあ、主人公のザムザが、朝起きたら巨大な甲虫になっていたって話ですけど、あっしはね、ある朝目が覚めたら世の中が中共軍に占領されていたって夢なんで…。
隠居:ほう。で、どうなっていたんだ?

八:へえ、朝出勤しようと電車に乗ろうとしたら、駅の表記が全部支那の簡体字になっているんでさあ。それとハングルも残っていたっけ。構内アナウンスも、支那語と朝鮮語だけで日本語はないんでさあ。乗り換えようとしていた婆さんがどうしていいかわからずにオロオロしてたりね。大きな乗り換え駅では、中共軍兵士が銃を持って立っているし、変な制服を着たザイニチが交通整理しながら日本人に怒鳴ったりしている。

隠居:なるほど。ザイニチはすぐに支那にシッポを振ったわけか。
八:どうも日本が中共に降伏して1カ月くらい経ったころらしいんで。電車に乗って、ほかの人の読んでいる新聞を覗くと、日本語の新聞なんですけど、「朝日新聞」の題字は簡体字になっているんです。
 さっそく、昔のGHQに迎合したように、中共迎合満載の新聞になって、「歓迎」「日本は良くなる」とかいう紙面でした。

隠居:そらそうだ。もともとマスメディアは反体制を装っても実際は、既存の体制側に付いて、利得をむさぼるもんだからな。メディアは時の体制を激しく批判しても、一方で体制の枠組みで守られているので、安心して体制を批判することができた。でも中共の支配下になったら、「反体制」はあり得なくなる。

八:その朝日新聞には全国の図書館や書店で、ほとんどの本が発禁にされ、大量に棄てられている写真が載っているんです。図書館前の広場で人民解放軍兵士がわけもわからず焚書の大きな焚き火をたいていて、それを日本人が遠巻きにかこって拍手しているっていう写真でしたよ。
隠居:ま、そうなるだろうな。

八:夢ですからね、脈絡はないんですけど。街中、中共軍兵士と武装警察、それにザイニチが道にゴミや痰を吐くのでムチャクチャ汚くなって臭いんです。公衆トイレなんか目も当てられないくらい汚れ放題で、しょうがなくてみんな公園の中は道ばたでやっちゃう。
 新幹線の料金は一気に倍になってまして。儲けはみんな中共占領軍のお偉方が取るんだって。
 その新幹線や車両やレールまで剥がして、支那本土に持って行くって言ってました。これからは在来線だけになるとか。
 日本の農地の土は良いからって、畑の土を剥がして大量に支那に運んでいるって。

 それから、悩みのタネだった駅前の放置自転車は、きれいに片付けられていましてね。全部ザイニチが持ち主に断りなくさらっていって、本国にもっていってしまった。
 テレビ、ラジオではこれまでどおりのバカ番組、お笑い番組は続いていますが、ニュースは全部支那語。ドラマは、これまで支那で流していた反日の、日本軍が残酷だったというドラアを一日中やってました。

隠居:おやおや、そうかい。クルマはどうなっていた?
八:個人で持っている自家用車は没収で、トラックやバスなんかはこれまでどおりに走ってます。中共進駐軍の偉いさんに鼻薬を効かせた人だけが、クルマの所有を許されるのですと。
 居酒屋とかレストランは営業してますけど、本国から来た支那人やザイニチが食器を持っていったり、ただ食いして踏み倒すから、もう営業できないって嘆いている店主がいっぱいいましてね。

 どこのデパートでも、家電量販店でも。人民解放軍の兵士やザイニチが押し掛けて、略奪しまくり、女性店員は隠れていても見つかっては強姦。
 兵隊が盗んだ商品は、駅前広場でおおっぴらに闇市が開かれて、安値で売られているんです。「闇市の再来だ」と老人が嘆いてました。

隠居:じゃあスマホもケイタイも使えなくなっていた?
八:いえ、それがソフトバンクだけは使っていいことになって、NTTやauの人たちは買い替えるんでショップの前は長蛇の列。
隠居:それでお前さんの夢では、天皇とか国会議員とか、自衛隊はどうなった?

八:夢ではそこまでは見られませんでしたが…、想像するに、天皇一家は監獄入りでしょうかね。国会議員はたぶん、一度は収監されても中共に忠誠を誓えば復帰してやつらの言いなりの議員になるでしょう。でも選挙はすべて否定でしょうから暫定的ですかね。自衛隊は一部技術者を残して皆殺しですかね。

隠居:なかなかリアルな夢だったね。漫画家のやくみつるが、中共が来たらすぐ降伏すればいい、戦争だけはダメだ、戦争で死ぬより、支那の奴隷になるほうがいい、それにうまい支那料理が食えるからいいじゃないかと発言したそうだが、奴には想像力のかけらもないんだな。実際、八っつあんの見た夢よりもっとひどい地獄を見ることになるんだろうね。
 それで八、どうして日本はそんな羽目になったんだい?

八:あっしの夢は占領1カ月後だったんで、くわしいことはわからませんが、なんでも夢のなかでは市民が「なんせ1発も撃たずに降伏して、平和憲法を守ったから良かった。人類史に残る偉業だ。これからは中共の指導の下で世界と協調してやっていける」と政治家もメディアも喜んだって、噂してましたよ。

   ■    ■
 …は〜あ、とっぴんぱらりのぷぅ。どんぴこからりん、すっからりん。



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2017年02月06日

アボリジニ題材の映画を観つつ


 アボリジニを題材にした映画は少ない。オーストラリアの白人が、テメエたちの汚辱の歴史を隠したいからだろう。
 『裸足の1500マイル』(英: Rabit-Proof Fence)は、実話に基づいた2002年作のオーストラリア映画である。原作の小説は、アボリジニの少女だった作家が実体験をもとに描いたものだ。
 
 1931年のことで、当時オーストラリアでは、先住民アボリジニ女性との混血児を家族から引き離して隔離して育て、長じて白人男性と結婚させ、その子をまた白人と結婚させて…しだいに遺伝子を薄くさせ、白人社会に適応させようとしていた。
 その無慈悲な隔離・同化政策が、彼ら白人にとっては善意の発露であり、キリスト教の教えに沿うものと考えられた。

 それ以前の100年間は、イギリスが本国の囚人と移民とを新大陸オーストラリアに送り込んだ。釈放された性悪イギリス人どもは、先住民アボリジニの土地に入植者として侵略していき、アボリジニを狩猟の対象として弄んだ。アメリカに移ったキリスト教徒どもがインディアンにしたことと全く同じ。

 国家を形成せず、軍事力を持たなかった先住民はなす術がなかった。白人はそういう卑劣な野蛮人なのに、我が国の能天気な連中は
憲法前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」との文言が、そもそもウソで、公正と信義などあり得ないことを認識しようとしない。白人が「平和を愛する諸国民」だってか?

 オーストラリアに流刑にされた白人は、アボリジニをカンガルーを狩猟するように殺しまくり、犯しまくった。犯した末に、混血の子供たちが大量に出て来ると、強姦の事実を隠蔽するために、保護法を作って、同化(させる)政策をとるようになったのである。保護とは名ばかりで、アボリジニの生活を厳しく規制した。

 この映画の英語の原題はRabit-Proof Fenceであって、訳せば「ウサギを通さない垣根」である。これはオーストラリア全土の張り巡らされたフェンスのことで、白人入植者どもが農地で野菜を栽培するために、荒野のウサギが侵入してこないようにするため、高さ1メートルくらいの金網の囲いである。
 それが南北や東西に何千キロと続く。

 野生の動物にとっても、先住民にとってもこんなフェンスは迷惑この上ないものだったろうが、オーストラリアでは知ったこっちゃなかった。
 
 映画の概略を紹介する。
 オーストラリア政府は、各地のアボリジニ居住区で、男と女を共同で生活させなかった。女たちは子育てをしつつ、それでは食っていけないから、政府は配給所をつくり、配給日を決め、衣服、小麦、砂糖、お茶などを配った。男にはどうしたのかは映画ではわからなかった。
 こうやって「保護」と称して、先住民の古来の生活を壊し、自立できなくして、白人に頼らざるを得ない状態にした。

 第二次世界大戦後の南太平洋の島嶼、戦争前は日本の信託統治だった島は、米軍が占領すると、農地も工場も破壊して、自立した生活を不可能にし、「保護」と称して、衣服や食糧を無償で配り、隷属させた。日本統治時代には、農業漁業などで働くことを覚えさせようとしたが、アメリカは、只で生かしてやることで、反抗できなくさせ、軍事基地を置いた。

 やることが同じである。
 アボリジニ保護局長ネビル(白人)は、西オーストラリア州の監督官として、混血アボリジニの子供を親から引き離し、収容する権限を持っていた。
 アボリジニの女たちは、配給日に配給所に集まってきては野宿し、配給を待っていた。

 ネビルら白人はそこに親と一緒にやってくる混血の子を待っていてさらっていくのである。
 母親も子供も激しく抵抗するが、白人どもは「これは法律で決まっているから」とか「命令だから」といいながら、子供を拉致していく。

 収容された子供たちは、キリスト教に染められ、白人に従順な子に育てられて、やがて女の子は白人のメイドに、男の子は労働者にされてゆく。英語をしゃべるよう強制され、原住民の言葉は禁止される。それを収容所のシスターどもが鬼の形相でやらかす。
 食事のときは、「すべてのものに感謝します」「食べ物に感謝」「やさしい世界に感謝」と唱えさせられる。

 やがて少女たちはメイドにだされた家で白人男に強姦され、何代かそんなことをやれば原住民の特徴的な黒い色は消滅すると信じられ、アボリジニは人種的に消える。よってオーストラリアは堂々、白人国家になる。
 まあ、ナチがユダヤにやったこととたいして変わらない。

 混血児のなかでも色の比較的白い子は選抜されて高等教育を受けさせるため、学校に行かせる。理由は、白い子は黒い子よりアタマがいいからだ、と。
 ネビルは言う。「義務、奉仕、責任、これがわれわれのモットーだ。野蛮は良くない。だから新しい世界の決まり事をアボリジニに教える」と。

 シドニーのオリンピックのときに、オーストラリアは原住民との和解を演出したり、アボリジニ出身の女性を短距離走の選手として出場させたりしたが、あの女性も混血であった。悲しい歴史があったのである。

 映画では拉致された主人公の女の子は、8歳の妹と10歳の従姉妹を連れて収容所を脱出し、ウサギよけのフェンスだけを頼りに2400km離れた母の元に帰ろうと決死の逃避行を始める。それをネビルは嗅覚の優れたアボリジニの追跡官に追わせる。

 現在の世界は、やはり欧米の白人が軍事力で世界を抑え込み、金融で支配してほしいままにしている。これを救うには日本しかないとは思うが、日本にはそうはさせまいとする勢力(反日)が邪魔をする。
 媚中・副島隆彦は日本は世界基準に従えと言うが、その世界基準はかかる白人がアボリジニにやった施策と同じことである。

 また支那や韓国は、白人側について、世界基準を持続させようとしている。世界が待っている日本は、四面楚歌のままである。




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2017年02月04日

マニキュアの恐怖


 以前、テレビのニュースで、明日には大学の入学式に行くという女性を取り上げていて、その娘が手指の爪のネイルアートを美容室でしていた。えらく凝ったネイルアートで一つひとつの爪に立体的な花の模様が微細に描かれていく。当然何時間もかかる。たしか夜の10時ごろからはじめて未明3時4時までかかっていた。ご当人は椅子に座って、爪をいじってもらいながら居眠り。
 そしてめでたく翌日、東海大学に着飾って入学式に臨んでいる映像が映しだされて終わり、だった(東海大のレベルが知れる…)。

 この娘、いったい大学をどういうところだと思っているのか。見た目はまるで銀座のホステスにしか見えない。教授も目のやり場に困るだろう。昔、ミニスカートが流行しはじめた頃、大学では教授たちが太もも丸出しで足を組んで講義を聴く女子大生に困惑していたものだが、すでにそんなことを通り越してしまった。「女子大生亡国論」なる言説も登場したことがあったが、今やそうした勉強する気もない女性に大学が席巻された影響もあって、男子までが途方もなくアホになった。

 さて。今日の話題はこのネイルアートとかマニミュアを爪に塗ることについてである。
 私はどうも変わり者だから、女性の手先にマニキュアが塗られているとゾッとするタチで、むしろ色気を減殺しているとしか思えない。よくあんな気持ちの悪いことができたものだ。
 たぶん西洋の女の真似で始めたことだろうが、心底女はバカだと思う(すみません…)。茶髪、金髪も同じだが。かえって醜くなっているじゃないか。
 茶髪は化学薬品が頭皮から浸透して体のDNAを狂わすと説いたことがあるが、爪とて同じことである。爪に塗った化学薬品が、爪の表面から浸透しないとでも思っているのか?

 別の観点からいえば、爪も外界を反映するものである。例えば冷たいとか痛いとか感じるとは、外界を反映していることなのだ。人体は外界を反映してこそまともに育つし、健康なのであるが、その外界をマニキュアで遮断してしまうのだから、それがどんなに恐ろしいことか。

 例えば、指先にちょっと切り傷ができて、絆創膏を貼ったとする。半日、1日それを付けていると、うっとうしいというか、苦しいというか、ときにはイライラしてはがしたくなるであろう。それは皮膚呼吸ができないとか、外界を反映できないところからくる生理的反応である。

 マニキュアをするとは、そういう体に害になることをやっている。
 ネイルアートとかマニキュアをやれば、爪はボロボロになっていく。若いうちは気がつかないが、じわじわと爪は蝕まれていくし、体も化学薬品が浸透しておかしくなっていくのだ。
 だから不妊になる、生理不順になる、頭が良くならない、腰痛が起きる、体が冷える、不眠…といったような、ご婦人がよく訴える症状が、こういう爪を虐待した結果であるかもしれないのである。

 ネイルアートサロンや化粧品会社の営業妨害を意図しているわけではないが、健康な人生を送りたい人、丈夫な赤ちゃんを生みたい人、頭がよくなりたい人は、爪を塞ぐのはおよしなさい。健康なピンク色したつややかな爪こそ美しいじゃないか。
 それをさらに良く見せたいって…、虚栄心以外の何ものでもない。女心もあるだろうから、まあ年に一度くらいなら良しとしても、毎日会社に塗って行くのは、「あまりに〜も、おバカさん♪」なのだ。

 確かめたことはないが、おそらくピアノやハープ、ギターなどの演奏をするプロはマニキュアはしないだろう。爪がボロボロになったのでは鍵盤は叩けず、弦をつまびくこともできない。
 女子柔道の選手、バレーボールの選手なども、原則的にはマニキュアをできないはずだ。それは激しい運動をするとマニキュアがはがれちゃうから、ではない。爪がボロになったのでは、指先に強烈に力が入れられず、動きも悪くなるはずだからだ。

 学者志望の女性とか医者とかでも、マニキュアをしていたら、その人の実力が十全に発揮されていない、と見るべきである。四六時中マニキュアをしていたら、当然バカになっていく。なぜかはすでに説いたが、爪からの外界を部分的にもせよ反映しないのだからであって、人間の認識は外界の反映で創られるものを、それを意図的にカットするわけだから、認識もボロになっていく。

 外界の反映とは、あくまで実体を通しての反映である。冷たいも痛いも、乾いているも、みな実体の反映である。それで認識が創られるのだ。その実体を反映させる人体の仕組み蔑ろにして、爪なんかどうだっていいとするのは、愚挙、暴挙である。

 会社のOLのレベルなら、あえて意地悪く言うけれど、マニキュアをしてボロになった指先や認識でも、それは務まるレベルだということだ。それでいいなら、別に知った事ではない。
 昔の女性は、雑巾がけなんかをちゃんとやった。あの雑巾を絞る動作が、爪を丈夫にする。それもテキパキをやればなお良い。だから、昔の女性のほうが爪は強かっただろうが、今の女性はみんな爪が弱い。

 室内犬なんかに、マニキュアをする愚かな飼い主がいるようだが、これはもう残酷である。イヌやネコはよく爪を研いでいるが、あれは爪が伸びすぎないようにしているのと、おそらくは爪で木などをひっかくことで丈夫にしているのではないか。本能として。
 こう説いても、女性の方々は爪なんか体のほんの一部なんだからどうってことはない。大げさだ。と思うのであろうか。茶髪も同様に、なにせ髪の毛なんだから、体の一部とはいっても痛みを感じるわけじゃなし、髪が傷んだといってもそこだけの話でしょ、と思うのではないか。
 それはとんでもない間違いである。弁証法を学ばないから、こういうことが平気でできる。
 
 人間の体は脳細胞が、全体として統括しているのである。これは〈生命の歴史〉を勉強してもらいたいが…。単細胞から進化してクラゲになるまでは、脳細胞はなく全体が一体として動いていた。それがなぜ魚類の誕生から脳細胞が現れたか。それは端的に言えば、代謝と運動(手足の)を分離させつつも、同時に統括しなければならなくなったからだ。

 これは例えば軍隊を例に挙げれば、全体としてワーワーと動きながら戦っている分には(クラゲまでは)、脳細胞に相当するものは不要だ。雪合戦を思ってもらえばいい。しかし、近代的な軍隊(魚類以降の動物)ともなれば、砲の陣地があり、左翼から陽動作戦をし、右翼から突撃し、飛行部隊が空から援護するみたいな作戦を取らねばならないのだから、それら別々の活動を統括する「脳細胞」に相当する司令部がなければ機能しない。

 われわれの脳細胞は、かかる軍隊における司令部に相当する。その例でわかっていただきたいが、もし軍隊の作戦中、ある小隊が敵が目の前で油断しているからといって勝手に突撃したり、あるいは逃げたりしたらどうなるか。軍隊全体にとんでもない影響が出る。
 爪にマニキュアを塗るとは、そういうことだ。作戦中の軍隊のなかで、一つの勝手な小隊が突然怖くなって敵前逃亡をするようなものだ。司令部(脳細胞)は、軍隊全体を統括しているのだから、一部の崩れは、それこそ「蟻の一穴」で、全体の統括が狂わされる。

 全体の統括が狂わされると、若いうちはなんとかまとめることができても、年をとるほどに、今度は体の中の最も弱い部分に障害が出てくる。だからマニキュアが原因で、回り回って腰痛だの不妊だのとして発現しないとも限らないのである。




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